77話 『詰め将棋』
ツンと針で刺激するような嫌な痛みがトウマの鼻を貫いた。
闇雲に走り回ること三十分くらい経った頃だろうか。幾つもの通路と部屋を移転し、他とは異なる雰囲気を醸し出す場所に辿り着いた。
サラディンの図書館を彷彿とさせる奥行のある構造。だが、相変わらず天井は無いし、壁のあちこちに穴が開き、引っ掻き傷のようなものも見える。
「広いな。あと、漁りがいの無い棚が……えぇと、七つ?」
木製か石製か。色が朽ち、ネズミ色となったそれの原料判断は出来ないが棚であることは確認出来た。
棚の近くには先程と同じように久方ぶりに日を浴びたであろう書籍が無数にあった。
「ここにもいない、と……っ!」
瞬間、トウマは何かから隠れるように壁を背にした。
まさにその直後、頭のすぐ後ろで獰猛な生物の唸る声が聞こえた。
ガルル、という声がお似合いで微細ながらも動く音が鼓膜に届く。
(もう追いつかれたのかよ……!)
あれはトウマが闇雲に捜索するようになってすぐのことだった。
三つ目の部屋に辿り着き、誰も居ないことを確認したトウマが通路に出た時――。
「うぉぉぉああ!」
先程まで無かったはずのモノがドンとその場に腰を据えていた。
インパクトのある鷲の頭、百獣の王の胴体からは翼が生え揃う、頭二つ分高い石像があった。
「ふぅ……ビックリした。つか、お前動いたりしないよな?」
シーンと風の音だけがその場を過ぎ去り、トウマは安堵の息を漏らす。こういう場合、出会ったが最後直ぐに食われてご臨終……なんてのがオチだ。
「にしてもカッコイイな、グリフォンか。……って、ちげーよ! 俺は急いでんだ、じゃあな!」
軽いボケを入れる余裕は蘇ったものの、未来のことを心配する気持ちは全く薄れていない。
トウマが石像に向けて走りだした途端、石と石が擦れる鈍い音が響いた。
駆け出したトウマはヒヤッと冷たいものを背に感じながら振り返る。
すると、入口手前で止まっていたはずのグリフォン像は室内まで侵入。部屋の真ん中に差しかかろうとしている場所で止まっていた。
動く石像。
夢うつつも良いところだとツッコミをいれる余裕を欠かれたトウマは心臓が跳ね上がるのを感じた。
念の為と、前に向き直り、すぐさま後ろを振り向く。
その間にも石の擦れる音は聞こえ、トウマと石像が目を合わせると音は消え去る。
石像は部屋の中央にまで差し掛かり、トウマとの距離は五メートルくらいに縮んでいた。
「……はは、鬼ごっこの始まり、かよ」
上がる口角とは裏腹に言葉は笑っていない。一歩、また一歩と後退りをするが目を石像から離さない。視界から切れる最後の一ミリ秒も無駄にすることはなく、捉え続ける。
やがて部屋と廊下を隔てる壁が視界に入り、トウマは勢い良く振り返り走り出す。
背中越しに石どうしが擦れる音を聴きながら、前しか向かず走った。
して、度々背に感じる音を聞こえていないものとして何とか平穏というものを味方につけて走って来ていた。
「視界に入れてる間は動かない……テ〇サみたいに距離を取れば解決……出来ないわな」
某ゲームの幽霊は赤毛のおじさんよりも速度が遅い故に対処が出来る。
しかし、石像の速度はトウマが歩く歩幅より少し大きい。加えて厄介なことに、トウマが走り出せば石像も同じように走り出すのだ。
「倒したり、破壊すれば止まるんだろうけど……神様の造物か何かだろ?」
となれば、破壊は困難を極めて良いだろう。
それこそ、大地をかち割る程の力があれば出来そうだが……。
恐らく、この石像も遺跡前で登場した双剣使いと似て非なる役割を持っているはず。
「よほどこの遺跡に秘密があるのか……絶対暴いてやる、って言いたいけどその前に撤退だ」
歪む音を耳に入れながらトウマは部屋をグルリと見る。出入り口を示すのはここと、通路反対にあるところのみ。
その先を行って別のルートに行くのも良いが、生憎とそれがベストとは限らない。
ここに来るまで、足を踏み入れていない部屋やらルートがある。そちらを先に回るのもひとつの選択肢だ。
「けど、近いんだよな……」
どうせなら動く石像と距離を稼ぎたい。直線となればトウマに勝ち目は無いため、アドバンテージを持って追いかけっこを始めたい。
そうなれば、今出ようとしている場所から遠く離れるのを待つしか――、
「あん?」
ズーッと重い何かを引きずるような音が、部屋内から聞こえた。
まさかと思い、部屋内の奥へ視線を向ければ台座に乗った何かが近づいて来ている。
「グリフォン……じゃない!?」
筋骨隆々な馬に跨り、鎧に包まれている男は騎士剣を振り下ろす構えのまま固まっている。高さはおよそ二メートル。
種類の違う石像がトウマに絶望の刻印押さんと距離を詰める。ならばその台座を止めん、と視界に石像を入れる。
がしかし、どういう訳かその石像は彼が直視しているにも関わらず止まらない。
「なっ……!」
こうなれば大人しくグリフォンが遠ざかるのを待つ訳にはいかない。
すぐさま立ち上がり、入口を出ようとした瞬間、ズズッと重石の音が耳をつんざいた。
「――ッ!」
瞬時に距離を取る。入口に現れたのは近くを徘徊していたグリフォン像。
入口に差し掛かったところでその足は止まった。つまり、トウマは出ようとしていた出口を通せんぼされたのだ。
「くっそ! 遠回りだ!」
こうしている間にも騎士像はサイドに迫っている。舌打ち一つ入れながら、緩やかな弧を描いて奥にある唯一となった出口に向かう。
石像に近づけば何をされるか分からない。自分も像の仲間になるか、はたまた切り刻まれるか。どちらにしろ最悪な結末を迎えるだろう。
「――ッ!」
すがる思いで奥へと辿り着いたトウマ。だが、虚を突かれた。眼前に力強く、雄々しく構えるはグリフォン像――ではなく、もう一体の騎士像。こちらも入口を塞ぐように置かれている。
「マジかよ……」
絶望の色が濃くなる。出入り口を塞がれた。おまけに室内を徘徊するナイト付き。
そして像と距離を稼げそうな障害物はこれと言ってない。
棚は一人で持ち上げられないだろうし、本を投げつけたところで無傷なはず。
――どうする。
その単語が永遠に頭を浮かぶ。魔法を使おうにも逃げ場のない室内では巻き添えを喰らう。無理やり押してみようにも推定トンあるものを一人で倒せるほど怪力では無い。
「――――」
「……おまっ!」
気が付けば騎士の持つ剣の間合いになっていた。瞬間、トウマは後ろへと飛び込む。剣と石畳が触れ、大地がひび割れる。割れた箇所から礫が飛び交い、周囲へと散乱。
像は石とは思えないほど柔らかく、しなやかに動いてみせた。加えてその破壊力。当たれば文字通り一刀両断にされる。
「ちっ!」
調子付いたのか剣を振るった石像は先程よりも速度を上げてトウマへと迫る。大地を馬が駆け巡るように、瞬きひとつの間に距離を潰される。
またしても一閃、今度は前に避けた。しかし、そちらの出口はグリフォン像が仁王の構えを取っている。悩めば死――三度目の大地割れ。
次も前に避けた。しかし、そちらの出口はもう一体の騎士像が守護している。
「これじゃあ詰め将棋じゃねぇか……。体力切れになる前に手を打たないと!」
とりあえず、トウマは部屋のあちこちを走り回る。動く騎士像が近づくことの無いように。
像は良くも悪くも直線的だ。台座の動きが、像の動きになるためカクカクでしか動けない。一つの四角マスに沿って動く。縦、横、斜め。まさに将棋だ。
とりあえず剣はこれ以上は振らせない、というのがトウマの作戦だ。
理由は単純、騎士像が剣を振るう度速度が上昇している気がするのだ。
今では、トウマの早歩きくらいの速度を保ちながら近づいて来る。
先程の大地を割った攻撃、通称「大地斬」は掠っただけで死に至るレベルだ。
もし、もしもだが、それを石像に喰らわせればどうなるだろうか。
「――やってみるしかねぇだろ!!」
そんな子供心に背を押されて地面を蹴り抜く。
幸いなことに、もう一体の騎士像は不動の構えを取っている。
動かないことを信じてトウマは出口を守護している騎士像を背にする。
ズルズルと重い音を出しながら、石像は前へ前へと進む。影が大きくなり、やかでトウマを覆う。
トウマを間合いに捉えた騎士像は羽毛のように柔らかく動くと石剣をたたき落とした。
剣が落とされたと同時に、サイドへと回避。刹那、轟音と共に彫刻物どうしが散開。大きいものから小さいものへと欠け、粉塵を撒き散らす。
「うぉぉおあ!!」
「大地斬」、その名の通り大地を斬る一撃。それが石像を粉々にし、原型を留めぬほどにカチ割った。斬られた側に残っているのは台座のみ、斬った側は何故かその場に立ち尽くしている。
ゴクンとトウマが固唾を呑んだ瞬間――信じられないことに斬った騎士像は凶刃を自分へと向け胸部目掛けて突き刺した。
再びの爆音と衝撃波がトウマを吹き飛ばした。石畳をモノのように転がったトウマは飛ばされた場所から現場を見れば、台座すら残すことなく消えていた。
「……ぐぉ、騎士の心は忘れて無かった、のか」
像の原料が石であれ、人であれ、騎士の心が宿っていたことは間違いないようだ。仲間を殺めることは騎士にとってあるまじき行動。
恥ずべき行為をさせてしまった、と思えばこの展開をトウマは喜ぶことなんて出来なかった。
残ったのは後味の悪い感情。後悔という負の感情がトウマに刻まれた。
「……っ!」
感傷に浸る間もなく残ったグリフォン像が動き出す。もしかしたら、この像にも心が宿っているのかもしれない。
そうであるとしたら、破壊行為は極力避けるべきだ。
「ともかく、俺は急がないといけないんだ!」
死の結末を回避するため、トウマは台座のみとなった像の裏手向かって走り出す。
道中、一冊の本がトウマの目に止まった。周囲に散らばる本はどれも埃を被り、色褪せている。しかし、その本だけは新品でこそばゆくなる光を放っているように見えた。
「……っ!!」
よく分からない言語で書かれているタイトルではなく、その本は漢字で綴られていた。
『二柱の黙示録』――と。




