68話 『リターン』
深い睡眠から醒めたような身体の重さ、近場で響く戦闘音。
それらを感じながらトウマは瞼を開けた。
どうやら身体が重たいのは覚醒直後だからでは無いらしい。
左目は相変わらず機能せず血で溢れかえっているし、全身のあちこちが鞭で打たれたように皮膚が弾けている。
「ぐぅ……」
それでも立たねば、立ち上がらねばならん。
トウマは立つ必要がある。仲間を助けに行かなけれぱ。
岩を起こすよりも重量のある上体を起こし、目の前で繰り広げられる戦闘に意識をやる。
「はぁ、はぁ……」
「いい加減よろしいですかな。私の目標は貴方ではない」
見知らぬ着流しの老人が徒手のミレーユに刀を向けている。
(あの老人は……誰だ……つーか、日本刀なんてこの世界に――?)
「それでも、倒れているトウマにはトドメを刺さないんですね」
「己の信念に従い生きるのと同義で、騎士道精神に則っているまで」
「なら、虫の息である私たちを助けるという騎士道精神はあるはず」
「お二方を見逃せないという事情があったのなら、そうしたことでしょう」
老人がチャリと音を立てながら刀を向ける。ミレーユは相も変わらず拳だ。どこぞの馬鹿に似ているな、とトウマは思う。
「そんなことより……ゲフッ」
踏ん張りを利かせた、いや無理やり殴り起こした下半身が再びコントロールしずらくなっている。動かすことは出来るが、思ったように力が入らない。
再び拳で、そう思った時、ポケットが怪しい光を放った。
「……っ! こんな時に!」
念の為、二人には背を向けて『手帳』を取り出すトウマ。
血塗れになっている指が黄ばんだ紙に赤を刻む。
光漏れるページを開くと、拙い字で自他、どちらかの死が綴られてく――、
『ジュラル・パーキンズ→蟻に身体を喰われて死亡』
「……? 誰だ、それに蟻?」
小刻みに震える手で食い入るように何度も字面を読み返す。
知らない名前と、有り得ない結末。
(蟻? 蟻に喰われるって……何だ)
しかし、ここは異世界。普通でないことが普通であることが常識で、トウマだけがそれを異常と認識する。
つまり、彼が異常と思えることが現実になると言い換えても良い。
(人を喰う蟻……そんな化けもんはここには――)
「がぁっ!」
「っ! ミレーユ!」
壁と接触する鈍い音、そして呷る少女の声に思わず名前を叫ぶトウマ。
『手帳』をしまい込み、身体を反転。
すると、トウマの声を耳にした老人がギロっと鋭利な視線を向ける。
「目覚めの時、待ちわびましたぞ」
家屋に項垂れ、額から血を流す少女に背を向け、特異な容姿をした老人がトウマを見下ろす。
大きい、老人……活力が衰え、心身ともに削られていくはずの存在なのに。
越えられない壁のように大きい。
そう見えているのか、はたまた事実、デカイのか。
血が一切付着していない刀を、トウマの首元に当てる。
「冷たい……」
全身のあちこちが炎のように熱いトウマにとって、鋼鉄の刃の温度は氷気よりも冷たかった。触れた首の血管が萎縮し、死の香りが強くなる。
「お久しぶりですな。こうして対面し、堂々と話すのは初めてですな」
「…………」
「緊張で言葉が出ませんかな。この刃を下ろすことはない故、承知して頂きたい」
「…………」
「……その目は何だ」
残った右目で、老人を見上げるトウマ・カガヤ。その瞳に映っているのは、これから起こる自身への悲劇でも、ジュラルという人間を救わなければという責務でもない。
何の特徴も無い黒目に宿っているのは――
「――虚無、これから死に行く人間としては珍しいですな」
「虚無なんか、じゃない。一つ、一つだけ聞きたい」
「今この場で貴殿が質問をする立場などではないことは承知しているはず。私の方から――」
「あんた誰だよ」
「何と、嘘で私を欺こうとは。貴殿は街の崩壊に一役買っただけでは飽き足らず、そこまで成り下がったか」
「――――」
挑発的な言葉。
それに対し、トウマは右目でジッとシワの刻まれた老人の顔を見つめた。
街の崩壊に一役買ったと言われ、思いたる節はある。『大魔法陣』の発動が恐らくそれに該当する。それで、多くの人が亡くなったかもしれない。
ならばトウマは謝罪する必要がある。謝罪の気持ちが彼には必要だ。しかし、それ以上にトウマの心を占めているものがある。
「トウマ殿、子供騙しをする年齢でないことは知っているはず」
「――――」
答えを待つ。名を挙げるまで。答えを待つ。彼がジュラルという人間で無いことを信じて。
「いい加減になされよ、お遊びでやっている訳では無いのですぞ」
「――――」
待つ、待つ。答えを出すまで。
「トウマ殿」
「――――」
もう死の恐怖なんて捨てた。死にそうな場面は今日だけで何回も経験した。刃が首に当てられたぐらいでトウマは揺れない。
「トウマ殿!」
「――――」
揺れぬ。揺れてはならない。大山の如く。静寂を、閑散とした街のように。静かに、待つ。
「その頑固さ、我が息子に似ている……。その劇に乗って差し上げましょう。私の名前を今一度、脳に刻むのだ。
私はジュラル、ミユ様の騎士であり、騎士団の団長。『豪剣』の異名を持つ、王国の騎士だ」
「……っ!」
その時、ようやくトウマの黒目にブレが生じた。トウマ自身がそれを感じ取ると同時に、ジュラルも目の動きを見逃さない。
「これで良いでしょう。茶番に付き合った以上、私にも対等にしてもらう。
貴殿は自身が犯した罪をご存知か」
「知らない……何も。俺はあんたの名前も初めて聞いた」
「いい加減にしてもらいたい。裏切り者の力を借りてここまで来たというのに、貴殿の茶番に付き合う羽目になるのはごめんだ」
「裏切り者……?」
「ご存知無いか。アモデウス家が貴殿を捕まえたこと、貴殿が地下牢に逃げ、脱出していることを知らせた張本人が誰なのか」
「――」
「主を裏切るなど人に非ず。従者とあれば死ぬまで忠節を示すべきなのだ。
やはり彼らは人に成り損なった化生。どこまで行っても殺しの能力しか秀でていないのだ」
「――っ! まさか」
「アモデウス家に仕える暗殺一族のお頭、ダイシバだ」
「あの男が裏切るなんて……そんな『大罪』を……」
「遠からず罰を受けるでしょうな。『大罪』を犯し、無事で済むはずがないのだ」
この世界の『大罪』は裏切りだ。裏切りはこの世界では最も重い刑罰を下される。
その昔、『忘姫』と呼ばれた人間が犯したことが始まりで……。
他人の情を弄ぶことと捉えられたからだ。
「貴殿も同様なのだ。主人の期待と好意に気が付きながら、悪なる組織に手渡そうなど、『大罪』と等しい!」
「だからっ! 俺は、そんなことを――!」
「憶えていないと言えば許されるとお思いかっ! 過去の出来事は貴殿が憶えていなくとも、起きたことに変わりはない! それで人が傷ついたのですぞ!」
「……っ!」
トウマの脳裏を黒焦げの遺体が過ぎった。
全ての始まりは老人の言う所から、そしてその果てはあの無惨な死体。
「ミユ様よりも先に貴殿を何としてでも捕らえたかった。トウマ殿と仲違いしたと言ってはおられたが、やはりどこか戸惑いがあった故な」
「柱が立ち上った直後、そちらに向かわれ現在も消息は分からぬが、恐らく私の兵が安全を確保している所だろう」
ちょっと待て、とトウマの中で最悪な事実が輪郭を帯び始める。
チラッと、壁に項垂れるミレーユに視線を向けると彼女はふいに視線を逸らした。
「……おい、まじかよ。一体、誰が」
そう聞くと、ミレーユの唇が縮こまった。力の籠っていない指先で彼女は自分を向けた。そして、ゆっくりと残酷に、彼女は自分に向けた指先を――トウマに向けた。
「……ぁ」
全てが繋がった。
あの遺体はミユという少女で、殺したのは俺と彼女の二人。
故に彼女は驚愕していたのだ。あの時、誰が殺したのかと訊ねた時――
「ぁ、あぁ……ぁぁああ!」
不思議と、今まで何をしても思い出せなかったものが起き上がって来る。
忘れていた全てを、『代償』として失った『記憶』全てを。
無垢な少女との出会いから、交わり、敵として認識した時、そして――自らの手で命を奪った時のことを。
貫いた剣。矮小な身体で健気に戦い、トウマの頬を小突く。
最期には命が潰えるあの瞬間、少女の顔から血が引いていく様を――
「あぁ、やめろ……やめろぉぉ!!」
頭を掻きむしり、涙を零しながら全てを思い出したトウマは自身の首を絞める。
「そうはさせませんぞ!」
ギュッと力が籠り、落ちるより前にジュラルの剣がトウマの両手首よりも先を正確に切り落とす。
「がぁぁぁあ!!」
「やめてっ!! 死んじゃう!!」
「黙らぬか! 死して当然の男なのだ!」
遠巻きに見ていたミレーユが叫ぶがジュラルはそれを一喝。
両手首に迸る焼けるような痛みと、過去の出来事に涙を零すトウマ。ボロボロの身体、さらに手を落とされたことで大量出血で遠からず死ぬだろう。
ジュラルが白刃を振り上げる――、
「待って、待ってぇ!!」
「さらば、あの世で悔いるのだ」
ジュラルはなんの躊躇いもなく、忠義に従って刀を落とした。
それがトウマの鎖骨を両断する――直前、突如として弾かれた。
後ろに仰け反り、何が起きたのか誰も理解出来ていない。ジュラルは正面を凝視する。先程の衝撃は刀とは反対方向から飛んできたものだ。
誰かが立っている。幼い少女のような体格だ。腰まで伸ばした金髪と虹色の瞳が特徴的で、神官のように真っ白な衣を羽織っている。
「神の息子に、いや、ボクの息子に手を出すとは、いい度胸をしているじゃないか」
自らを『神』と豪語する母が立っていた。




