第4話 車は棺桶
大通りに出ると、道路が高級車で埋まっていた。
悠人は、建物の陰から車列を見た。
スポーツカー。
高級外車。
低い車体のオープンカー。
どれも、悠人には買うという発想すら浮かばない値段の車だった。
港区から逃げるなら、もっと普通の車でいい。
そう思ったが、普通の車はほとんど見当たらなかった。
道路の中央で、赤いスポーツカーが斜めに止まっている。
その前には、黒い高級外車が横向きになっていた。
後ろから来た車が避けきれず、さらに別の車へぶつかっている。
クラクションが鳴り続けていた。
誰も乗っていない車のクラクションだ。
悠人は、道路の端を見た。
乗り捨てられた車のドアが、いくつも開いている。
逃げた人間は、車を置いていったらしい。
車体だけが残り、ハザードランプだけが点滅していた。
その中で、一台のオープンカーがゆっくり動いた。
運転席には、人がいる。
正確には、ゾンビが一体、座っていた。
両手でハンドルをつかんでいる。
運転していた記憶だけが残っているのかもしれない。
ゾンビは、前を見ていなかった。
ハンドルを回す。
アクセルへ足を伸ばす。
ペダルへ足が届いたらしい。
車が急に前へ出た。
「あ」
悠人が声を出す前に、オープンカーが前の高級外車へぶつかった。
ガシャン、と音がする。
オープンカーが少し下がる。
また前へ出る。
ガシャン。
さらに下がる。
ガシャン。
アクセルから足が離れないのか、車は前後に動き続けていた。
高級外車のバンパーが揺れる。
オープンカーのボンネットがへこむ。
それでも、ゾンビはハンドルを離さなかった。
「運転の真似だけ残るの、そこなのかよ」
悠人は呟いた。
車を運転できる知性は残っていない。
だが、座席に座り、ハンドルを握り、ペダルを踏む動作は残っている。
結果として、道路上で高級車同士が何度もぶつかっていた。
映画には、あまり出てこない光景だった。
クラクションと衝突音が、道路全体に響いている。
音に反応して、歩道にいたゾンビが車の方へ集まっていた。
一体。
二体。
その後ろから、さらに何体かがゆっくり歩いてくる。
大通りの先に、ワンボックスカーがあった。
他の車より車高が高い。
家族か、友人同士で移動しているらしい。運転席と助手席に人影があり、後ろにも何人かいるようだった。
その車は、前へ進もうとしていた。
だが、前方に乗り捨てられたオープンカーがあった。
低い車体が、ワンボックスカーの下へ潜り込んでいる。
正確には、オープンカーの前部がワンボックスの車体下へ入り、バンパーを引っかけていた。
ワンボックスが前へ進もうとする。
オープンカーも引きずられる。
しかし、タイヤが斜めになり、車体同士が噛み合っている。
ワンボックスは動かなかった。
運転席の人影が、何度もハンドルを切る。
車体が左右に揺れる。
エンジン音が上がる。
それでも、前へ出られない。
周囲の車とゾンビに囲まれ、逃げる方向がなかった。
悠人は、車の中の人間と目を合わせることはできなかった。
距離がある。
フロントガラスには光が反射し、車内の様子はよく見えない。
ただ、運転席の人間が何度も周囲を見回していることは分かった。
車の左右には、ゾンビが集まっている。
後ろにも乗り捨てられた車があり、下がることもできない。
ドアを開ければ、すぐ近くにゾンビがいる。
車内にいれば、動けないまま囲まれる。
「車は棺桶」
悠人は、遠巻きに見ながら呟いた。
車は安全な箱ではない。
動いている間だけ、外との距離を保てる。
止まれば、窓とドアの向こうから手を伸ばされる箱になる。
ワンボックスの車内で、誰かが後部座席側へ移動した。
反対側のドアを確認しているように見えた。
悠人は、大通りの反対側を見た。
工事現場の前に、金属製の看板が立っている。
その横には、工事車両が止まっていた。
あれを叩けば、車の周囲にいるゾンビの注意を引けるかもしれない。
ワンボックスの中から人間が出るなら、車の反対側しかない。
悠人は、車内の人間へ知らせる方法を考えた。
声は届かない。
手を振れば、ゾンビにも見つかる。
結局、音しかなかった。
悠人は、工事現場の方へ移動した。
一体のゾンビが、こちらを向いた。
悠人は建物の陰へ戻り、相手の視線が外れるのを待った。
ゾンビが車へ向き直る。
悠人は走った。
工事用看板の足元に落ちていた金属の棒を拾う。
重かった。
両手で持ち上げ、工事車両の側面へ叩きつける。
金属音が、大通りに響いた。
一度。
二度。
三度。
音に反応して、ワンボックスの周囲にいたゾンビが振り返った。
悠人は、さらに車両を叩いた。
ガン、ガン、と音が続く。
ゾンビの何体かが、工事現場へ向かって歩き出した。
その隙に、ワンボックスの反対側のドアが開いた。
一人が飛び出す。
続いて、もう一人。
車内の人間が、道路の反対側へ走っていく。
悠人のいる方向とは逆だった。
声は聞こえない。
こちらを見てもいない。
それでよかった。
悠人は、車内の人間が逃げたことだけを確認し、金属棒を捨てた。
工事現場のフェンスへ入り込む。
ゾンビの一体が、フェンスへ手を伸ばした。
金属が鳴る。
悠人は、建物の裏側へ回った。
大通りの方で、ドアが開く音がした。
ワンボックスの運転席からも、人が飛び出した。
車内に残っていた人間が、反対側の歩道へ走っていく。
ワンボックスは、車体の下に入り込んだオープンカーに引っかかったまま、その場に残された。
エンジン音だけがしばらく続き、やがて止まった。
逃げた人間の後ろを、ゾンビが数体追っていく。
残ったゾンビは、金属音のした工事車両と、フェンスの前に立つ悠人へ分かれた。
悠人は、建物の陰で息を整えた。
助けたと言えるほどのことをしたわけではない。
ただ、音を出した。
車内の人間が、その隙を使った。
それだけだった。
スマートフォンが震えた。
危険区域の拡大と、交通規制の追加を知らせる緊急通知だった。
港区から出る道路のいくつかが、規制対象になっている。
逃げる人間が、大通りと車へ集中している。
それを止めるために、道が閉じられている。
悠人は歩きながら、通知を閉じた。
車は棺桶にならずに済んだ。
ただし、次に同じことができる保証はない。




