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61話 『得たものは愛か孤独か』

「殺すしかありません」


 受け入れ難い事実。目を背けたくなるようなミレーユの言葉にトウマは耳を塞ぐ。

 殺す。殺すのだ。殺してしまうのだ。

 人が取る最終手段をここで、容易く、いや簡単などと言い表すことなんて出来ない。


 ミレーユの拳も小刻みに揺れ、血が出そうなほど真っ赤に力が籠っている。

 彼女も苦渋の選択だ。少なくともトウマはミレーユが人殺しをしている場面に遭遇したことが無い。


「私が、私がやります」


「え、ミレーユ……」


「仕方ないでしょう。こうなったのはほとんどが私のせいですから」


「そんなことはない」と否定することは出来なかった。いや、否定してはいけない気がした。トウマから見て、彼女は現在何か重いものを背負っている様に見える。

 責任を持って、事態を終息させようとしている。しかし、たった一人に背負わせて良いのか――。


「ガルルルルっ!!」


「獣」が跳躍。速い。自我を持っていることが余程ストッパーになっていたのか、比較出来ないほど素早い。

 初見での対応は不可能。手に持っていた杖を使うことなく本能のまま爪を迸らせる。

 サッと軽いように見えても、ミレーユの頬には朱が刻まれていた。


 再び地面を蹴り抜く。四足歩行で大地を走る様はサバンナの虎を彷彿とさせる。

 あどけない幼気さがあった顔にはそれが微塵も感じられることはなく、殺気と獲物への執着が見えるだけだ。


 再びの跳躍から爪の一閃。

 ミレーユはこれを氷で作り出した剣で防御。

 すると、今度は一度で終わらず二度、三度と鋭利な爪が走る。


 油断なく的確にミレーユは爪を防ぐ。彼女もまた笑っていない。笑えるはずがない。

 四度目の爪が走り、氷剣とぶつかった瞬間――バリンというガラスが割れるような音と共に剣は粉々に砕け散った。


「……っ!」


「獣」は一寸の隙も見逃さない。意識が砕けた剣へ移ったとマリンの双眸で捉えた直後、ミレーユの細くしなやかな足へ唸り声と共に牙が刺さる。


「ガルァァァ!!」


「……いっ!!」


 焼き石を押し付けられたかのような熱い痛みが走る。

 犬歯が刺さったまま、自分の方へ引っ張る「獣」。顎の力も馬鹿げている。下手に抵抗すれば肉をごっそり持っていかれる。

 脱力し、引っ張られる方向に倒れるミレーユ。衝撃を抑えるため額に手を置き、体を丸めていた彼女はそのまま引きずられる。


 ドロドロと流れる生温い血に涎を垂らす「獣」にミレーユは風魔法をお見舞いする。

 顔面に魔法を食らった「獣」はとっさに腕を挟んだが、激しい裂傷を負った。


「……っ、どう、したら」


 一連の流れを遠くで見守るトウマは動けずにいた。脳内の思考は音を立てて回っているものの、体は一切動かず二人の攻防に釘付けとなっていた。

 トウマは未だに別の解決策はあるんじゃないか、と緩い頭で考えていた。


 獣化し、自我を完全に手放したとはいえ何か戻す方法はあるはず。

 彼女のとの『記憶』を失ったとはいえ、トウマにも出来ることはあるはず。

 殺すという手段を取らずとも、平和的解決は出来る――、


「……ぁ」


 何を言っている。甘い考えだ。

 彼女を先に突き放したのは自分だということに気がついた時、全身が芯から凍えたように感じた。

『記憶』を失い、誰かも分からず牙を剥いてきた彼女と決別を告げたのは他ならぬ自分だ。


 あの時点で取り返しなんて、平和的解決なんて捨てていたも同然。今更何を考えている。


「ガルァァァ!!」


 奇声に近い唸り声を聞きながらミレーユは回避に徹する。

 噛まれた脹脛は相も変わらず血が噴き出ている。先程と同じように防げば足に力がいき、さらに傷が悪化する。


「危険を承知で、やるしか、ない!」


 何かを決意したようにミレーユはサッと左手を伸ばす。そこへ「獣」が飛びつく。

 再び二つの穴がミレーユの体に刻印される。グッと痛みを堪えながら「獣」を地面へと押し付ける。


 馬乗りに近い体勢となり、空いた右手を「獣」の顔に近づける。魔力を右手へと集約。至近距離、かつ彼女が使うのは一撃必殺の火魔法。

 閃光が走った直後、ドンっと焦げた臭いが周囲に充満する。


「……っ、ミレーユ!!」


 自爆覚悟の攻撃なんて思いもしなかったトウマは気が付けば走り出していた。

 大量の二酸化炭素が肺に侵入してくるが、それくらいが何だとトウマは前へと進む。

 爆発だ。

 ミレーユは死んでいてもおかしくは無い。ゼロ距離であれを耐えられる人間なんていない。


 肉が焼けた香りが鼻に入った直後、


「……ひっ」


 無意識に顔が引き攣った。

 呼吸することなんて忘れた。

 黒ずみと化したそれを見た時トウマは吐き気でいっぱいになった。

 黒焦げとなった小さな体はグッタリと生気を感じさせないほど倒れている。

 しかし、もう一つ、あともう一つが見つからない。

 やはり、彼女は――、


「ケホっ……」


 小さく掠れた声で咳き込む声が耳に入った。

 振り返れば反対の家屋へと叩きつけられたのか、凹んだ壁に横たえるミレーユが。

 右手は真っ黒に変色し、あちこちから血を流している。


「ミレーユ!!」


 すぐさま駆け寄り状態を確認するトウマ。

 幸い呼吸はある。それを知っただけで、トウマは胸が少し軽くなった。

 だが、少しだ。本当に少し。

 真っ黒な炭となった「獣」の骸を見ると、胸が重くなって――、


「……あ?」


 信じられぬものを見た。

 消し炭となったはずの「獣」。矮小で、至近距離の爆発なんて耐えられないはず。

 即死なはずなのに、どうして。

 血と炭が混じった全身を無理やり起こし、もうほとんど生気が宿っていない瞳をトウマに向けている。


「ころ、す……き、らい……」


 ほとんど声になっていない。当然だ、声帯はほとんど潰れている。

 今すぐにでも消えてしまいそうな火のような存在なのに、大人しく死を待てば良いのに――、


 もう牙も爪も無い。

 あるのは意地と執念だけだ。

 目の前の敵を屠る。

 自分を殴った人間を、自分を見捨てた人間を殺す。

 その信念だけは譲れない。例え愛されることを捨てても、自分が捨てられる側だけにはもう回りたくない――。


「……フー、ゴフッ……」


 千鳥足でゆっくりとトウマの元へと向かってくる。血を吐きながらも、真っ直ぐ歩くことが出来なくても、目の前にいる青年だけは見失うことなく。

 

 ミレーユはもう動けない。

 彼女に全てを任せようとしたからだ。故にこうなった。

 矮小な体。即死出来なかったことが不運で悔やまれる。放っておいても、もう死ぬ。あと数分でその命は天へと旅立つ。


「…………」


 もう声を出すことすらやめて、「獣」は一歩また一歩とトウマへと歩み寄る。

 生気は欠いているものの、殺気と怨念だけは宿っている。つまり、無防備に迎え打てば死ぬ。

 やれ、やるんだ冬馬。

 こんな体で苦しみを、痛みを長引かせるな。

 迷うな。躊躇するな。全てをミレーユに押し付けるな。

 元凶は貴様なのだ――、


 見よう見まねで、トウマは土魔法で両刃付きの剣を作る。

 一瞬だが、今までで一番思いを込めた。どんなものよりも鋭利で、重くて、力の要らない剣を。


 ビチャ、ビチャと音を鳴らしながら近づく「獣」。

 痛々しい。

 あちこちに穴が空いた衣服。

 顔中が真っ黒。

 全身からとめどなく流れる血液。

 どこか腫れぼったい両頬。


 近くなるほど、胸が締め付けられる。剣を持つ手が震える。

 死の臭いが、する。

「獣」が力の入っていない右拳を振り上げた直後、剣の間合いに入ってしまった――、


「……ゴフッ……」

「…………っ」


 気が付けばトウマは持っていた剣を前に突き刺していた。皮膚を肉を突き刺し、さらには心臓を貫く最悪の感触。

 繊細な体から、もうほとんど残っていない血が噴き出た。

 時間が、止まったように感じた。

 しかし、「獣」は止まっていなかった。

 振り上げた拳をゆっくりと、本当にゆっくりとトウマの頬にペチっと付けた。


「…………えへ」


 やってやった。という顔をした直後、全身から力が抜けた。

 同時、トウマはその場にへたれこんだ。

 ビシャという音と共に遺体が地面に転がる。

 

「あぁ……ぁぁぁぁあ――!!!!」


 あちこちを掻きむしる。

 手に残る感触と、最後に「少女」が見せた表情を何度も、何度も思い出されながら叫ぶ、叫ぶ。

 

 反対に、「少女」はやはり「殴ってやった」という満足そうな笑みを浮かべて固まっていた。

 

 


 


 

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