47話 真夏の夜の夢。
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祝祭にも似た宴は続いていた。
オルトとリナ、2人からも報告を受けたアウグスタであるが、詳細までは掴めないでいる。
「本当、息子さんがしっかりと成長なされて羨ましいこと。オルト様がいらっしゃれば、トラーパニは安泰ですわね」
ホクホクと微笑む年嵩のご婦人がいれば。
「リナちゃんに、フィオナ様にルカ様。お嫁さん候補もよりどりみどりで、お孫さんの顔が見られる日が、楽しみですわね」
随分と気の早い方までいた。
フィオナやリナはともかく、ルカはまだ子供だろう。そう思ってしまうが、社交に野暮はいらない。
「身体ばかりが大きく育ってしまい、学ばねばならない未熟者ですわ。皆様にご指導頂ければと、願わずにはいられません」
オホホと上機嫌に笑うご婦人方に囲まれて、アウグスタは縮こまっている。
オルトとリナ。今の宴の主役であり、極上の肴でもある子供たちはこの場にいない。
フィオナにも伝えてくると、慌ただしく去っていた。
オルトはこういった催し事が苦手である。逃げたな。と母は知るが、筋が通っているので止められなかった。
それにしても、とアウグスタは思う。
説明の下手さは、誰に似たのだろう? あの人は弁も立ち、私だって口下手ではないはずだと。
オルトから説明を受けたであろうリナも、首を傾げっぱなしであった。
オルトの説明で確かなことは、ミリオッツィ商会頭までもが事件に巻き込まれ、リナの治癒により一命を取り留めたこと。
たったそれだけ。正直、物足りない。
それに引き換え、アントニオは無口だが説明は的確だったと思い出す。
ご婦人方の切り捨て方こそ下手くそだが、意思は非常にわかりやすかった。
——早く帰って来て、私を助けなさいよ。アントニオ。
力強いご婦人方に囲まれて、まるで夢見がちな乙女の様な言葉が過ぎったことに、密かに自嘲するアウグスタであった。
それも仕方がないのだと、彼女は自分自身に言い訳をする。
さっきから、ずっと視られている。
かつても、そして幾度となく晒されてきたのが、その視線であった。わからないはずもない。
だが、受け入れるしかないものだ。
声を顰める、頼もしき港街の仲間たち。
「本当、信じられないわ。あれで王都の官僚ですってよ。嘆かわしいわ」
「まるで、発情期よね。場も弁えず、汚らわしい」
情欲を隠すことのない監査官の視線も、ひどく居心地の悪いものだった。
「ただいま、戻りました」
低い声。
大きく張るでなく、けれどもよく通った。
扉が開かれ、立つのは騎士一人。
真っ直ぐに向かって来るのはアントニオ。
アウグスタの唇から、ふうと吐息が漏れた。
「遅かったですね。貴方らしくもない」
少し前まで周りにいたご婦人方は退き、彼女たちも今は少し遠巻きとなっている。
アントニオが帰って来ると共に、潮が引く様にして離れてしまっていた。
「少々、寄る所がありまして」
そう言って、跪くアントニオ。出た時と何も変わらない、瀟洒な姿のままであった。
「復命を。……四番街にて凶行に走った犯人を拘束。行政府、護衛団へと引き渡して参りました」
おおっとの感嘆や、賞賛の歓声にて、再び沸きあがる会場内。
誰もが疑っておらずともいえ、正式な報告となれば、平和への実感と変わるのも頷けた。
「大義です。凶器はどうしましたか?」
「解体済みです」
間髪入らず答えが返る。アウグスタには予想通りのものだった。
「他に、新たな怪我人などは出ましたか?」
「……いえ。新たには、おりません」
いつも通りの、娘であるルカと同じ無表情。
感情を表さない鉄面皮だが、アウグスタにはその貌に、苦いものが混じっているのが視えた。
それに、アントニオが言い淀むことなど、殆どない。
会場内を見渡せば、安堵と期待、そして好奇心に溢れた視線が渦巻いている。
情報を求めるのは、人の性。
特に、耳の速さが商売の隆盛に繋がるこの街の者であるならば、当然の態度であった。
「詳細は、不要です。追って、行政府から正式な発表があるでしょう。皆様も、よろしいですね?」
だからこそ、領主代行は牽制をする。
報告によれば、犯人は若い。この中に、縁者や関係者がいないとも限らぬのだ。余計な不安を煽る必要などなかった。
「あら……?」
アウグスタは「不思議そうな顔」をしながら、声を出す。そのまま、前へ進んだ。
跪く、アントニオの元へと。
そして、しゃがみ込む。彼の耳元へと、口元を寄せて。
「後で、私の部屋へ」
風に乗せることもなく、その耳へ微かな囁きを届けた。
「まぁ。格好をつけた騎士なのに、意外とだらしないのね? どこを抜けてきたのかしら? 肩に蜘蛛の巣が掛かっていますよ」
そう、これみよがしに言って、肩を叩いた。
蜘蛛の巣なぞ、ないのにも関わらず。
「あら、あら。まぁ、まぁ……」
「ふぇー……」
淑女たちが囁き合い、静かに騒めく。
彼女たちへ向かい、アウグスタは告げる。
「義兄は存外にだらしがないのです。早く良縁に恵まれてくれないと、義妹としても不安ですのよ」
ここのところ、アントニオへの挑戦に及び腰な淑女たちへの煽りであり、餞でもあった。
そして、本音でもある。
こんなにも、内心を溜め込む無骨者には、良き理解者が必要だった。
彼の後添いとなるならばその前に、少しでも共に過ごす時間は長い方がよいだろう。
――彼女たちには、大いに奮って「トラーパニの英雄殿」を射止めて貰いたいものよね。
そんなことを考えながら、アウグスタは「非常事態」の終了と共に、夜会の閉幕を宣言していた。
白い指先が握るのは茶器。
その長く伸びた口から、夜を溶かし込んだ様な濃い紅が、静かに落とされていった。
白く仄かに昇る湯気。燻るは柑橘の甘き香り。
番の如く皿へと乗せられる青磁の器に、深い色が満ちてゆく。
「はい、どうぞ」
傾きを均し、茶器を置いたアウグスタは、執務室に招いた客人、アントニオへと茶を勧めた。
「いただきます」
「いただきなさいませ」
行儀良く器を持ち上げる義兄。
茶器の縁には透き通る琥珀色が揺れている。
僅かな波紋を広げるそれは、彼を招いた当主代行からは見えなくなった。
「……美味い」
「当然よ。遥々海を渡って来た良い茶葉に、私たちの島の香りが付けられているのだから」
慎ましく笑うアウグスタ。情報の精査をしなくてはならないのに、心は軽くなっている。
「……」
茶を喫し、ふと顔を上げたアントニオの視線は少し横を向いた。
「何処を見ているのですか」
「別に」
その先には、寝室の扉がある。
執務室といえど、アウグスタの私室であった。かつては、夫婦の部屋であったもの。
数日前に息子に破られた扉以外は調度品も殆ど変わらず、十四年前のままだった。
「まぁ、いやらしいわね。大昔とは違うのよ」
「違う」
もう二十年近くも昔になるか。
輿入れしてきたばかりのアウグスタは、十一歳、まだ愛し子だったアントニオのことが可愛くて、部屋へ呼び、遊び相手にしていた。
「昔は、ちっちゃくて可愛かったのに。ねぇ?」
今のルカよりも一つ下の頃、庭先で延々と剣を振り続ける少年を放っておけなかった。
出会った頃のアントニオは、お人形の様に可愛らしい子供だったのに。
「成長した」
言葉は、よそ行きでない「昔」のものになっている。彼の表情も少しだけ、優しいものになっていた。
この子も、あの人との思い出に浸っているのだろうか。
そう思い、多少なりとも鬱屈が晴れてくれればと願う、大昔の「お姉ちゃん」であった。
「身体だけ、立派になってもね。貴方も一人では、ちゃんとした生活を送れませんし、ルカのためにも、素敵なお嫁さんを見つけるのですよ」
死者がなく、無事凶行の主も拘束されている。
自然と心も口も、軽くなろうというものだ。
男性が家事をしないのは、シシリアのみならずビタロサ共通の習慣である。アントニオも、例に漏れず生活能力は壊滅していた。
「……」
自信満々に胸を張ったのにも関わらず、無言で顔を逸らされる。
昔から、人と話す時は首元から鎖骨辺りへ視線は置いておきなさいと言っているのに、これだった。
ルカもそうだが、アントニオにも相手の眼を見る癖がある。
貴族社会では無用な諍いの元となるから、直しなさいと言い続けた癖だった。
そして、また彼の貌には苦いものが蘇っていた。
「貴方の心配や不安もわかりますけどね。罪は償わねばならないし、この街の住人ならやり直せる。最悪の結果にならなかったのだから、仕事を誇りなさいな」
銃乱射事件の犯人は学生で、まだ未成年だった。
部屋へ入ったそのときに、伝えられている。
根の優しいアントニオが、そんな結果であることを悔いるのも、仕方がないだろうとアウグスタは察していた。
「違う。十七なら、責任を取るものだ」
「じゃぁなんで、そんなに不機嫌なのよ」
当てが外れた彼女は少しだけ唇を尖らせる。
この、表情でわかり難い癖に、言葉さえも少ない男の気持ちを吐き出させるのは、結構な重労働なのだから。
アウグスタは、黙り込んでしまったアントニオを睨みつけた。
そこでふと、思い出したものは。
「貴方は誰も傷付けていませんし、立派に救いましたよ」
歯の鳴る音が聞こえた。そこで、ようやく合点する。
「オルディネは、何でした?」
「誰も、傷付けるなと」
アントニオは最初から、とても無理な難題に挑んでいた。それがわかってしまい、「ごめんなさい」と胸の奥で謝る。
「貴方は、時を越えられますか?」
首を横に振られれば、ですよねと、大きな溜息が漏れてしまう。
「無理を通せと、言いましたか?」
「お求めでしたので」
愛し子の頃からずっと変わらずにいる男が、少しだけ身を竦めている。
何が、そうさせるのか。アウグスタにはわからない。それでも、掛けられる言葉はあった。
「私って、そんなに暴君でしょうか?」
胸に手を当て、言ってやる。
憐れみを誘う媚態は言葉を引き出す手管。
この男、しおらしく見せる仕草には弱い。
そう。彼女はらしくないとも思ってもいた。
十二から戦場を渡り歩いたアントニオにとって、十七では遅すぎる。彼のその頃は既に、選別の責任を背負う立場にあったのだから。
「では、ありませんよ。麗しの奥方様」
綺麗に笑う男に。何も言えない女がいた。
その頬に少しだけ、熱が灯る。
彼女は精一杯に怖い顔を作る。すると——。
「可愛いらしいお顔を、しないで下さい」
何を言うと、激昂しかける領主代行だった。
こんなにも眩しい顔で、浮ついた冗談などと。
だが、即座に飲み下す。彼女は男の扱いを心得てもいる。
「言い訳だけが、上手になったわねぇ」
「そう、教育されましたので」
いけしゃあしゃあと笑う男と、視線が結ばれた。が、すぐに逸らされる。
「貴方ねぇ。言葉をその通りに捉えないでくれる?」
「……」
何を気に病んでいたのかを確信してしまえば、可愛らしいとも思ってしまう。
少しだけ浸る、理由なき優越感。
それでも、面倒な姉の顔をして。
「そんな事すら、わからないの? 誰が、全てを救えと言いました?」
「不明故」
小言への短い返し。
昔から、そういう子であった。
アウグスタは感情のままに最適と思って口にした言葉を、今更ながら悔いずにはいられない。
「背負って欲しいと、言いましたか?」
言葉を尽くすことにする。言語は人が用いられる、理解への道具なのだから。
「決して。我が夫人」
そんな真剣な顔をしないで欲しい。
未亡人はつい、よろめいてしまいそうな心に鞭を打つ。
「ならば、貴方は立派に務めを果たしました。防ぎ様のない初動の被害まで背負わせる。貴方の主君は、それ程無責任な女ではありませんよ」
「はい。私の女王陛下」
いつまでも、減らず口を叩く。だが、その生真面目さは彼女にとり、好ましいものだった。
主君として、釘を刺さずにはいられないのだが。
「ごめんなさい。無理なオルディネを出したわね」
知っている。最初から、破綻している願いを請うていた。あの時は、そんな事すら考えず求めた。
——最初から、誰も傷付けない事など、無理だ。
命令は、始まりから失敗している。
被害が出たから動いたのに、誰も傷付かないなどありえなかった。
「何ですか。私を、なよ竹の姫君だとでも思っていらして?」
矛盾する五つの難題を出し、何者にも触れさせることなく月へと帰ったお伽話の貴人を引き合いに出せば。
「そんな事は、ありません」
自信に満ちた表情に、苛立った。
だがアウグスタも、認めねばならぬのだろう。
「私の指示は、言葉を欠いていましたね。正確には『貴方の戦場において、これ以上、誰も傷付けてはなりませんよ』でしたね。命令は、完璧に遂行されましたわ」
「御意」
アントニオが生真面目で不器用な、けれども底抜けに甘い男であるのだと。
「これまでも、これからも。被害者たちや犯行者本人の傷などは、私の政治での話になります。わかりましたね? 私の剣」
「承知いたしました」
彼は私の命令だから、全てを叶えようとする。
武人であるからだ。
だからこそ指示は明確に、正確なものとしなければならない。
シンと静まる夏の夜は、蒸し暑かった。
ベルガモットの香りは薄れ、仄かな自分と男の体臭だけが、嫌に鼻につく。
胎の奥底が疼き、胸に迫るものがあった。
僅かに走った小波の様な揺らぎに蓋をする。
「早く貴方のお嫁さんを、見つけてあげないとね」
剣を携えし主君は軽く笑い、冗談めかして喫緊の課題を騎士へと突きつけた。
「ルカだって、もう十二となるのですから」
黙り込んだ男へは、次の矢だ。我儘が男の意地なら、それを許さぬのも女の意地だった。
アウグスタの良く知るアントニオの顔には、まだ苦いものが残る。
「幸も不幸も分かち合い、背負ってゆくものでしょう? そうやって、世界は回っているのよ」
棚分けをしても、捨て去れるものではない。
きっと、ずっと背負って生きるのだろう。
不器用な彼は、そういう人だった。
そして、誰もが。
「貴女様の背負う荷物を、僅かにでも分けて欲しい。そう望むのは、不忠でありますか?」
不意打ちの様な言葉。女は動揺を隠すかの様に、明るく微笑んだ。
「そういう台詞を、上手に使いなさいね。きっと、喜ばれるから。……お茶が空ね。もう一杯、入れてあげるわ」
立ち上がり、茶器へと手を伸ばすアウグスタ。
「その前に、もう一つ」
手が止まる。眉を寄せる、男の顔を見ていた。
「被害者が送られた病棟へ、寄ってきました」
すぐに、その行動には合点がいった。アントニオとミリオッツィ商会頭も、古くからの盟友だ。
この十四年、それ以上前からの親交もある。
「商会頭は、ご回復なされて? フィオナもお冠だから、しっかり治して貰わないとね」
アウグスタは安心しきっていた。リナの治癒の腕前も、確かであることを知っている。
死者はなし。その報告が心に余裕を与えていた。
「現在、意識不明です。他に三人程も」
簡潔な言葉。
足元が揺れる、かに思えた。
凍える思考とは裏腹に、肩は熱い。
音もなく、支えられていた。
視界に映るのは、真夏の夜の夢にも似た揺らぎ。
「離れなさい」
滑稽な喜劇を演じた己だが、自らの足で立つ。
熱が離れゆく。
アウグスタの視線は窓へ。街へと。
——フィオナへ、どう伝えれば。
統治者の責任と、一人の人としての情の間で揺らぐ、喪服の未亡人であった。
思い出される華やかな喧騒は遠い。
そして現実は、あまりにも重かった。
しばらく、週一回更新になると思います。




