第20話 お役所仕事
ゾンビ保護法が施行されると、感染者は家族のもとへ戻り始めた。
戻ってきたからといって、以前の生活へ戻れるわけではない。
ある家族は、感染した父親を引き取った。
庭に専用の檻を設置し、二重の柵で囲み、監視カメラもつけた。管理講習を受け、毎朝夕に拘束具と施錠を確認している。
父親は、檻の中を歩き続けていた。
三歩進む。
柵へぶつかる。
向きを変える。
また三歩進む。
ときどき玄関の方を向き、長い間動かなくなる。
家族には、帰宅しようとしているように見えた。
父親を保護するには金がかかった。
檻の設置費。
管理業者への支払い。
定期検査。
専用の保険。
家族は、父親が所有する空き家を売り、その費用へ充てようとした。
不動産会社へ相談すると、所有者本人の同意が必要だと言われた。
父親は死亡していない。
所有権も、父親のままだった。
息子は役所へ電話した。
「本人が感染者なんです」
『ご本人による申請が難しい場合は、委任状をご用意ください』
「だから、委任状を書けないんです」
『では、ご本人と一緒に窓口へお越しください』
「連れていっていいんですか」
電話の向こうで、保留音が流れた。
五分後、別の職員が出た。
『感染者の移送には、保護法に基づく許可が必要です』
「許可を取れば、本人を連れていっていいんですね」
再び保留音が流れた。
最終的に、窓口で本人確認を行うという回答になった。
ただし、安全管理のため、事前予約と認定業者による移送が必要だった。
家族は予約を取り、移送費を支払い、父親を役所へ連れていった。
役所の正面玄関には入れない。
裏手の搬入口に、感染者用の臨時窓口が作られた。
机の前には透明な防護板が置かれ、その手前を二重の移動柵が囲んでいる。
職員は三人いた。
戸籍担当。
資産管理担当。
感染者保護担当。
誰も、実際に感染者が来るとは思っていなかった顔をしていた。
輸送車の後部リフトが下りる。
車輪のついた檻が、搬入口へ運ばれてきた。
父親は檻の中で、正面へ歩き続けている。
柵へぶつかる。
向きを変える。
また歩く。
戸籍担当の職員が書類を確認した。
「それでは、ご本人確認を行います」
息子が檻の横へ立つ。
「父です」
「ご本人に、お名前と生年月日をお願いします」
息子は職員を見た。
職員も息子を見た。
「しゃべれません」
「承知しています。ただ、手続き上、最初に確認することになっていますので」
職員は檻へ向き直った。
「お名前をお願いします」
父親は返事をしない。
職員の声に反応し、防護板へ顔を向けた。
柵へ近づく。
両腕を伸ばす。
職員は椅子を少し後ろへ引いた。
「意思疎通困難、と記録します」
最初から分かっていたことが、正式に確認された。
次は委任状だった。
書類には、委任する内容と本人の署名欄がある。
「こちらへ、ご本人の署名が必要です」
「書けません」
「代筆は認められていません」
「だから本人を連れてきたんです」
三人の職員が集まり、小声で相談を始めた。
感染者保護法には、本人を安全に運ぶ方法が書かれている。
感染者を保護する人間の責任も書かれている。
感染者本人が不動産を売る方法は書かれていなかった。
職員が奥から、太いペンと長い棒を持ってきた。
棒の先へペンを固定し、檻の隙間から差し入れる。
「握っていただけますか」
父親はペンへ反応しなかった。
棒が手元へ近づく。
父親は職員のいる方へ腕を伸ばした。
ペンが床へ落ちる。
「署名困難、と記録します」
それも最初から分かっていた。
資産管理担当が、印鑑による手続きへ切り替えられないか提案した。
家族は父親の実印を持ってきていた。
しかし、本人が押したことを確認できない。
職員が押せば職員の押印になる。
息子が押せば代理人による押印になる。
本人は、印鑑を持とうとしない。
会議は、檻の前で三十分続いた。
父親はその間も、三歩進んでは柵へぶつかっていた。
やがて、戸籍担当の職員が結論を伝えた。
「本日、ご本人が来庁されたことは確認できました」
「はい」
「ただし、ご本人の意思は確認できませんでした」
「はい」
「そのため、申請は受理できません」
息子は、檻の中の父親を見た。
本人を連れてくればよいと言われた。
許可を取り、業者を頼み、ここまで連れてきた。
そして、本人の意思を確認できないと言われた。
「では、どうすればいいんですか」
職員は、新しく作られた案内用紙を差し出した。
《感染者本人による申請が困難な場合の相談窓口》
「こちらへ、改めてご相談ください」
「今日は相談できないんですか」
「予約制です」
最短の予約日は、三週間後だった。
家族は申請書を持ち帰ることになった。
輸送業者が檻を車へ戻す。
父親は役所を出るときも、三歩進んでは柵へぶつかっていた。
翌月、同じ問題が各地で発生した。
銀行口座。
不動産。
保険。
年金。
本人の意思を必要とする手続きのたび、感染者が役所や金融機関へ運ばれてきた。
行政は対応を急いだ。
新しい手続きが整備され、感染者本人を窓口へ連れてくる必要はなくなった。
代わりに、オンラインでの本人確認が導入された。
画面の前へ感染者を座らせ、職員が名前と生年月日を尋ねる方式だった。
結果は、窓口と同じだった。




