85話 『輝』
嫌な予感が全身を駆け巡った直後、自然と体はサイドに大きく跳躍していた。判断は正しかった。トウマが大きくズレたと同時、鎌鼬が先程まで自分のいた場所を通過していた。
刃を向けてきた少女をもう一度見直すトウマ。まず、やはり全身が真っ赤だ。返り血か自分の血なのか見分けがつかないほどに。
いや、両方だ。彼女の全身をくまなく見つめ直すと所々裂傷が見られる。ぱっかり切り裂かれた傷は痛々しく、溢れんばかりに血が噴き出ている。にも関わらず少女はお構い無しに襲いかかる。
「なんで……! 何やってんだよ!」
悲観的に、叫ぶように訴えかけるトウマとは反対にフローレンスは異様に落ち着いていた。トウマはそんな様子の彼女に振り向く。
「ボクの予想通りだ。彼女は裏切った」
「は……? 予想通り? お前また何かを!」
言いかけたところで、衝撃波が場を封じる。竜巻の如く荒れ狂う衝撃が全身を駆け巡りトウマは吹き飛ばされそうになる。
先のミレーユの攻撃をフローレンスが受け止めた。完璧な防御魔法を展開しトウマを保護した。
「申し訳ないけど彼女を処分する」
「処分って、お前ものを扱うみたいに言うなよ!」
「言ったはずだよ。ボクにとって君以外の他人は軽い。その理由は――もう良いよね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
構えを取り、今にも殺さんとするフローレンスの前に立ちはだかるトウマ。
恐らく勝負は一瞬で着く。神と普通の人間。人間側に勝ち目なんてあるわけが無い。
指を軽く動かすだけで不可視の壁を作り出す奴だ。殺すのだって他愛もないはず。
「ミレーユ、お前……何があったんだ」
「――――」
「他の、みんなは? ラーヴェルとか、ヒヨリ、お前が可愛がってたリューシュとかは?」
「――――」
喉を震わせながらトウマはミレーユに希望を見出そうとする。しかし、彼女の瞑ろな瞳にはトウマは映っているようで映っていない。
「トウマ」
「何だよ! 今忙し――」
「ポケット、見てごらん」
フローレンスに言われて「え?」となりながらもトウマは自身のポケットを見る。いつものあれがある場所だ。
呼吸が荒くなる。喉が砂漠になったのかと思うほど水分を欲し、声がしがらくなりつつある。
それでもミレーユが手出ししていない今しかない。表情筋が凝り固まっているのを感じながら、『手帳』を取り出しページを捲る。
『ミレーユにより全員死亡』
『一. 彼女を殺す』
『二. 彼女に殺される』
『――選べ』
この数十分で味わった中でも別格と言いたい程の虚脱感がトウマを襲った。
脳を強く揺さぶられたかのような衝撃が走ったような気がしたトウマは、仰向けに倒れる。
死亡フラグ回避――今までで一番残酷だ。元仲間、この世界で一番関係が長い友に殺されるか、殺すか。逃げるという選択肢は無い。何故なら、フローレンスがいるから。
殺されるオチがベストなのだろう。彼女は恐らくフローレンスに殺される。その姿を見届けるよりも先に死ぬのだから、気持ち的に楽になれるはず。
しかし、それは帰還を諦めるも同然のこと。ここまで五十パーセントまで貯めたエネルギーを放棄する。
じゃあ殺す? いや、そんなことトウマに出来るはずがない。殺した直後に記憶を失ってくれたら――そんな都合の良いことは無い。
トウマが殺せないのならフローレンスが殺す。
「待て、待ってくれよぅ……違うだろ、違うじゃないか、違うはずだ」
「――――」
「こんな残酷なことがあって良いのか?! 良いはずないだろ! おいフローレンス! 何とかしてくれ!」
「それは無理だよ。彼女は既に自我を手放している。殺すしかない」
かつて、同じ言葉を聞いたことがある――サラディンで少女を手にかけた時。ミレーユが言った言葉だ。彼女は今度言われる側になった。
「なんでだよ……なんで……待って、フローレンス待ってくれ」
「トウマ、君が選ぶんだ。ボクか、君か」
必死の訴えに現実を突きつけてくるフローレンス。待ったをかけて欲しいとせがむトウマに対して神は審判を下す。
最後の選択をトウマに委ねるという異例の判決に鼓動が速まる。
「時間は無い。狙いは彼女ではなく、フレオ――ヘルメスだ」
「神だろ? 神なんだろ!? なら助けてくれよ!」
「神は聞く耳を持つが、実行はしない。豊穣神に祈ったところで現実は変わらないのと同じ。ボクは沙汰を下すことはしない。君が選ぶんだ」
「それが、それが神のすることかよ! 結局お前も他の駄神と同じだ!」
「ボクは寄り添っている方だと思う。他の神なら問答無用で彼女を殺している。ボクは誰が殺すか、その権利を君に与える躊躇しているんだ」
「そんな権利要らねぇよ!! 俺が殺すくらいなら死んでやる!」
「無駄だよ。君が何をしようが彼女の攻撃が君に届くことはない。どんな犠牲を払ってでも子供を守る」
「お前ってやつは――!」
問言の中でフローレンスの決意は揺らぎもしなかった。淡々とトウマの意見を特に否定することもなく、ただ選択を迫っていた。
君か、ボクか――愛の言葉に聞こえるようなそれでも、この場面では違う意味に捉えられる。
トウマは自身の手を見た。大きくも小さくも無い掌だ。運動によって出来たタコがあるわけでもなく、筋トレによって蓄えられた筋肉があるわけでもない。
誰かを守る掌でもないし、誰かを攻める掌でもない。
珍しいものがあるとすれば天下筋があることくらい。偉大なことを成し遂げる人物に現れるという筋。恐らく、トウマは他者を死の選択まで追い詰めた時、真価を発揮する人間なのだろう。
偉大なこと――それは自分にとってではなく、他人にとってのこと。
苦しみ、踠き、疼いて、恨んで、絶望して、死を求めた時にそれを与える。その役目がトウマ・カガヤなのだろう。
その沙汰を下す時、彼は真価を発揮する。死とは彼にとって苦しみでも、相手からすれば解放――いわば『輝』なのだ。
だから彼には天下筋がある。他人にとっての『輝』
になるようにという意味を込めて名前を付けたと、いつかの時祖母が言っていた。
しかし、こんなことの為に輝くなど誰も望んでいない。トウマもそれは同じで――、
「――ボクがやる」
「いや、もう良い。もう分かった。分かりたくないけど分かった」
「――?」
「結局俺は、どこまで行っても他人のために煌き、散る運命にある。もう分かった。全てが――」
それまでの醜い姿から一変したトウマを直視したフローレンスは石くずから剣を作り出す。剣をヒョイと投げ、トウマに渡す。
「ごめん……やっぱり俺、独りで生きるべきだった。誰とも巡り会うことなく、独りで彷徨えば良かった」
「――――」
ミレーユはフローレンスに拘束魔法を掛けられているのか小刻みにたじろぐだけでその場から動かない。
その間にトウマは後悔を噛み締めるように大地を踏み鳴らす。
「遠からず俺も死ぬはず――あの世ではもう誰とも会わない。俺は独りで孤独を抱える」
「――――」
「一ヶ月、夢のように過ぎていった。異世界で生きるためのノウハウをありがとう。この結末を、みんなを巻き込んだのは俺のせいだ」
「――――」
剣の間合いとなった。これより先に進めばどこでも命を断てる。
迷いは無い、迷いは後ろに捨ててきた。トウマは全てを分かっている。この状況を俯瞰し、笑っている人間がいて、そいつが何を考えているかも分かった。
「ありがとう」
その言葉を最後に、トウマは少女の首目掛けて一閃。
血飛沫を撒き散らしながら首は宙を舞い、胴体は制御を失い倒れ込む。
最期、ミレーユが笑ったような気がした。苦しみからの解放。他三人を殺め、重圧から解放されたかったろう。やはりトウマは他者の『輝』になることしか出来ない。
「――出てこいよ。見てんのは分かってんだ」
少女の死を悼む間もなくトウマは声を荒らげる。彼の言葉に反応するように――、
「そうだね。答え合わせの時間といこうか」
鬱陶しく聞き慣れた青年の言葉が場に広がった。




