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84話 『隣にいる人間はあなたの知っている人ですか?』

 自分のいるべき場所について思考の極地に辿り着いたことに気がついたトウマは、全身から力が抜けたのを感じた。

 膝の力が極限まで抜かれ体が前のめりになる。冷たい汗が頬を伝って地面へと落ちる。


 そんな馬鹿な。馬鹿なことがあって良いのか。自分がいたあの世界は間違っていた? 

 この世界こそ自分の帰るべき場所だった……なんてことは認めるはずもない。


 この世界と関わりの無い自分の家は間違いなく地球だ。出身地がここであれ関係ない。冬馬輝は日本産まれのゆとり教育世代の人間。


「そんな、わけ……」


「残念ながら君はボクの子供で、ボクは君の母親だ」


 言葉のナイフは恐ろしい。普段、先端が尖っていない言葉であっても、今のトウマには鋭利なナイフへと早変わりし心の奥まで突き刺さるのだ。


「君は神の子供、つまり神なんだよ」


「違う……俺は何ももたない普通の人間で……」


「違わないよ。君はこのフローレンスの息子。最高神であったボクが産んだ紛れもない実子」


「聞きたくない聞きたくない! 俺は地球人……そう、地球人だ。この世界で異世界人扱いされる異端児だ。帰るべき場所は地球――ひっ!」


 自身の顔を覗き込むフローレンスを見て腰が抜けた。酷く冷徹な眼差しを向けている。顔も、瞳の奥も笑ってない。

 現実を受け入れろと言わんばかりに虹の瞳で覗き込んでいる。


「君が知りたかったことだろう? 君はこの世界で生を受けたんだ」


「じ、じゃあなんで俺は異世界人って――」


「フレオに聞けば全てが分かる――君をアルガの滝、上界と下界を繋ぐ滝から堕としたことしかボクは知らない。

 その後の君の動向についてボクの方が知りたい。親として君の――」


「今さら母親面すんじゃねぇ!」


「俺にとってお前は母親でも何でもねぇ! 十七年間一度も顔を見たことがないお前は俺にとって赤の他人なんだよ!」


「――申し訳のしようもない」


 母親として慈愛を注ぐことの出来なかったフローレンスはトウマの訴えを身に刻むように耳を傾けていた。

 

 沈黙が流れていく。早くこの時間が終われば良いのにと互いに思っていたところ、フローレンスが口を開く。


「だから君にはボクとフレオのいざこざに君を巻き込みたくない。子供だし、何より君はこの世界に住んでいた訳じゃないからね」


「――フレオ。フレオはどいつだ」


「――――」


「フレオはどいつかって聞いてんだ! 俺の父親、そして俺を堕とした邪神復活を企む下賤でクズで、どうしようもない野郎は誰だ!」


 食ってかかるようにトウマはフローレンスの胸ぐらを掴む。普通の親に対して出来るはずもないのだが、前述の通りトウマとフローレンスの溝は深い。その穴を埋めるのに何十年の時間を要することか。


「生きてるんだろ?! お前が俺を使って実体を得たなら! そして、今この遺跡にいるんだろ!?」


 フレオ・ファンダル・アーサーの正体を知りたいと思いつつも、頼むからあいつの名前を挙げないで欲しいとどこかで思っているトウマ。


 双眸はいつの間にか潤み、表情は仁王の如き怒を表している。

 そんなトウマを見てフローレンスは、重たくゆっくりと口を開く。


「フレオは――」


 ブンブンと首を振るってやはり辞めようと思う。だが、自身の胸ぐらを掴むトウマの手が隆起したのを服越しに感じ取ったフローレンスは決心する。


「フレオ・ファンダル・アーサーはこの遺跡にいる。名を改め――ヘルメス・アーサーとして」


「――ッ」


 トウマの手から力が逃げていく。フローレンスの胸倉を離し、腕が項垂れる。

 やはり、そうか。そのような思いがトウマの心を駆け巡った。


 容姿の特徴や佇まい、何から何までそっくりだった。もしかしたら、気が付かないフリをしていただけかもしれない。

 善人のように見える彼が、そんな悪人のはずないと。

 

「あとはボクに任せて君はここを出るんだ」


「――ちょっと待て」


 トウマの肩に手を置き、立ち去ろうとするフローレンスに彼は待ったを掛ける。

 フラフラと小鹿のように不安定な足を奮い立たせ身を起こすと、ギロリとした眼光を浴びせる。


「お前――ここに封じられてるんだろ? どうやって出てきやがった」


「――封じられてる。何を言ってるのかさっぱり」


「また嘘つくつもりなのかよ……魔がお前で封じられてるって」


「申し訳ないがボクには身に覚えがない。以前も説明した通り、ボクは流れ着いた先がシュラーゲルだった。その間封印なんてされてない」


 フローレンスは冷静に端的に答えた。慌てる素振りを一切見せていないのを考えるとどうやら彼女は事実伝えているだけだ。

 加えて、どこかトウマを蔑んでいるかのような目つきになっていた。


「頼むからこれ以上の嘘は辞めてくれ……」


「――――」


「だって、ヘルメスが――――ぁ」


 最後のパズルのピースが嵌められたようにトウマは真理にたどり着いてしまった。

 フレオは悪神で邪神を復活させようと目論む奴で、フレオヘルメスで……もしも騙そうとしていたのなら――。


 十分に有り得る。寧ろ、その線しかない。ヘルメスの言葉一つ一つがトウマを騙すための小細工だった。


「君は愚かにも彼のことを信用しすぎた。知らないとは言え、彼に全てを委ねすぎだ」


「うるせぇよ……俺はお前が大嫌いだ。大嫌いな奴にそんなことを言われる筋合いは無い」


「……辛いね。実子にそんなことを言われるのは。ボクはもう行くよ。君は早くここを出て行くんだ。独りで、仲間を置いて早く。そして、地球に帰るんだ」


 独りで……これが結末。結局のところ、異世界に来た時と同じように独りで、誰も信用せずに歩く。誰もいない森の中を、自分を見失いそうになりながら孤独に耐え忍びながら。


 人間は一度甘い蜜を吸うと簡単に後戻りは出来ない。トウマにとって友人は甘い蜜だった。孤独に生きようとする彼に楽しさを与えてくれた。

 その蜜を啜ったトウマが独りになんてなれるはずも無い。


 早く合流しないと。恐らくみんなは地下にいる。地上を選んだのは楽をしたかったからだ。ヘルメスのことだから今頃みんなを見つけているはず――、


「――待てよ」


 ヘルメスが皆を見つけたら本当に自身の元に皆を連れてきてくれるのだろうか。

 手を出さず保護を目的として、トウマの目の前に連れて来てくれるのだろうか。


 そんなもの答えは決まってる。

 

「ダメだ、そんなのダメだ!」


 項垂れている場合では無い。直ぐさま追わなければいけない。地下に続くこの階段を降りる。どこに通じているかは分からない。

 それでも、地下に続くあの階段がどこだったかなんて方向音痴のトウマが覚えている訳がない。


 焦燥感に苛まれる体を無理やり動かすトウマ。その気配を感じ取ったフローレンスは指を横に振るう。

 階段を降りようとしていたトウマの前に不可視の壁が出現。


 壁と衝突したトウマは鼻が砕けんばかりの衝撃を受けたことに驚きつつも、正面に何も無いことを確認。再び挑もうとするが、やはりぶつかる。


「フローレンスッ!!」


 母の名を憎しみを込めて叫びながらトウマは彼女を睨みつける。

 一方の彼女はキリッと覚悟を決めたような面立ちで佇んでいた。


「早く立ち去るんだ。君がこれ以上居座るのは許さない」


「邪魔すんじゃねぇえ!!!」


 フローレンス目掛けて走り出したトウマ。相手が親であろうが関係ない。トウマは友達を優先したいのだ。それを阻むのは誰であっても許さない。


 フローレンスに掴みかかろうとした時、ペタっと石畳と液体を踏み鳴らす音が聞こえた。

 その方を見てみれば桜のように薄い紅の長髪を腰まで伸ばした少女が虚ろな瞳で立ち尽くしていた。


 裸足で、全身真っ赤な液体で染められた少女はゆっくりと二人を見た。


「――ミレーユ!!」

「待て!!」


 方向を変えて走り出そうとするトウマの襟を掴み走り出しを潰したフローレンス。歯ぎしりしながらジタバタと暴れるトウマ。そんな彼にフローレンスは言う。


「よく見るんだ! あれは君の知っている友ではない!」


「んなわけ――ッ!」


 勢いで我を見失っていたトウマにフローレンスは平手打ちを喰らわせる。それから首を少女の方へと向けさせる。


 全身真っ赤だ。ポタっと音を立てながら紅が落ち、石畳を染める。その両手には誰のものか分からない手と足がある。


 荷物を持つかのように軽く持ち上がっている様を見るに、あれは切断されている。


「な、何が……どうなって、はぁ?」


 狼狽えるトウマに対して薄紅の少女は手を振り払った。凄まじい衝撃波が準えるように吹き飛んでくる。殺意の籠った風刃、そして――我を見失った姫となって二人を襲った。


 

 

 

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