46話 凪の中で。
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夜は更けていく。喧騒と不安に彩られながら。
止め置いた夜会客たちをもてなしながら、アウグスタは次々と送られてくる急使からの情報を捌いていた。
そう時が経た訳ではないが、あまり状況はよくない。
「ご苦労様。そうですか、犯人は凶器を所持したまま逃走していると」
アントニオを一人で送り出したのは正解だった。
悪戯に人を動かして、被害を広げることもないだろう。そうアウグスタは考えている。
「はっ。広範囲への破壊痕から、凶器は散弾銃と見られております。行政府は救命隊と共に、護衛団を送り出しました」
対応として妥当なものだった。とはいえ、人波溢れるトラーパニの中に、追い詰められた獣がいるのには不安もあるのだが。
「被害は、まだわからないのよね?」
「何分、夕刻で賑わう商店街のことでして。最悪も、ご覚悟ください」
まだ被害規模までは計りきれていない。
特に、人的損害の程度が知れないことは、アウグスタの心へ深い影を落としていた。
「ええ、お気遣いありがとうございます。使者殿もお疲れでしょう。羽を休めていってくださいな」
行政府職員へと微笑みかけて、下がらせる。
不安を与えてしまったか。下がっていくまだ若い青年は、心配気な顔付きを見せていた。
宴に興じる迎賓たちも、変わらない。
「アヴェンティーノの新作! これがまた、物凄い銃でな! 単純な威力も無論のこと、弾丸が空中で破裂する仕組みで、殺傷力を高めておるのよ!」
気楽なのは、監査官殿くらいであった。
紳士たちに囲まれて、銃器談義へ花を咲かせている。少年みたいに瞳を輝かせて。
「群体や、大規模な「怪物」どもの群れを相手にするのなら、生かさず殺さず、負傷を負わせて戦力低下を狙うのが効率的だからな! 使い道は、多いぞ!」
情や倫理観を逆手にとった、合理的な戦略理論が語られている。
アウグスタの唇からは、重い溜息が漏れた。
——男の人たちって、物騒なものが好きよねぇ。楽しそうにしているし、別に今は良いけれど。
緊急事態ということで、監査官殿も安全保護の名目で留めている。その世話を焼いてくれる紳士たちに、感謝をしていた。
難癖こそつけてこないが、流石に相手をするのはアウグスタも疲れるのだ。
「他にもな、対「霊獣」用の最新の火器を、仰山王都から持ち込んでおるのよ。市場に卸させて貰ってはおるが、直売ならば定価の七掛けで良いわい!」
商売熱心で結構なことだった。
武器には管理番号が振られるので、個人間売買なぞ、させられないのだけれども。
「それにしても、心配よね。被害はどうなのかしらね?」
「四番通りには宅の店舗もありましてよ。皆が無事だと良いのですけれど……」
ご婦人方の不安も仕方がないことだった。
物的な損害ならば、取り戻し様もある。だが、人的な損害は——。
「続報! 負傷者多数、重症者の数は現在確認中!」
続く報せに、アウグスタの手のひらには爪が食い込む。
一拍に満たない間だけ、音さえもが途切れた。
続くは、悲鳴、怒号、慌ただし響く音。
紳士淑女たちが体面を繕うこともなく、混乱と恐怖に陥る。
意味のある叫びと、意味のない言葉が行き交う。
幾つもの割れ音が響き渡り、幾重もの感情が膨れ上がり、破裂しかねない中——。
「静まりなさい」
決して大きくはない、アウグスタの声が全てを制した。
その声は、そして瞳は、冷たく凪いでいる。
冬の海にも似た寒気が、静謐を呼び戻した。
「死者は?」
「まだ、不明であります。ただ、被害状況から、用いられたのはアヴェンティーノの新型と目されております」
その言葉で、アウグスタの視線が一点へと動く。
——まさか?
結びつく思考。体の中の熱が、失われてゆく気がする。
「バカなっ! あれを街中で使ったのか!?」
最悪の予測を裏付ける様に、憤慨した監査官の怒声が響いた。大音を立てて、椅子から立ち上がっている。
「報告、大義であった。……皆様、私は鎮まりなさいとお伝えしましたわよね?」
さしものアウグスタとて、今は使者を労うまでの余裕はなかった。
その心は今、一人の男へ向けて注がれている。
監査官殿へであった。
視線に気付いたか、彼もアウグスタを見ていた。
興奮か酒精によるものか、朱に染まった顔。
鼻息は荒く、半開きの口からは短い吐息が漏れるのみならず、ヌラヌラと唾液に濡れている。
潤んだ瞳で見つめ返されて、アウグスタは僅かに眉を顰めた。
——こんな豚猿でも、後悔はあるのね。いけないわ、豚にも猿にも失礼よね。
愛敬のない老いた赤ら顔に、複雑な表情が浮かんでいる。
恐怖や自責のためなのか、どこか恍惚としたままの、哀願にも似た卑屈な貌。
「……おうっ、……うっ。……ふぅ……」
監査官殿の巨体は崩れ落ち、彼は跪いた。肉が厚く熱くも見える背中が激しく震えている。
だが彼は歪んだ顔だけを上げて、縋る様にアウグスタを視ていた。
フッと息が漏れた。
アウグスタからだった。
彼女は既に視線を逸らしている。ヌメッとした手のひらの感触を思い出し、つい柳眉を顰めてしまってもいた。
彼女には何故か、とても穢らわしいものを見てしまった様な、悍ましい悪寒が走っている。
彼を介護する者はない。
皆、遠巻きに彼を見ている。
それどころではないのだ。
誰もが不安を押し殺し、続く報せを待っている。
——オルト、リナ、アントニオ……。
祈ることしか出来ない。
家族だけでなく、潮風が靡く白亜の港町の仲間たち。懸命に日々を過ごす同胞の顔が浮かぶ。
領主代行であっても。
母であり、ただの女にすぎないアウグスタには、今出来ることなぞ何もなかった。
甘い見通しが、出来るはずもない。
それでも、無事であって欲しいと願わずにはいられない。
誰しもに宿るその想いは祈りとなって、夜会とい虚飾の場は剥がれていった。
静かに、時は過ぎてゆく。カチカチと鳴り続ける時計の針だけが、重苦しい気配を刻む。
「朗報!」
場違いな程、明るく響く声。
纏うのは、これまでの急使である行政府職員たちと同じもの。
「死亡者なし! 現状、死亡者は確認されておりません!」
たった一つの情報が運ばれた。それだけで、胸の強張りがほどける。
「おおっ!」
「よかったぁ……」
それは誰もが同じであり、歓声と安堵の吐息が巻き起こる。
「な、なんだと!? もしや銃に不具合が!?」
監査官殿は別の様だが、再び睨み付けてやれば、すぐに大人しくなる。相変わらず奇妙な表情と姿勢でいるが、今は関わっている暇はない。
「大義です。行政府のご尽力に、感謝を」
アウグスタは使者へと向けて、淑女の礼をする。
波居る客人たちも、同じく彼へと向けて、それぞれの作法で労った。
「あはがとうございます。しかし、運が良かっただけであり、行政府の力ではありませんよ」
「幸運はあるのでしょうが、皆様が力を尽くしたからこそ掴めたものでしょう。胸を、お張りなさい」
笑みを浮かべて謙遜する使者殿だったが、安心したアウグスタは、なお言葉を送った。
仲間を、帰属する組織を褒められて、喜ばぬ者はない。社交としての手管であっても、それは本心からの賞賛であった。
「はは。現場近くにですね。たまたま腕の良い癒師がいたんですよ。そのお連れさんも、見事な指揮振りでしてね。男女でしたが、迅速な治癒と処置がなければ、この結果はありませんでしたよ」
「それは、それは。その方たちにも、それに多くの優しき方々にも、深く感謝を捧げねばなりませんわね」
どよめきも、心地よいものだった。
決して、被害規模や怪我人の状態などは、手放しで喜べるものではないだろう。
それでも、たまたま居合わせた人々が力をあわせ、「最悪」の結果を回避した。
人の、港町の同胞たちの心は捨てたものではないのだと、唇が綻ぶ領主代行である。
「……何か?」
緩んでしまっていたのだろうか。
笑みを浮かべる使者殿に、やけに見られている。
会話をしているので見られるのは当然なのだが、その表情が妙に悪戯っぽい。
そんなに、だらしのない顔をしていたかと、少し恥ずかしくなったアウグスタ。
「いえ。立派な若者達もいたものだなと」
「若い方たちでしたのね。将来が、楽しみでございますこと」
彼女は手持ちの扇で、口元を隠した。
「では、私はこれで失礼します。『最悪』は免れたとはいえ、犯人の拘束はまだです。お気をつけください」
使者は辞去の挨拶を告げ、身を翻した。
「ご休憩なさらなくても良いのかしら? お疲れでしょう?」
アウグスタは呼び止めようとするが、彼は首を振る。まだ安全とは言えぬ以上、人手は幾らあっても足らないのだと。
「降ろしてくださいー! 自分で歩けますって! こんなの見られたら、誤解されるでしょ!」
喧騒で騒めいているのに、はっきりと聴こえる。
気持ちが昂っている時の、リナの声だ。あの子は叫ぶと、良く声が通った。
「誤解ってーのはなんだよ? リナは疲れてるんだから、大人しくしておけよ」
オルトの声音は静かだが、とにかく大きい。
嵐の中でも良く響く、あの人から受け継いだ特徴だった。そういえば、あの子の背丈はもうあの人よりも高い。
——ああ、無事で良かった。
再びの安堵のためか、僅かに気が抜けてしまっていたためか。
アウグスタは急使の背中を黙ったまた見送ってしまう。その彼が、一度振り返る。
「奥方様。若き英雄たちの帰還ですな。たまには、褒めて差し上げると良いでしょう」
謎の言葉を残した使者殿が、扉を開ける前。
「たっだいまー! 母ちゃん、報告があるぜ!」
よりによって重厚な迎賓室の扉を足蹴で開いたオルトが、やけに明るい顔で帰宅の声を響かせていた。
一瞬、怒鳴りつけようとしたアウグスタだった。
大きな図体で、顔を真っ赤にしているリナを抱き抱えているし、客人たちの前で、あまり無作法なのもよくない。だが——。
「流石は若様っ! 見事な指揮っぶりだって!?」
「リナちゃん、治癒に磨きがかかっているわね!」
不出来な息子を迎えたのは、これまでの声たちよりも騒々しくも暖かな賞賛だった。
これには、アウグスタも黙るより他なかった。
四番街、現場近くに「たまたま」居合わせた、年若い二人組。
混乱の場を纏める、勇気ある指揮官と、冷静でありながら、諦めない強い意思を持つ癒師。
「……そういうこと」
ようやく、使者殿の表情の意味に気付く。今の今まで、気付いてはいなかった。
「リナちゃん羨ましいわぁ。逞しい腕に、アタシも抱かれたいわ」
「良い筋肉だ、流石だな!」
英雄へ賛辞を送る人々。
少しハニカミながらも、人波をを潜り抜けていく子供達。
「ちょ、通してくれよ。母ちゃんに報告しなきゃなんねーんだから。怪我人も、多くてよ。重体の人だっているんだから、浮かれてなんかいられねーよ。それになんか、ヤベー感じになってるし」
だが、気付いてみれば先程の遣り取りは、親バカの様でいて、かなり気恥ずかしいものだった。
しかし、そんなものは今は飲み込もう。
無事帰って来た子供たちへ、掛ける言葉なんて、大昔から決まっている。
「おかえりなさい、二人とも。また街で、元気に遊んできたのね」
当たり前の挨拶が、未来の希望へと返された。




