51話 真っ白な繭の中から。
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リナは咆哮を続けながら、沸々とした熱いモノに身を焼かれていた。
物理的な熱ではない。それを診断出来ぬ程、彼女は未熟ではなかった。
けれど、そんな理性とは関係なく喉奥から漏れるモノがある。
それが、この咆哮だった。
——ざっけんじゃ、ねー!
内心で呟いた言葉は、荒っぽい。
孤児院の弟たちが口にしていた、「悪い人たち」の言葉遣いだった。
ヒクヒクとしゃっくりをしながら、リナは想う。
まだ暖かい、寝台の上にさっきまで座っていた人を。
「……えう、えう、……ひっ、ひっく」
冷たく冴えた思考に、喉は追いつかない。
けれども彼女は「癒師」、もしくは「医師」の目で、状況を俯瞰する。
「ひゅっ、ひゅっ、……すぅっ……」
整えてゆく。細く長く息を吸い、やがて吐く。
繰り返していれば、益々頭は熱くなっている。
「マンマ……」
思わず口にしてしまった単語へ、リナは口を押さえた。
彼女は立ち上がっている。
真っ白な繭を脱ぎ捨てて、素の彼女のままで。
「……ば」
だが、勇気を振り絞るには覚悟がいった。
立ち上がったリナは、キョロキョロと室内を見渡した。
——うん。鬼BBAはいない。
いない筈なのに。
左胸が、熱かった。
「……るっさい」
そんなものは、お腹の下から昇ってきたものに、容易くかき消される。
リナの頭に残るのは、怒りだ。
それも——。
——大体、愚痴愚痴言って、うるさいのよーっ!
そんな、どうしようもない反発だった。
「ちょっと、顔が良いだけで、なんなのよ!」
大好きなマンマのかおが、恨めしい。
あんなに、冷たくしなくたって。
そんな感慨を浮かべてしまうリナである。
-——それに、おっぱいだってさぁ!
ムニムニと、己のモノを揉みしだくリナだった。
——結構、大きい。それに、お椀みたいに上を向いている。
対してマンマは、少し重力に逆らえていなかった。若さに勝てるモノはない。
ドタプン。
意味のわからない幻聴が聴こえた気がした。
それはリナの気力を萎えさせ——。
る、はずもない。
「ア牛グスタがよぉ……」
ビタロサは、仔牛の大地を意味する。
リナはワキワキと、指を動かしていた。
あの、おっぱいは、リナにしても憧れだ。
——正直、揉みたい。
そんなことを、寝台の上でなぞっている。
本当なら、ゴロゴロダラダラして過ごしていた筈なのに。
「あんな言い方、ないじゃない!」
プンプンと、叫んだ。
リナだってアウグスタの言葉、道徳とか、政治経済だとかを理解はしている。
ずっと優しい顔をしていたマンマの貌が、さっきまで怖かった。
でも、お尻を振って、去っていく奥方様を見てしまったのなら。
リナは知っている。
淑女の作法とは、そういった興味を惹かせるためのものだと。
それに、無自覚なマンマは——。
「守護らねば、なりません」
熱く、深く決意していた。
といった現実逃避をしているリナだが、別に無力感が消えたわけでも、後悔を振り払ったわけでもない。
燃え上がる若さで、誤魔化しているだけだった。
「しんどいなぁ……」
声に出してみる。何もそれは、心の問題だけではない。肉体的な疲労もまた、確かに存在する。
リナにとって、致命傷である最優先治療群への治癒は昨日が初めてのことであり、高強度での連続施術もまた、初めてのことでもあった。
「でも、まだ死んじゃっては、いないんだよね」
リナに経験があった中では、爆発に巻き込まれたルカの負傷が最大である。
あれも致命傷と呼ぶべき重体であったが、もしも昨日の現場であれば、優先順位は下がった。
現場における選別は、相対的な基準でしかない。
「間に合ったんだよ」
——そう、思っていた。
そして、手応えもあった。
理屈だけなら、いくらでも並べられる。
治癒を施す際、生命力譲渡を行うのは当然の嗜みである。そう学んでいた。流出する命を補わなければ、空っぽになるだけだから、だそうだ。
この譲渡を行うための分身活性などの技術には、副次的な効果があった。
今もまだ、胸の中に生命の感触が生き生きと残っている。
一時的な状態の共有がそれだった。
「間に合ったと、思ってたんだよね……」
その感覚は癒し手にも、強い安堵を与えるもので。
「舞い上がっちゃってさ。バカみたい」
わかって、いなかった訳じゃない。
あのときは必死で、だからこそ「生きている」という状態だけで、満足していた。
治療とは、術後の経過も責任が伴うもの。どんな書物にも、しつこく記されている。なのに。
——だってもう、これ以上の治療なんて知らない。
意識や魂についての技術的な記述は、どんな書物にもあまりなかった。
器が砕けてしまったら、その中身は——。
でも、目を逸らしたくなる。認めてしまえば、この手は何も癒せない。
「そうだよ、まだ一日なんだ。だからまだ……」
生命力に溢れたオルトであっても、肉体を再生させる代償として、四日も昏睡している。
クマに食べられてしまった左手だけでも、四日もかかった。
致命傷なら、もう少し掛かっても「おかしくはない」と、なんとか自分を奮い立たせるしかない。
意識がないまま、この世を去ってしまった人たちを知っている。「生きる」という意思がなければ、人は儚いものだとも知っていた。
もう顔も覚えていない「お母さん」も、三つになるかという頃に、天に昇ってしまった「お父さん」も、そうだったというのだから。
「ばあちゃん先生……」
そして、引き取られた先の孤児院長の先生も。
生きているからこそ、周囲の負担は重かった。
だから、怖い。
傷の癒やし方、肉体の再生のやり方ならば知っている。
気絶や昏倒などを回復させる覚醒などの術式はある。
だが、あれらは肉体に負荷をかけ、結果的に意識を取り戻させる方法でしかなかった。
「悔しいなぁ」
つい、漏れてしまう独り言が止まらない。
オルトがフィオナのお父さん——ミリオッツィ商会頭に使った、物凄く臭くて、とんでもなく変な色の、絶対に糞不味い霊薬だって、理屈は同じだ。
意識、心、魂。
色々な名前が付けられた「不確かなもの」。
何よりも近くにあり、遠いもの。
それでも確かに「ある」ものを癒す術は、まだ存在していない。
「資格を取る頃には、出来ているかもしれないし。もしかしたら、私が開拓者になっちゃうかも?」
おどけて言ってみるも、信じてはいない。
多くの人たちが望み、それでも届かないでいる領域だ。リナもそれほど楽観的ではなかった。
だが、「不完全」な施術をした癒師の責任として、介護には向かおうと決意している。
治癒による介護は復帰確率を高めるものだし、生命力譲渡の技術も、看護に有効であるのだから。
このまま、クヨクヨしてはいられない。
幸いに、朝から着ている侍女服のままである。このままお外へ出ても、おかしなところはないのだ。
「じゃ、今日は非番みたいなので、行きますか!」
元気よく叫んで、一歩を踏み出した。
——ぐぅ〜。
途端、お腹が鳴る。
朝から何も食べていない。昨日の夜も疲れから、あまり食事が喉を通らなかった。
「……お腹、空いた」
情けなく、言ってみるリナ。
肉体は消耗している。それがわかっているから、休暇を与えられたのだとも、理解していた。
医療の現場で、ごく当たり前に用いられている生命力譲渡。
その負担を思えば、休暇も当然であった。
「まだ、梨のソルベ残ってるかなぁ?」
その負担は、術者の持ち出しである。
つまりはこの場合、リナ自身の生命力を指す。
彼女の肉体は疲弊していた。
「でも、皆に顔を合わせるのも気まずいし……」
まだ癒師ではないリナだが、治癒を使った翌日の休暇は認められている。
それは、契約でも締結されていることだ。
なので、正当な権利の行使であるはずなのだが。
「丁度お昼だし、絶対誰かにあっちゃうよね」
急にお仕事を休んだことで、仕事には穴が空く。
その埋め合わせをしなくてはならないのが、同じ立場の先輩侍女たちである。
別にイジメられるという訳ではないのだが、なんとなく気まずかった。
「どうしよっかな……」
迷っても、お腹は鳴っている。けれど、扉を開くのにも躊躇いがあった。
うんうんと唸っていたリナだが、トントンと、控えめに扉を叩く音を聴く。
「リナ、起きてる?」
ちょっと、あのいつも自信満々なフィオナとは思えない、か細い声だった。
喉の動きが止まった。
お父さんを助けられなかったことを責められる。
リナは、そう思ってしまう。
「お、起きてます。鍵開いてますから! 多分? 今、開けますねっ!」
でも、だからこそ受けねばならないと、リナは声を出す。バタバタと足音を立てて、扉へ向かった。
——だって、一番辛くてしんどいのは、フィオナお姉様なんだもの。
それが、わかってしまうから。
まだ資格はなくとも、私は癒師を志す者だ。それは、つい今し方決意したことだった。
だからこそ、自らの足で歩み、扉を開ける。
「ごめんね。しんどいのに、大丈夫?」
扉を押せば、しおらしく謝るフィオナの姿があった。らしくもなく、両手を後ろ手にしている。
あの、いつも自身満々で、柔らかくも傲岸な淑女、フィオナお姉様がだ。
「大変結構な、お餅をお持ちで……」
「お餅?」
タプンと揺れたものを、思わず拝んでしまった。
背の高いフィオナに比べ、リナの背丈は平均値に近い。そうなると、どうしても視線はそこへ行く。
目を見るのは失礼で、視線を首元辺りへ合わせるのが、礼儀とされているからだった。
必然、お胸の谷間に視線は向いた。フィオナお姉様は昨夜のままの、ドレス姿であるからだ。
服飾史的にも、理にかなった設計である。
服飾とは、視線誘導への補助線だった。
「入るわね」
そんなリナの気持ちを知ってか知らずか、フィオナは部屋の中へと踏み入る。
「らっしゃいませー!」
変な声が漏れてしまった。しかし、それは致命的ではない。寧ろ、ちょっと弱々なお姉様に煩悩が刺激されるリナだった。
「……あの、その」
それでも、しどろもどろになってしまう。
掛ける言葉が浮かばなかった。意識のないお父様と逢って、帰って来たのだとはわかる。
だからこそ、渡せるものは何もない。
いつも快活で、綺麗なお姉様に見られてる。
とても儚い顔で。
益々何も言えなくなって、リナは口をモゴモゴと動かす。それでも視線は逸らせない。
それが出来ない程、フィオナは綺麗だった。
「何よ、その態度」
唇を尖らせる仕草までもが絵になっている。それは、「本物」の貫禄だった。
「べ、別に変なとこなんか……」
「充分、変だからね?」
慌てて言うが、切って捨てられる。そもそも口では勝てないのは、わかり切っていたことだった。
「……そ、その、変な私に何事かをご所望で……」
随分と怪しい言葉遣いになったが、ふっと笑われる。この癖は知っている。
大抵が、雷を落とす前の仕草であった。
オルトへお説教をする時に、よく見ていた。
「ありがとうね、リナ。お父様を、助けてくれて」
「ほわぃ?」
理解が出来なくて、一つの言葉が漏れる。
疑問を、投げかけるものだった。
「何がわからないのよ。貴女がたまたま、近くにいたから、父は死なずに済んだのよ」
ちゃんと説明して貰ったが、リナが受け入れるには、やや長い時間を要する。
やがて、その意味を咀嚼すると。
「ちがっ!」
違うと言い切る前に、唇を塞がれる。
手のひらで、口を押さえられていた。
「リナのおかげで、助かったの」
「モゴモゴ」
返す言葉は、言語とならない。口を、抑えられたままだからだ。けれど、リナはフィオナの言葉が嘘だと思った。
彼女は四名の状態を、今も注視している。
注いだ生命力の残滓がまだ患者の体内に巡っているままだ。だからこそ、見診の術式を用い容態を探っていた。
「即死でも、おかしくなかった。そう聞いてる」
「むぐ……」
そのはずだ。
今も影響が残るほど、生命力——術力を注いでいる。そうしなければ、助からない大怪我だったのだから。
「だからね、貴女は誇って良いの。後のことなんて考えないで」
言いたいことは沢山あった。
あるのに、言えない。口を押さえられているからではない。
その心が、想いが自然と伝わってくるからだ。確かな言葉でなくとも、それは心へ染み渡る。
「あとは、私たち大人と、本人の努力次第」
とても厳しく、そして優しいものだった。
「まぁ、奥方様の蘇らせたこのトラーパニの街ならさ、なんとかなるでしょ。私はもっと、忙しくなるから面倒なんだけどね」
フィオナの顔は、大人の女性のものだった。
まだ、子供に毛が生えたくらいのものという自覚のあるリナには、眩しすぎる。
「で、これなんだ?」
そう言って、フィオナは片手を差し出した。
そこに持たれているのは、蓋付きの籠。
「ごくり、じゅる……」
「ちょっと、汚いわね。涎垂らさないでよ」
匂いだけでわかる。パン、ワイン、料理皿がたんまりと詰められたお昼のお弁当だ。お腹がまた鳴り響く。
「そんな、飢えた野獣みたいな目はやめなさい、もう十五なんだから」
おっと、危なく淑女らしからぬ振る舞いをしてしまったと、反省するリナだった。
このお昼を得るためならば、どのような罵声も甘んじて受けよう。
そう決意した侍女は、精一杯に淑女っぽい顔付きをしてみる。
「ふふふ。聞き分けの良い子は好きよ? んで、リナ? 大人しく出来るなら、手を離すわよ? 相談したいことがあるの」
「|スィ・ミア・シニョリーナ《モゴ・モゴ・モゴモゴーモ》」
はい、私のお嬢様。と格好良く言ったつもりだが、まったく言葉にはならなかった。
仕方がない、唇は塞がれている。代わりにブンブンと頷くと、手のひらは離れていった。
そして目の前に、お昼のご馳走が差し出されてる。その中にはなんと、梨のソルベもあった。
「ありがとう、いただきます、主よ、感謝を捧げます、いただきます!」
早口で告げると、まずは果実のソルベを口の中に放り込む。冷たくて、爽やかな甘みが広がった。
飲み込んで、ワインで喉を潤す。焼き立てのパンの香りに、香草で蒸された白身魚の匂い。
リナは自分では淑女らしく優雅に、だが実際にはガツガツとはしたなく食事を始める。
「喉、詰まらせるわよ」
-——舐めないで貰いたい。孤児院では早食いこそが正義である。あの修羅道で鍛えられたリナに、喉を詰まらせるような不調法はありえない。
「ぶはっ!……ゴク、もぐもぐ」
「ほらほら、だから言わんこっちゃない」
むせ返ったリナはフィオナに背中を撫でられて、食事を続けていた。
などと思っていたのだが、どうやら慢心だったらしい。ここ暫く、そんな食べ方をしていなかった。
鍛え続けねば、人は劣化するものだ。
むせ返ったリナだが、フィオナに背中を撫でられて、つつがなく食事を続けている。
言葉は必要ない。今は出すよりも、詰めることが大事な時間であった。
「まぁ、ゆっくり食べなさい。食べ終わったら、相談があるわ。多分、この屋敷で、いいえ、この街では、貴女にしか頼めないことよ。よくって?」
どこか奥方様に似た口調の、あまりにも意味深な言葉に、思わずリナは静止した。
手も口も、完全に止まってしまう。
「いいのよ。まずはお昼を食べちゃいなさい」
柔らかな促しに、再び動き出す口と手だ。
——なんの相談なんだろ?
満ちていくお腹。
取り敢えず難しいことを考えるのを止めた心に、そんな疑問が過ぎる。
でもきっと、良いことだろう。なら、なんでも叶えたい。そうリナは思った。
彼女は信じている。
賢くて優しい、そして強かなフィオナお姉様ならば、きっと。
——主よ、恵みに感謝します。ごちそうさまでした。これからも、良き日々を。そうあれかし。
お昼ご飯も、朝のドルチェである梨のソルベも平らげて。
祈りを捧げるのは、癒師の卵、そしてキエッリーニの侍女でもあるリナという名の少女であった。
一話分の内容を三話に分割してるんですけど、それでよかったと思いたいです。




