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60話 『誰かに見ゆることのある人生を』

 キュッと縄で締め付けられるような圧迫感。

 極限まで迷って結局何も手に負えなかった絶望感。 この感情をどのように言い表せば良いのかトウマは分からなかった。


 しかし、この状況下で救いの手を差し伸べる人物が一人。

 晴天のような蒼の瞳を開き、長い眠りから目覚めたミレーユだ。


「……ごめんなさい、もう大丈夫です」


「っ、ミレーユ! 起きたのか」


 今の自分ではどうすることも出来ない。正しいのかそうでなかったのか、判断できなかったのだが唯一の依代がようやく目覚めてくれた。


「うん。ずっと迷惑をかけてたみたいで、すみません」


「全然、任せろって言っただろ?」


「そうですね。それより、今は――」


 遠く、とまではいかないが数メートル先で膝から崩れ落ちてグスっと泣いている少女が目に入ったミレーユ。

 しかし、その娘には見覚えがあって――、


「あっ……あの子」


「やっぱ知り合いか……戦ったって聞いたけど」


「はい、でもどうして泣いてるんですか?」


 一度戦ったとはいえ、ミレーユは完全に敵とは見ていないし、あの時はお互いに譲れないものがあったことを理解している。


 彼女の言葉にトウマは消えかけていた焦燥感が再び起き上がるのを感じた。


「額が少し赤くなってますね、トウマさんがやったんですか?」


 背中越しに感じる彼女の声はいつもとは変わらない。それでも、どこか重たく怪訝そうな雰囲気を纏っているのを感じ取った。


「だって、仕方なかったんだ。背中には君がいるし、やらなきゃ俺たちが死ぬし。俺、もう魔力がほとんど無かったんだ! 魔法もほとんど使えない。なんとかしなきゃ俺たちが死ぬ。防ぐためには殴るしか……」


 やや早口で、それでいて丁寧に説明しようとあたふたするトウマ。

 もちろん間違っているなんてミレーユは言えない。このようにしてしまったのは自分が九割悪いと理解しているし、トウマを責めるつもりは一切ない。


「え、あ、ミレーユ!」


 抱えられていたトウマの背中から離れて、ミユの元へと歩み寄るミレーユ。

 心なしか右手に微細ではあるが魔力が宿っているのを見て取れる。


「……グス、……っ!」


 自分の元へと脅威が迫っていることを感知したミユは顔をバッとあげる。

 顔中を濡らし、潤んだ瞳で見上げる様は捨て猫のようで、ミレーユの心を締め付けた。


 ソッと手を伸ばすミレーユ。やはり伸ばす手には魔力が込められている。ゆっくりと、確実に、手が迫ってくる。


 その時、ゾワッとした何かがミユの中を駆け巡った。

 重なる、全てが……自分が拾われた時と、同じように――。


※※※



 ミユという少女は拾い人だ。

 皇族の血を宿していることは全く持ってない。

 奴隷として買われた家に結局捨てられていたところを拾われた。

 それでも皇族と同じような待遇を受けているのは、皇帝の正妻が溺愛しているからだ。


 正妻は中々皇帝との間に子供を作ることができず、苦しみの日々を送っていた。

 皇帝の跡継ぎを産むことが出来ない自分はいずれ地位を落とされるやもしれない、その焦燥感が募っていた。


 それは快晴の日だった。

 正妻は気晴らしに外へと出た。

 今回はお忍びで、街の裏、路地裏へと入ってみよう。一歩間違えれば帰れなくなってしまうかもしれないスリルを味わいたい。


 この気持ちを紛らわすにはそれほどでないと意味がないと思っていた。故に、スラム街へと立ち入った。


 彼女を初めに刺激したのは、ツンっとするような、なんともいえない異臭。

 目に見えるのはただの裏路地でも、臭いはどこまでも広がるものでスラム街の入口の境界線、それより手前で小汚い臭いがした。


 鼻ときたら次は目だ。

 何十日も風呂に入ってしないのか全身ゴミまみれで、無精髭を生やしていたり、ボロボロの衣服を纏っていたり、ゴミ箱を漁っていたり、ネズミがそこら中を彷徨いてた。


 すぐにでも帰ろう、そう思った。その時、目に入った少女がいた。

 周囲に比べれば一回りも、二回りも小さい。加えて、まだほんのりと艶の残る紫の髪には猫耳が生えている。

 愛情を知らなさそうな、孤独でいっぱいな少女を見た時彼女はこう思った。


「あの子を幸せでいっぱいにしてみたい」


 昔ながらの夢であった。

 子供が出来れば一番に叶えたい夢がそれであった。

 何故その子を選んだのかは分からない。だが、一目見て思ったのだ。

 愛で満たされた時の顔を見てみたい、と。


 故に、そっと優しく手を差し伸べた。



※※※



 初めは怪訝な顔をされたものだ。

 王宮、国家の中で一番の最重要地で、最も美しいものたちが住まう場所。

 そこへ飛び込んで来たのはスラム街の少女。それも、亜獣族。

 人族以外受け入れることのないそこで、「獣」が彷徨くことなど許されるはずも無い。


 しかし、彼女も引くこと無かった。

 地位を捨てる覚悟で少女が住まうことの許可を乞う

た。

 結果として皇帝が折れたが、その日から正妻である彼女は白い眼差しを向けられることになった。


 それでも良かった。自分は血が繋がっていないとはいえ子供を得ることが出来た。

 長年の夢が叶った――はずなのだが、どうも違う。


 少女は笑わなかった。そればかりか、自分がまだあの路地裏に取り残されているかのように死んだ瞳をしていた。

 日々精進した、まだ不安なのかもしれない、また捨てられるのかもしれない、毒が入っているのかもしれない、人が怖いのかもしれない。


 あらゆる可能性を考え、毎日諦めることなく話し続けた。

 


 そして、ある日気がついた。

 少女に名前を与えていないと。

 もしかしたら少女には元から与えられた名前があったかもしれない。

 それを呼んで欲しいのか、いやもう忘れてしまっただろう。それか、もとから無いか……。


 名前だ、名前。ずっと付けたかったものだ。子供が産まれたらなんて名前にしようかな、と毎日考えたものだ。

 毎晩寝る間も惜しんで考えた、候補はいくつもあった。

 名前を与える、ただそれだけ。

 にも関わらず、彼女は一週間悩んだが決められなかった。たかが名前を送るだけなのに、どうしてこんなにも難しいのか。


 名前とは、一生かけて抱えていくモノだ。

 名は体を表すと言うように、名前=人生、というようにして生きていく人間もいる。

 それだけでは無い、名前はその人が所有する世界で唯一無二の財産。一生で一度きりの何よりも重要で、貴重で、慎重にならないといけない。


 故に難しい、自分の一言で少女の人生が決まる。引いては自分の子供の人生が――。


 目の前にいる幼子は、誰にも見られることなくスラム街で生きていた少女だ。

 幸せで満ち溢れているところを見たい。そうすれば皆が彼女に注目する。いつしか神のように崇められるかもしれない。


 幸せ、注目、崇める。


「貴方の名前はミユ、としましょう」


 虚空を見つめ続けていた少女、否、ミユの瞳にパッと希望が差し込んだように見えた。

 

「誰よりも幸せになって、誰もが『見ゆる』、『尊敬』されるような生き方を――」



※※※



 どうやら名前を与えられたことが嬉しかったのか、それとも人として対等の地位に立てたような気がしたのかミユは笑うようになった。

 

 十分すぎるくらい、些細なことでもすぐに花を咲かせる。

 名前の通り、誰もが『見ゆる』存在となった。心を射止められたものは多く、やがて彼女は皇族と等しい位にまで。

 市井に出れば誰からも『尊敬』される人間へとなった。

 スラム街で孤独に、愛に飢えていた彼女が満たされている。

 それを思えば彼女は微笑まずにはいられなかった。

 親バカ、とはよく言ったもので本当に彼女はミユの為ならどんなこともした。


 子供が欲しかった彼女、愛が欲しかったミユ。

 二人の関係はパズルのように合致した。

 愛というものが素晴らしい、とミユは知った。

 愛された自分が今度は誰かを愛してみたい、そう思ったところで現れたのがトウマ・カガヤである。


 見た目も平凡、能力が秀でている訳でもない。自分を好いてくれている訳でもない。

 それでも、どういうわけかトウマといると心が落ち着くような気がした。たかが数日、されど数日。

 自分を愛してくれた人と過ごした日々のように濃密で甘い日々だった。


 しかし、トウマは裏切ったのだ。

 世界では禁忌とされる『大罪』を犯した。

 自分との出会いから何までも忘れて、自分を殺そうとしていた。

 そんな訳はないと、信じてサラディンへと着いてきたが事実だった。


 騎士ジュラルはどこか向こう見ずで、感情に左右されやすい人間であることをミユは理解していた。正直に言えば信じられないのだ。

 そんな性格をしている人間が言う言葉など――。


「誰だっけ」


 と言われたのが心に刺さった。ナイフのように深く、どこまでも深く。

 そして、先は殴られた。殴られたのだ。

 あの日と同じように、親に捨てられしがみついたが殴り飛ばされ独りで孤独に浸っていた。


 信じていた人に捨てられた。あの人は自分を「獣」扱いはしないと信じていた。買主にそう呼ばれていた。鬱憤を晴らすために買われたのだと、すぐに分かった。


 誰かに愛されたい。ただそれだけ。いつしか、自分も誰かを愛してみたい。


 その感情は一時期は満たされたが、やはり満杯になることは無くて、グラス半分に水が入ってるくらいまでだった。


 愛したいなぁ。こんな自分を受け入れてくれる人に逢いたい。

 しかし、殴られた。やはり殴られたのだ。あの時と同じように、また孤独に晒された。


 また同じ人生を辿る。

 こうなるなら、もういっその事――



※※※



 伸ばされた右手に魔力が籠っている。

 分からない、怖い。また、殴られる。そう思ったミユは――、


「……っ!」

「ミレーユ!!」


 差し伸べられた手を振り払い、攻撃をした。

 再びまた殴られる人生に戻るなら、誰にも『見ゆる』ことのない人生に戻ってしまうなら、もう誰も信じない。

 誰かに愛されるなどと思わない。


「フーッ! フーっ!!」


 牙を剥く、研いでいた爪を向ける。

 もう失敗はしない、誰かを信じようと思わない。殴られる人生とおさらばする。

 

 ミユは『見ゆる』ことのない人生を、「獣」として生きる道を選ぶ。

 

「……トウマさん、もう、無理です」


「無理、ってなんだ」


「もう、自我を完全に振り切って獣化してしまいました」


「今までは、意図して人間の意識を残していた、ということか……?」


「はい、ですが……もう無理です。こうなれば最後――」


 グッとミレーユの手に力が籠る。

 聞きたくない。やめてくれ。頼む。

『記憶』を失っているとはいえ、一度決別したとは言え信じたくない。

 聞きたくもない。そうしなければいけないなど。やめろ。口にするな。聞きたくない!


 しかし、現実は非情で、事実で、受け入れ難い現実を突きつけてくる。


「殺すしかありません」


 

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