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59話 『獣と少女』

 希望の光のように輝く光線の上をトウマは走る。

 背中に人をひとり抱えながら走るのはなかなか足腰に響くが耐え抜くしかない。

 突如の爆発を回避したが、脅威はまだ立ち去っていないとトウマは考える。この街全体、どこに潜んでいるかも知らない敵すべてを回避するのは困難である。

 

(まだ、まだだ絶対に何かが来る……)


 脳内の信号は依然として赤のままだ。『手帳』に記された死の宣告はずっと変わらないまま。街を出てからも同じなのかは知らないが、こうして走っている間に飛び出してくるのが漫画ではおなじみなのだがーー、


「……っ!」


 ザッと土埃を立てながら障害がトウマの行く手を塞いだ。

 空は真っ黒に染まり、月光が届きにくい場所ではあるものの小さなシルエットが眼前にあるのが分かる。ゴクリと固唾を飲む。前後に動いていた足は止まり、右足は半歩引いた状態で固まった。


「やっぱりここで、か」


「もう決めたよミユ、トーマが迷わなくなったようにミユも迷わない」


 陰からゆっくりと出現。猫耳を携え、紫陽花のような髪を下ろした少女が鋭い眼光を浴びせる。獲物を見つけた百獣の王のように、トウマを視界の中心に置いて動かない。


「猫だから夜目が効く、鼻も良いし音もよく聞こえる……。人間とは真反対だな」


「そーやってミユを人間じゃないみたいに言うんだ。トーマも同じなんだね」


 どこか寂しげになにかの記憶に浸るミユ。死にゆくトウマへの寂寥感ーーではなく、過去の忌まわしい記憶だろう。

 どうする、どうするべきだ。

 以前対峙した時は準備万端・体調良好だったが今回は違う。

 魔力は底を尽きかけ、どういうわけか体も絶不調。背中には守るべき存在があり、おまけに『鳳凰の加護』も切れた。

 最悪だ。ダンジョン攻略で回復ポイントを無視してボスに挑んでいるかのような状況にトウマは口角を上げずにはいられなかった。


「お姉さんも戦って、敵だって分かってるし良いよね」


 彼女の言葉にゾワッと冷たく恐ろしいものが全身を駆け巡った。

 ミユはトウマが抱えるミレーユも攻撃対象に入れているというのだ。

 まずい、そう思った時には取り返しのつかない状況だった。

 ハンターのように自らを低地に置き、マリンの瞳には殺気が。


 刹那、トウマは渾身のサイドステップ。同時に元いた場所の大地が割れ、逆さの鍾乳石が露出。鋭利な先端が無数に地上に顔を出した。

 呆気に取られているトウマとは反対にミユはすでに杖を振っている。

 パリパリと音を立てながら大気が氷気を帯びる。周囲の温度が低下するのを肌感で感じつつもトウマは脂汗をかき始める。


 氷気が集結ーー氷の結晶が霰となって降り注ぐ。狼狽える間も無く足を動かすトウマ。しかし、結晶が落ちる速度が速い。幾つかがトウマの頭を穿つ。石を投げられた様な痛みをグッと堪えながら、背負っている少女だけは守らんと躱す。


 必死に足を動かし光線からズレたところにある家屋を盾にせんと、飛び込むトウマ。ちらりと覗いて見れば、氷の弾雨を無人の境を往くが如く四足歩行で走るミユが焦点を集めた。


「何じゃそりゃぁぁぁぁーー!!」


 安全地帯かのように思われた盾も捨てざるを得ない。すぐさま立ち上がり、ミレーユを連れて行こうとするが小さな影がトウマを覆った。まさかーー言葉を発する前にミユの攻撃がトウマに届いた。胸に刻まれた赤の傷痕は、獰猛な獣に爪で引っかかれたかのように皮膚を切っていた。

 ジンとした熱を帯びた傷により、さらにトウマの危機感を煽る。


「ーーっ!」


 目の前にいる少女ーーいや、「獣」を見てトウマは胃に重たいものが沈んでいるように気分が悪くなった。 

 全身の毛は逆立ち、ハイライトの消えた瞳はどす黒く濁っている。手先の爪はナイフよりも鋭利で血が滴っている。


「獣」を狩るのは狩人の仕事。つまり、トウマは殺さなければいけない。ここで逃げても再びこの「獣」に襲われる。殺さねばーー死にたくなかったら、心臓を止めなければ。


「でき、ない……」


「フーっ、フーっ!」


 少女とは言えない「獣」は、鼻息を荒くし標的を変更。迷うな、あの時決めたはず。この少女を殺すと。

 それでも殺すって、本当に殺すのか? 「獣」とはいえ肉体は人間、しかも幼子だ。妹を殺すに等しいことなのだ。許されるのか? 祖父母はそんな自分を受け入れてくれるのか? そもそも殺しなんて……。


「獣」は人ではない。「獣」はペットではない。「獣」は都合の良い生き物ではない。

 空気を読むなどもってのほか、容易く狩りのしやすい獲物めがけて突進する。


「待て……っ!!」


 行かんとするミレーユとの間に割って入るが、「獣」はそれを跳躍で軽々と避ける。

 虚無感と脱力感がトウマの足を引っ張る。喝の入っていない声を出したところで威嚇にもならない。微々たる声など「獣」の耳にすら入らない。

 大地を駆ける「獣」。壁に凭れるミレーユ。二人の距離はすぐに埋まる。


 やるしかない、やるしかないのだ。守るためにはーー!

 右手を無理やり起こす。遠ざかる「獣」に照準を合わせる。そして、詠唱する。


「イグフェルノっ!」


 爆発を伴う火玉を生み出したトウマ。勢いを落とすことなく迫る危機。

 野生の勘か、「獣」は火玉を爪で振り払う――かと思いきや、突如横っ飛び。


 その間に距離を詰めていたトウマは奥歯を噛み締めながら拳を振り上げている。狙いは「獣」。

 怒りと、恐怖と、恨みと、そして……ごめん、という気持ちを込めて振り抜いた。


 ゴガッと鈍い音を響かせながら、「獣」は弾け飛ぶ。同じく拳に熱が走るトウマはそれを気にも留めることなくミレーユを背負う。


 光線からズレたものの、まだ大きくズレた訳ではない。道を引き返せばまだ光は見える。

 足を動かそうとしたが、グッと何かがトウマの足を止める。まさか、そう思って振り返ったがそこに手は無い。


 気にせず走り出そうとした瞬間、やはり何か重たいものがトウマの足を引っ張る。


「気持ち、悪い……」


 先程から込み上げる嘔吐感を堪えていたトウマ。強い空腹を感じているかのような虚脱感も襲いかかる。そこへ、心臓を鷲掴みにされているような息苦しさを感じる。

 

 何だ、何なんだこれは――。


 体調不良と一言で表すことの出来ない別の何か。

 初めての感覚だ。

 その正体はすぐに分かった。この気分の正体が一体何なのか。

 それは、トウマの()()()だ。本当にこれで良かったのか、殴って良かったのか。別の打開策は、あったんじゃないか。


 否、ベストを尽くしたはずだ。あの時の最適解を選んだはず。

 間違っていないという信念と共に、トウマは後ろを振り返った。


 両膝を畳み、ヒックヒックと瞳から零れる涙を拭う「少女」がそこにいた。

 獰猛さと殺気は消え去っていた。何よりトウマの目を奪ったのは痛々しく腫れ上がった額だ。

 あってはならない打撲痕があった。怪我をさせたのが自分だということに至った時、トウマは焦燥感に苛まれた。


 目の前にいるのは完全に憐れな「少女」だ。

 泣いているのは自分のせいだ。人生で、誰かを泣かせたことは一度もない。そもそも、人を殴ったことも無い。

 初めて泣かせたのが少女。殴ったのも少女。


 最低だ。人として有り得ない。こんなことが許されるのか。

 今この瞬間、トウマ・カガヤという人間は下劣な人間に成り下がったのだ、と自分で思った。


「だ、だって……仕方ないじゃないか……!」


 次に口から発せられるのはお決まりの言い口だ。つまり、言い訳だ。


「君が、君が俺を、ミレーユを殺すから……守るために仕方なくて……」


 そう、仕方ないのだ。現にトウマだって胸に傷を負っている。

 それも、かなり深い傷を。パール一つ分くらいの血液が垂れているのだ。時間が経てば経つほど傷の痛みは増し、風がそよぐと傷に響くのだ。

 痕が残るかもしれない。

 もっと深かったら致命傷だったかもしれない。

 ウイルスが入るかもしれない。

 もしかしたら――死んでいたかもしれない。


 生存本能が働いた。死にたくなかったら守るしかない。昔からの習わしだ。そうしてきたんだ。

 ナイフを向けられて大人しく、正常な判断が出来るかっていう話だ。無理だ、無理に決まっている。


 だが、周囲の人々はこのように言う。


『あいつも同罪だ』『同じことをやり返してる』


 それを説明するために、出てくるのが――、


「だって、仕方ないじゃないか!!」


 この言葉だ。

 誰もいないと言うのに、聴衆がいるかのようにトウマは同じ言葉を繰り返す。

 地べたに座り、額の傷に泣き声を上げ続ける「少女」の声が増していく。


 その度にトウマは身を裂かれそうな思いになり、より一層言い訳が口から溢れるのだ。

 こちらだって泣きたい、殴りたくて殴った訳じゃない。

 あのままではトウマは、ミレーユは死んでいた。その未来を改変するために取った手段だから、だから――、


「……ぅ」


 どうしようもなく、言い訳を並べるトウマの背中で小さな声が聞こえた。

 ゆっくりと長い睫毛の下から透き通る青の瞳を開ける薄紅の少女が、ようやく目を覚ましたのだ。

 

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