76話 『名も知らぬ神』
白煙がようやく晴れた頃、トウマは自身の過失を嘆かずにはいられなかった。
皆がどのように遺跡を探索していくか話し合っていた際、自身の隣にある壁に異質さを感じ取ったのだ。雑に積み上げられた石ではあるものの、レンガのように形はしっかりしていた。
しかし、積み重ねられた石の中に手形のようなものを発見した。
自らの手の大きさと比肩してどれくらいだろうか、という子供心が宿ったトウマは手を重ねた。
軽く触れた程度にも関わらず石はスルスルと奥へと沈み、何かのスイッチとして作動。至る所から白煙が生じたのだ。
「……で、霧が晴れたらよく分からない場所ですよ、と」
上を仰げば、蒼天がトウマを見下ろし陽光が射し込んでいる。上空へと上がり、遺跡を一望したい、とは思ったが空は飛べないので野暮だ。
「ここは多分地上エリアってとこか」
欠けた石畳から生える草、広がる蒼、何より圧迫感のない清々しい空気感が証拠だ。
ぐるりと一瞥してみたが、自分だけ孤立している。よもや、あのスイッチは押した本人をどこかへ連れ去る魔法だったのかもしれない。
「まぁ、だから何だって話。俺は生憎と転移魔法が使えるんだよなー」
サラディンにて習得した転移魔法のノウハウは目覚しい成長を遂げた。というより、難しい難しいと言われる所以がトウマにはさっぱり分からなかった。
蓋を開けてみれば基礎を重ね続けた応用――とも言えないものだった。あれくらいなら入試の数学で最後の大問を正答する方が難しい。
学んだことを少しの発展に繋げているだけで、何も難しくない。こうして、スラスラと描くことも――、
「あれ……生物を移転させるのって……ひし形、を描いて……?」
おかしい。一週間前までは当たり前のように描くことが出来ていたのに。『鳳凰の加護』を受けて、即出することが出来たあの時何か意識せずとも反射でプロレベルに出来ていたのに。
描く、描く描く描く描く描く描く――。だが、発動できない。反応が無い。
「論理構造が間違ってる……? なんで急に分からなくなったんだ、最近まで、一週間触れてないだけで、そんな……」
焦燥感がトウマの心を包み込む。嫌な汗が全身から吹き出し、手先をブレさせる。
描く、記憶を頼りに。
しかし、それでも魔法陣は完成しなかった。
「一週間触れてないだけでレベルが落ちるなんてことは――、待て、一週間?」
一週間前、トウマにも大きな変化が訪れた。魔法都市で経験した最悪なことを除く、トウマにとっての最悪。
あの場ではへっちゃらな体を装ったが、心配していたことが起きている。
「……理解を手助けしていたあいつが、居なくなったから、か?」
魔力補給を行い、この世界の文字を読めるようにしてくれた精霊こと名も知らぬ神。
存在が欠けたことで、魔法陣が描けなくなることは起きるわけが――いや、起きる。
文字を読めない場合、誰かがその代役を買う。代役が読めない人間に理解できるように、咀嚼、自分の中に溶け込ませ、理解できるように吐き出す。
それを受け取り、書かれていることを収めていく――その咀嚼、吐き出しをしていた人物によって理解力が高まっていた。
「そんな……」
辛うじて魔法は『手帳』で使える。しかし、トウマお得意の転移魔法は使えなくなった。識字率を戻せばあの頃と同じレベルにすぐ戻れるが、遠回りだ。帰還に時間が掛かる。
時間が掛かれば、エネルギーを奪取せんと誰かが近寄って来る。
「ともかく、歩くしかない!」
不安と心配で身震いする体を何時ものように叱咤し、重い腰を上げる。深呼吸を一つ入れて、力強く地面を踏み抜いた。
※※※
神代の遺跡が全盛期、どのような建築物だったのかは不明。用途も分からない。ただ分かっていることは、迷宮のように複雑怪奇な道があること。
冒険家達がこぞってこの遺跡の地図を作成せんと挑んだがいずれも帰って来なかった。遺跡にたどり着く前に死ぬか、遺跡内で道に迷い息絶えたか。
同じ石を踏むことは二度と無い、なんてことはザラにある。それを承知の上で冒険家達は内部へと入る。無論、それをトウマも理解しているのだが――、
「やっべ、これ印残さないとダメだな」
思いのほかルートが分岐している。曲がり角を進めば最低でも五つくらいの分岐点に立たされる。いずれのうち、どれかを進んでもまた、五つ。進んでもまた五つ、と無限に続いて行く。
「石、石……あった。まぁ名前でも書いてくか」
立ち入った部屋に「冬馬」と漢字で、名前を刻んでいく。
この世界、漢字は全く存在しておらず、カタカナのような形をした文字が度々見受けられた。
それ故、あったら目を留める確率が高い漢字を部屋の壁へと書き記して行く。
「これを第一部屋にして進むか……」
ゲームのダンジョン攻略と同じ要領で潰していくトウマ。しかし、何ともつまらないものか。作業ゲーも良いところだ。
「宝箱か何か面白いものは……お?」
初めの部屋を出ようとした時、部屋の隅に棚が配置されていることに気がついた。ポツンと、惚けた顔をしてそうな棚に近づいてみれば、中には本がある。
トウマはそれを「ラッキー」なんて言いながら手に取り、嗜むことにした。
多少の埃は被ってはいるものの、払えば何とかる程度だった。
「って、文字読めなかったわ……」
中を開いても知らない暗号文のような羅列があるだけで、解読は困難を極める。
折角の暇つぶしを見つけたと思ったがそうは問屋が卸さないらしい。
大人しく引き下がって、廊下に出る。しらみ潰しに候補を潰して行く。先程も述べたように作業ゲーも良いところである。
石を使って子供の頃のように落書きするのは思いの外悪くはない、と思った時――、
「まさか、こうしてる間に未来は確定している……?」
二部屋目で「冬馬」と名前を刻んだ時にふと昨晩のことを思い出した。
自分が知らないところで、もしくは自分がそのきっかけを作り出しているかもしれない。
「分岐点に立って、悪い方に進めたのは白煙か……?」
もしもそうであるならば、急がねばならない。これ以上の悪化を防ぐためにも遺跡を離れるのがベスト。部屋を一つ一つ確認してでは遅いかもしれない。
「くっそ! 装備も使えるものは一つもねぇよ!」
かと言って自身が優れた能力を所有している訳でもない。
これまでもその状況ながらいくつもの死を回避して来た。
「……ヘルメスを呼べば何とかなるか?」
絶望に喘ぐ中、灯火を宿したのはヘルメスという選択肢。しかし、今回彼は公的な理由、仕事で来ている。つまりは国の一大事に関わるかもしれない訳だ。事態の把握と収拾を急ぐはず、トウマに助力して手遅れに、なんてことは避けたい。
「だぁクソ! 作業ゲーなんてやってる場合じゃなかった!」
持っていた石を投げ捨て、部屋を後にする。
トウマもかつての冒険家達と同じルートを辿ろうとしていた。
物事は急を要するなかでも冷静さを必要とする。「急がば回れ」という言葉があるように、遠回りをした方が良いことがある。
「みんな、どこに行ったのでしょうか……」
近道をしようと焦るが故に、こうしてミレーユとの再会もすれ違いになってしまうのだ。
「これは、文字か何かですかね……見た事ないです。これも……二百年前の出来事と関係あるんでしょうか」
今しがたトウマが出て行った部屋に辿り着いたミレーユ。連絡を試みたが、不思議なことに言葉が届いていない。霧の発生で、貝がイカれたか、はたまた奇妙な力によって遮られているのか。
「五人は……大丈夫でしょうか」
※※※
時刻を同じにして、遺跡の大門前。あちこちが欠け、神話時代の遺物という雰囲気を纏っていない下に影がさした。
「はぁ、はぁ……」
息を切らし、衣に赤を湿らせようやく、と言った思いで辿り着いたのだろう。
「……ボクの侵入を拒もうとしてるんだね」
虹色の瞳に目には見えない境界線を捉えてそう言った。
手をかざしてみれば、微細ながらも強力な特定の人物を阻む術が展開されている。
「フローレンスの名に置いて、確実に仕留める」
確固たる信念を全身から滾らせ、フローレンスと名乗った少女は結界と向き合った。
全ては、内側にいる自身の息子を助けるために――。




