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52話 「甘か」。

お読みいただき、ありがとうございます。

少し長めです。


 自室である執務室にて、アウグスタは一人佇む。


 昼日中の陽射しの中、窓を開けて吹き入った潮風が、壁に掛かる茉莉花のポプリを揺らしている。

 窓の外からは、昼食を摂る家人たちの声が聴こえてきていた。


 彼女は昼食を摂らない。

 昼食を摂る習慣があるのは、戦士や肉体労働を行う者達だからだ。


 ——やれることは、やれたかしら。


 リナには、最低限の処置は施せたつもりだった。

 癒師を目指すにせよ、折れるにせよ。責任を持って生きるのならば、受け入れるつもりがある。

 言葉は厳しいものとなってしまったが、どの様な道を選ぼうとも、自ら歩める意思を持ち続けて欲しかった。


 対してフィオナについては、あまり心配してはいない。

 帰って来たフィオナとは、リナの部屋から出た直後にすれ違っている。

 あまり、顔色は良くなかった。

 けれども背筋を伸ばして歩み、悠然と淑女の礼を見せたあの子なら心配ないだろうと、信じている。


 アウグスタ自らが築いてきた理と利による統治を信じてくれている、トラーパニの申し子だった。


「いつの間にか、生意気になっちゃって」


 クスクスと笑うアウグスタ。


 報告に、来ない筈もないだろう。引き継ぎもある事だし、そういった作業を疎かにする子でもない。


「今じゃ、皆のお姉様よね」


 オルトを引き連れて街中を走り回っていたお転婆娘が、随分と立派になってと想ってしまう。


 フィオナは優しく、正義感も強い。

 リナも、強い子だ。フィオナの姿を見れば、自分なりの理論の助けとなるだろう。

 アウグスタはそう考えている。


 それぞれが、それぞれの道を踏み出そうとしている。

 その感慨は心地良くもあり、少し寂しくも感じるものだった。


 視線は遠く港へ向かい、彼女はひとしきり息を吐き出す。


 だが、領主代行としては別だ。


「どうした、ものかしらね」


 昨日夕刻に起こされた、無差別銃乱射事件。

 それも、手軽に入手出来る銃を用いた犯行であった。凄惨な事件であり、その実行者がまだ十七歳の少年だった事も、世間に衝撃を与えている。


「幸いに、死者は『まだ』出ていないけれど」


 それはリナによる治癒という、秘蹟にも近しい偶然による恩恵だ。

 何人もの死者が出ていてもおかしくない、事件であった。


 ほぼ心配はないにせよ、もしも死者が出た場合において、殺人の容疑に切り替えると行政府から報告を受けている。


 殺人は、例外なく死罪とされた。


 法の施行に対し、「領主代行」であるアウグスタが口を挟むことは出来ない。

 だが彼の両親の心を思えば、奇跡には感謝せざるを得なかった。

 そうなると、考えるのは再発防止についてなのだが——。


 (おとない)の、音がする。


「どうぞ」


 拒む理由はなかった。そして、その主にも見当がついている。


「ごきげんよう、奥方様。フィオナ・ローサ=ミリオッツイ、ただいま『帰宅』いたしました」


 悪戯っぽく笑う少女——否、淑女。

 扉から滑り込んできたフィオナは、優雅な礼を見せている。


「それで、良いのかしら?」

「落ち着ける場所こそが、我が家ですので」


 アウグスタによる皮肉交じりの問い掛けでさえも、悠々と返された。


「別に、良いのですけどね。お父様とは?」

「呑気な顔して、眠ってますよ。娘に、後始末を押し付けて」


 覚悟を決めた顔だった。彼女が背負うのは、商会の従業員、そして、その家族の生活。


「そういえば、商会に寄って来てですね」


 懐から取り出したのは、金印だった。


「取り敢えずは、商会頭『代行』の任を受けてきましたよ。お揃いですね?」


 逞しく、悪戯な笑顔。眩しい子。


「ええ、お揃いね。……はい、これ」


 そんな感慨は放り投げ、アウグスタが机の中から取り出したのは、手紙大の書面。

 誓約の術式で複製された、辞表の写しだった。


 大陸ではこういった遣り取りにおいて、誓約の術式が用いられる。

 改竄が不可能な複製を作り上げるだけの、ささやかな術式。

 契約とは異なり、社会通念上以外、特に縛るものはない。そんな、ささやかな技術。


「あ。私まだ、日付入れてませんけど」


 ちょっと慌てたフィオナが言えば、返すのは当たり前の話。


「入れれば、原本にも入るわよ。入れたら最後だけどもね。別に、今日でもよくってよ。お忙しいのでしょう? ミリオッツィ商会頭『代行』さん?」

 

 頬を掻きながら、フィオナは肩を竦めた。


「引き継ぎもありますし、後付けでも良いです?」

「歓迎だけれども、良いのかしら?」


 今は夏季休暇中とはいえ、フィオナの本分は学生だった。あまり無理をさせるわけにはいかない。


「ちゃんと引き継ぎ出来ないのって、気持ち悪くって。せっかくここまでやった事業を滅茶苦茶にされても、イラっとしますしね」


 それは余計なお節介で杞憂だ。私は平気だとでも言うように、新たな「統治者」は嘯く。


「なら、お願いしようかしらね。貴女の後任としては、五名程を考えているの。名義上は、オルトにでもやらせようかと思っているのですけどね」

「……はぁ?」


 そんな絵図に対し、フィオナはとんでもない声を出した。


「他に、適任もいないしね? 実務は婆やに見繕って貰って、オルトが折衝として動けば、なんとかなるかなって。あの子、身体だけは丈夫でしょ?」


 アウグスタの説明に、フィオナは首を振る。

 手のひらを天へと向けて、上げ下げしていた。

 お手上げの、姿勢であった。


「あの脳筋を置いて、何が出来ますか? 仕事の邪魔でも?」

「ほら、あの子なら護衛要らずだし」


 身内贔屓というつもりはないが、適任は見当たらなかった。

 この先どうするのかは別にせよ、リナは学問を積まなくとも、侍女としての仕事がある。

 他の侍女たちや、婆やも同様だ。

 ルカはまだ、仕事につける年齢ではない。


「消去法で、最悪の選択をする気ですか?」


 選定の基準はその通りである。名前だけ、それだけで充分だとアウグスタは考えていた。


「いえ、実務には関わらせませんから……」


 溜息を吐いたフィオナから、圧が漂う。


「あの『お母ちゃんっ子』が、大人しくしていられると思って? 奥方様、どうかご再考ください」


 フィオナの目は据わっていた。あまりの言葉にアウグスタも反論しようとしたのだが——。


「……どうしましょ?」


 あまりにもな正論に、言葉が浮かばない。

 漏れ出たのは、そんな言葉しかなかった。


「婆やは?」

「……隠居の身ですので、職責には」

「ですよねー」


 危うく取り返しのつかない選択をしてしまうところであったという危機感に、心臓がバクバクと鳴り響いている。

 

「で、でも、あの子は経済になんて興味ありませんし、大人しくしてるかも?」


 気が乗らない仕事に精出す子でもない。アウグスタの往生際は悪かった。


「希望的観測に頼るのは、おやめください」


 非情なフィオナの言葉が刺さる。


「いいですか? 間違いなく役に付けたら、張り切りますよ。そして、待っているのは破滅です」


 言われれば、アウグスタも想像出来た。

 もしも役職を与えたなら、オルトは張り切るだろう。そして、身の程を知らぬ子でもない。

 決して、出過ぎた真似はしない筈だ。けれど。


「ご、護衛として専念させれば……」


 ——俺に出来る事は、あんまりないからな。


 そんな幻聴が聴こえていた。

 オルトはやる事もないので、輸送船の護衛として役目を果たそうとするだろう。


「決裁権を有したオルトに、善人顔をした身勝手な商人が接触すれば?」


 ちゃんと、考えて保留が出来る。

 そう信じたいと願うのは、親の欲目による大変な過大評価であった。

 答えに窮するアウグスタを見ながら、フィオナは続ける。


「何をするか、わかったものではありません。……それに、アイツは英雄の器です」


 英雄に、人の心はわからない。

 あまりにも強く、正しくあるからだ。


「……その器ではないわ」

「いいえ。そうなるでしょう。まだ、未熟もよいところですけどね」


 フィオナは即答する。


「助けを求められれば、断れない。ああいうのは、そういうものです」


 淡々とした声だった。


「そして、線を引けない」


 アウグスタの指先が、わずかに止まる。


「でも、兵役に出て、教育を受ければ別です」


 社会を人を、壊さぬ様に振る舞う事こそ、英雄に求められるものだった。

 アントニオも、そうしている。だからこそ、社会は回り、人もまた増え続けた。


「まだ早いんですよ、アイツには」


 アウグスタは遠くを眺めるフィオナに、何も言えないでいる。


「……今の街に、放つのは危険です」


 もしも、もしもの話だ。

 オルトが今、襲爵したとしよう。


「……破滅か」


 それは、アウグスタにでも、オルトにでもない。

 日々を懸命に、生きること。

 それを望む者達へのものだ。


「そうかもね」


 美味しいものを食べたいから、嘘をつく。

 痛い思いをしたくないから、走り去る。

 どれも、同じ理屈だった。


「人事は、考え直すわ。浅いわね、あの子なら、やれると思っていたわ」


 息子が街を纏めるのは、まだ時期尚早。

 昨日の件を思えば、なおさら。


「まぁ、『お母ちゃん』ですからね。仕方ないのでは、ありません?」


 まぜっ返すフィオナを見ていると、やっぱり、この子をお嫁さんに貰えれば。

 そんな気持ちが浮かぶ。


「会頭代行は、男性が苦手なのかしら?」

「ぶふぉぅ!」


 ここのところ、考えていたことだ。

 アントニオへもオルトにも、割と冷淡にフィオナは接していた。距離は、近いはずなのに。


「あの、大丈夫?」


 何故だか叫んだフィオナに、首を傾げてしまうアウグスタであった。


 そして、暫し話題もなく時は流れる。


「戻ったばい」


 何から切り出そうかと考えていたアウグスタの耳へ、訪もなくシシリア弁の嗄れ声が届いた。

 フィオナと視線を合わせる間もなく、扉は開かれている。そこに立つは、老婆が一人。


「おかえりなさい、婆や。首尾は?」

「たいぎゃ、くたびれたわい」


 ポキポキと首を鳴らしながら、婆やはそっと扉を閉じた。

 

「復命ば、してもよかと?」

「お願い」


 アウグスタの前に立つ婆や。空気の読めるフィオナは、そっと傍へ退いている。

 淑女の礼を見せた老婆は浪々と報告を始めた。


「奥方様ご所望の五名の文官は、まだ決まってはおりませぬ」


 少し、がっかりするアウグスタだが、口を挟まない。まだ、そう時が経つではない。布告し、募集を行っただけなので、当然とも言える結果だった。


「そこで、行政府からこの様な提案がありましてな。どうぞ、奥方様宛にございます」


 婆やが差し出してきた封筒は、トラーパニ市章で封じられている。公文書の形式である。


 受け取り、封を破るアウグスタ。そこに書かれていた文面は、頭の痛くなる提案だった。


「フィオナ、どう思いますか?」


 そう言って差し出せば、受け取った彼女もまた、頭が痛いとでも言う様に、こめかみを抑えた。


「……あんの、糞親父」


 ここの所、お父様をそう呼び続けていたフィオナだが、今指した対象が彼ではないと、アウグスタも理解している。


「監査官殿にも、困ったものね」

「あんなヤツに、殿なんて要りませんよ。豚猿でもまだ、可愛らしい」

「こら、お口には気をつけなさいな。商会頭代行」


 同感であるが、安易に同調はしない。優くし嗜めておく。

 大人の世界は礼儀と敬意で成り立っている。


「まぁ、実務的には問題ありませんが。簡単な引き継ぎでも、行政府の職員なら短期でも熟せると思いますよ」


 太鼓判を押すフィオナだ。

 市長からの書簡には、霊核輸出事業に関わる人員を固定するでなく、短期出向の形式で市職員達で回してみてはどうかという打診がされていた。


「皆、逃げたかけん、乗り気でな」

「流石に、相手が悪いですものね」


 職務からではない。あの、どうにも人への敬意というものが足りない監査官殿からであると、アウグスタも察していた。


「少しお灸を据えたから、マシになれば良いけど」

「無理な話ばい」


 切り返しに、アウグスタもつい同意してしまう。

 そう簡単に人の性根は変わらない。

 だからこそ、行政府職員たちの一時避難先としての出向受け入れも、抵抗がなかった。


「まぁ、いずれは公営として回して貰うつもりでしたからね。今から馴らしておく分には、問題もありません。……けど、まだ結構不安定よね?」


 フィオナに尋ねてしまうアウグスタ。


「硬い商売ではありませんが安定しましたし、大赤字となりはしないかと。規模と量の調整次第となりますね。貿易港の感覚を信じましょうよ」


 自信に溢れた回答に、頷いている。フィオナがそう言うのならば、憂いはなかった。


「返事を書くわ。婆や、後でお願いね」

「御意」


 筆を持ち、書を認めて封筒へ。一緒に茉莉花のポプリを忍ばせて、封をする。

 キエッリーニの家紋である日足紋が、白い封筒を鮮やかに飾った。

 一つ区切りが付いて、僅かながらも肩の荷が降りている。


「悪いわね。使い走りみたいな仕事ばかりで」


 手紙と共に渡した軽口に、婆やが背を伸す。


「奥方様」


 硬い声に、アウグスタの背筋が伸びる。

 彼女は続けなさいと、婆やへ視線で促した。


「市長より相談ば、ありよっとです。……昨日の、事件について」


 それは、アウグスタに重苦しいものを与える言葉であった。

 そして顔には出さないが、一度俯いたフィオナにも。


「婆や、私も聞いて平気?」

「よかよ。お嬢ん意見も、聞こごたるけん」


 婆やは慎重に、シシリア弁を用いずに市長からの相談内容を語り始めた。

 

 やはり頭を悩ませていかと、アウグスタも納得している。相談とは、昨日の件、未成年者による無差別銃乱射事件についてであった。

 

 街中で、理由なく無差別な暴力が爆発した。

 それは理と利による共生というアウグスタたち、蘇ったトラーパニの在り方に対する、重大な裏切りである。

 放っておくことは出来ない。

 決して、手を打たずしていられない問題なのであるが——。


「そんで頭ば抱えて、奥方様んお力ば借られんもんかと、あん坊主が言いよったい」


 結んだ婆やの口調は、シシリア弁に戻っている。

 後はむっつりと、唇を結んだ老婆であった。


「……やれやれ、また難題ですね」

「それだけ、悩ましいのでしょうね」


 フィオナが呟けば、アウグスタも頷くしかなかった。市長も彼女と同じ悩みを持って、そして抱えきれずにいる。

 連帯と共感を感じるものであるが、だからこそ余計に悩ましい問題だった。


「何も手を、打たない訳にはいかないわよね?」

「街を生かしたいなら、ですね」


 二人の「代行」は考え込んでしまう。

 問題の解決法が浮かばないのではない。

 単純で簡単な、最も明確な解決法が一つ、確かにあった。


「最も有効なのは、銃規制辺りですかね?」


 そう言ったフィオナへアウグスタは首を振る。

 それこそが、最も求められているだろうと推測は立っている。だが、それを行うのは。


「銃ば規制して、多くん民の自衛ん機会さえ、奪うんと?」


 婆やの言う通り、無理な話だ。大体、銃だけでは意味がない。それを規制すれば、その力を恐れる層が、力を持つこととなる。


「やるなら、武器そのものになるわね」

「ああ、確かに……」


 一方的な規制をしてしまえば、銃による反撃が苦しい者への歯止めが効かなくなるだろう。

 銃にせよ、剣にせよ、全ての武器は技術であり、身を守る術の中にある。


「規制するなら、武器規制か。……うーん」


 唸り出したフィオナの気持ちはわかった。

 銃に限らず、手軽な火器が規制されれば、多くは剣や槍などといった武具を選ぶこととなるだろう。


「ちょっと、危ないですよね。あまり質が良くない輩との差が埋まらないのは、危険ですもん」


 銃を規制したならば、武具を持つ者が優位となった。身体能力や戦闘技術の差が、容易に戦力差ともなる。


「そうですね。損得により、辛うじて自制している者達も決して少なくはありません。あまり刺激するのもね?」


 少し、力がある。腕っぷしが周りよりも優れている。たったそれだけの慢心が、人を容易に残酷な存在にしていた。歴史が、それを証明している。


「弱かモンほど、タチが悪か。箍ん外れれば、なんぼしょっとか、わからんごつ」


 残念ながら、そういうものだ。只人はあまり強くない。強くないから力に頼り、証明を求めた。


「最低限の身を守る手段を奪うのは、得策ではありません」


 銃などの火器には、時折り異界から溢れ出る怪物や霊獣たち、異界の脅威のみならず、同胞たる人類種への対抗策としての意味合いがある。


 力持たぬ者へ、身を守る牙を。


 おおよそ三百年もの昔に、遥か北方の王国を治めた女王が、万民へと齎した福音だった。


「だから、武器なのね。……皮肉なもんね」


 力関係が維持されるからこそ、均衡は成立している。互いの妥協による、生存戦略でもあった。


「そもそも、「どちらも」受け入れられないでしょうしね。規制自体があまり、現実的ではないわ」


 社会の守護者でもある冒険者や騎士たちが、その為の術であり、誇りでもある武具を規制され、愉快であろう筈もない。


「まぁ、戦士たちの武器好きって、殆ど信仰ですからね。武器なんかなくても、平和にやっていければ良いにの」


 呆れた様にフィオナは言う。


 だが、力持たぬ者とて同じであった。

 彼等もまた、信仰しているとして過言ではない。


「尊厳を護る牙を、奪うべきではないのです」


 身を守る術まで権力により奪われてしまえば、誇りを保つのも難しい。

 アウグスタは、人は過ちを犯し弱くとも、誇りあるものだも信じている。


「って言いましても、私たちって別に武器なんか持たなくても、やっていけるんじゃないんですか?」


 そんな気楽なことを言い出すフィオナだが、アウグスタは首を横へ振る。


「私たちには道理もありますし、大抵は利害計算も出来ますよね? 無理ということも、ないと思うのですけど」


 真っ直ぐなフィオナの視線。

 迷いなく、正しいものだった。


「私たち、だけならまだね?」


 それだけに、少し気負った風がある。アウグスタは軽く肩を竦めた。


「私たちには社会的立場があるわ。だから、責任があるけれど、その分だけ安全なのよ」


 フィオナは名家の娘で、アウグスタもまた貴族である。だからこそ顔を広く知られており、それがまた護りともなっていた。


「この間の暴動未遂、忘れてしまった訳ではないでしょう?」


 苦い顔をしたフィオナは震えている。

 それが、怒りからのものなのか、恐怖からなのかはわからない。

 アウグスタの視線は再び、窓から覗く港の景色へと向かった。


「今もまだ、広がりを止められていないあの商法の様に、欲の前では人も、利害の計算も止めるわ」


 豊かとなった街でも、今もまだ理不尽な犯罪は起こり得る。

 異界内での強盗、恐喝、不法な取引。

 つい最近にも起きている。

 これらは違法行為でこそないが、非合理的なものだ。なのに、未だ横行していた。


「冒険者も、色々といるしね」

「……まぁ、それは」


 一部の冒険者は街の外の者達で、トラーパニとは別の理屈で生きている。武器規制を行うならば、それは彼等の締め出しとなった。

 交易を経済の柱とする街では、現実的な話ではない。彼等もまた、経済を回す存在である。


「他所で当たり前のことが、叶わない。それはこの街には致命的になるわ」


 第一、彼等へ法を強制するのに、行政府の現有戦力では、とても足りなかった。


「けど、奥方様の理と利による共生を堅めるには、またとない好機ですよ。オルトも冒険者として力を付けていますし、アイツは『旦那様』みたいになれる『英雄の器』です。アイツなら……」


 ついアウグスタの口元は綻んでしまう。

 散々に不出来だ、浅慮だと叱ってはいても、可愛い息子であった。


 服の片付けも出来ないし、部屋の掃除もしない。挙句に、よくわからない物品を集めてもいる。

 そんなオルトが、「あの人」、あの子の父親の様になれると言われ、嬉しくないはずもなかった。


「まぁ、まだあの子は未熟者ですから……」

「冒険者による霊核の収集。この事業を焚き付けて、今も指揮しているのがオルトです。アイツの言葉なら、着いてくる人もいます」


 照れからの謙遜をするアウグスタだが、フィオナは益々斬り込んできた。

 満更でもない気持ちもあるが、フィオナの真剣な眼差しがオルトへ向けられているとも感じている。


「今は未熟でも、周りが補えばなんとかなります、私だっていますし……」


 頬を紅潮させるフィオナへ、アウグスタは「あらあら」と思った。可哀想なことをしてしまったかとの、苦さもある。


「その、ごめんなさいね?」

「別に、謝罪なんていりませんて」


 昔から、フィオナはオルトの周りに、なんとなく引っ付いてもいる。


「でも、馬に蹴られなければならないわ」

「はぁ?」


 アントニオとフィオナ。美男美女とお似合いで、相性も悪くなさそうだった。

 商会と騎士団の関係強化という旨味もあるし、適任かと思ったが、余計なお世話だったかもしれないと、アウグスタは密かに悔いている。


「小熊がいるのにアントニオとのお見合いは、余計なお節介だったかもってね。でも、困ったわね、あの子にお似合いの女性なんて……」

「はい?」


 惚けたフィオナだが、賢い子だ。一瞬で意味を察した様だった。震え始める。

 昔からの癖だ。恥ずかしくなると、怒って誤魔化す。息子にもよく、やっていた。


「バッ! 何言ってんですか! 勘違いしないでよね。行政府の協力も得られそうだし、良い機会だからって、提案してるだけなんですからね!」


 プンプンと頬を赤らめるフィオナに、アウグスタは優しい眼差しを送る。成程、これが世に聴くツンデレというものねと。


「まぁ、冗談よ。好きになさいな。母親が口出しする問題でもないしね」


 あまり揶揄っていても仕方がない。フィオナも察しよく態度を改めて、一つ咳払いをする。


「……冗談きついですね。でも、少し考えてみて下さい。行政による規制はまだ無理でも、民間での根回し、そういった望みが社会の声であるとの運動程度なら、どうでしょうか?」


 少しだけ、考え込むアウグスタ。

 政策の布告に、根回しは必要なことだ。

 密室での思い付きを、「はい、こう決まりましたから」などというやり方では、決して上手くはいきはしない。

 共感と必要の周知は、理と利による統治に、絶対的に必要なものでもあった。


「あまり過激でないやり方なら、ありかもしれないわね。でも、そんな余裕がおありかしら? 商会頭代行様に?」


 無理をせず、実務的に考えれば妥当な提案だ。


「まぁ、焚き付けて組織するくらいなら? 別に急ぎじゃありませんし、なんとでも」


 自信満々な若い娘に、アウグスタは頷く。

 余裕があるならば、そう悪い手ではないだろうと見ていた。


「お世話になるとしましょうか。お忙しい代行様のお手を煩わせるのも、何ですけど……」

「……ゴホン」


 微笑みながら、そう纏めようとする領主代行の耳に、(しわぶき)が一つ届いた。

 枯れ木の様に細く、皺だらけの顔から、それは紡がれていた。

 確かめるまでもない。婆やのものである。

 アウグスタは己が産まれる前より仕えてくれている乳母と、視線が合った。


「ふふっ……」


 侍女は、主人と客人との会話に口を挟まない。

 それが礼儀であるからだ。報告を終えた彼女が唇を噤んでいたのは、そういう理由であった。

 よく出来た侍女である。そして、祖父の代よりキエッリーニに仕える忠臣でもある。


「発言を許可します、婆や」


 祖父の薫陶を受けた彼女の言葉は、為になる。

 きっと、良い意見が聴けるでしょう。そう期待して、アウグスタは軽く促した。


「よかと?」


 悪いはずもない。彼女はアウグスタにとり、乳母であり、侍女であり、師でもあるのだから。


「ええ。何か、懸念があって?」


 軽い、問い掛けのはずだった。


「甘か」


 だが、嗄れた一言に空気は凍った。

 アウグスタの亡き父母、そして逝ってしまった夫の両親たちと、然程変わらぬ老婆は、厳しい貌をしていた。


「フィオナ」


 訥々とした声。


「アンタさん、殺されよごたるとか?」


 あまりな一言に、二人の代行の時は止まった。


「そ、そんな物騒な。そこまでは、ないでしょ?」

「女だけんね。もっと酷か運命もあるったい」


 再起動をしたフィオナに告げた言葉は、けんもほろろであった。


「ま、フィオナは仕方がなか。『お嬢様』。アンタ、そぎゃん甘か夢物語ば、通るて思いよっと?」


 向けられた冷たい刃が、胸へと深く刺さる。


「平和ボケしよってからに。人は、そう行儀良う生きらるるもんじゃなか。思い出しなっせ、手ん届かん所で、これまで何ばあったか」


 それは急所でもあった。

 この街でも、異界や隠れた場所で何があったか。

 そして、あの戦火の下で、平和の裏でも——。


「人いうんは、勝手なもんたい」


 そう。権利や自由を脅かされれば、自らの力に頼るしかないのが、人だ。


「今ん甘か戦力で抑え込めっと?」


 多くの暴徒が出たとして、対応可能な絶対的な戦力は、トラーパニにはない。


「あん色男ば、使うつもりかね?」


 婆やの問い掛けに、アウグスタは首を振る。

 最も使ってはならない剣だった。


「我ん強か男たちが、受け入るるはずもなか。内乱ばなっぞ」

 

 それは、権謀術数の渦巻く祖父の時代を知り、十四年前、そして十二年前を知る、古老の言葉。


「で、でも、時代は進んで、社会だって……」


 理性と良識に縋る娘は。


「石ば、投げられたごつ、忘るっとか」


 言葉より重い事実に一蹴される。

 彼女は身を戦慄かせ、拳を握りしめるしかない。

 普通の人たち、守るべき民たちに、フィオナの言葉は届かなかった。あの時の記憶が蘇るのだろう。


「人は変わらん。死なんで済まそういう甘か気持ちなら、手ん出さん方がよか」


 厳しい言葉だが、一面では真理であった。

 静かになったフィオナが、息を吐く。


「まぁ、人数いてこそだしね。巻き込ませる訳にはいかないし」


 なんとか息を整えたフィオナが言うが、アウグスタは別の感想を持っている。


 ——もしも音頭を取ったとして、最初に狙われるのは、そうね……。


 標的にされるのは、代表だった。その後、関わった者たちを殲滅していくことだろう。合理的な、冒険者の論理である。

 兵を向けぬ訳にはいくまい。

 だが、その結果起こるのは分断である。


「少し厳しいけど、正論ね……」


 それは避けねばならないことだ。結果は、惨劇しか産みはしない。


「理屈は理解しますけど、それじゃ、何も? でも不味くはないですか?」


 語尾を上げるフィオナに、婆やは答えない。何も、言わないでいる。


「状況を思えば、無策でいて良くはありません」


 昨夜の事件には、世論も沸騰している。だからこそ、市長からも助けを求められたのだ。


「動けば藪蛇。動かなくても、暴発しかねない。あれ? これ、結構詰んでませんか?」


 フィオナの言葉もまた、確かな予測であった。


 沈黙が続く。

 考えるべきことならば、山ほどある。

 あの事件だ。

 直接見てはなくとも、社会不安は把握している。


 けれども。


「……結構、詰んでるわよね?」

 

 潮風と茉莉花の香りに漏れ出たのは、酷く乾いた感慨だった。

 

 



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