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39話 甘い毒、重い数。

お読み頂き、ありがとうございます。


 アウグスタは、逞しい男性と対峙していた。


 腹こそ出ているが、堅太りといった体型の五十ばかりの男。

 日に焼けた髭面に自信溢れる表情が、精力的な印象を強めている。

 王都より赴任してきた、監査官であった。


 彼の傍に侍るのは、豊満で、色気に満ちた女性。

 柔和といった印象を受ける丸顔を腹の上に頬を埋めて、愛し気に膝を撫でている。

 表情を綻ばせながらも、彼女は流し目をアウグスタへと送っていた。


「寛大なる監査官殿、アウグスタ・ビアンカ・キエッリーニ。ここへ、ご機嫌伺いへと参りましたわ」


 案内人に扉を開かせ挨拶をすれば、監査官殿が慌ててズボンを上げるのが見えた。

 夜会でも目にした淑女が喉を鳴らし、嫣然として微笑んだ様が、目に残る。

 慌てた様に立ち上がり、何事か捲し立てた監査官殿の言葉は、耳にも頭にも入らなかった。


 肌にまとわりつく外の暑さと異なり、室内では涼しく風がそよいでいる。

 だというのに二人の肌は上気していて、しっとりと汗に濡れている。


 机の上には、書きかけの手紙が置かれていた。

 その横に、空きかけの酒瓶。菓子の包装も、散らばっている。

 鼻をつく臭いは、酒精のものだけではない。

 獣じみた生臭さが、営まれていた物事を想起させた。アウグスタの眉間に皺が寄る。


 それらを覆う様にして、可愛らしくも甘い、焼き菓子の匂いが薫っている。


 甘い香りを漂わせ、立ち上がったのは嫋やかに微笑む女性。淑女の背は高い。

 黒き喪服と、白きドレスが向き合った。


「あら、奥方様。今度は、監査官殿を籠絡に?」


 見下ろす様にする彼女は、別に悪い人ではないとアウグスタも知っている。

 ただ少しだけ、価値観が異なるだけだった。

 だからこそ、伝えてやる。


「あら。貴女の良い人は、こんな寡婦に心動かすのかしら?」


 良い人というのが、お気に召したのだろう。彼女はご機嫌に頷いて。


「良くは、ないわね。ねぇ、貴方?」


 そんな囀りを奏でた。

 どちらの意味かは、明白であった。アウグスタは微笑の仮面を貼り付けて、二人を見ている。

 どうやら好色婦人と謳われる同年代の女性には、あまり歓迎されていない様だった。

 

 だが、そんな女性とは裏腹に、王都からの刺客、監査官殿は思いもよらぬ態度を取る。

 顔付きを謹厳に引き締めての、恭しき一礼。

 とても理に適った、洗練された所作である。


「これはこれは。拙者、王都より派遣された……」


 言葉は途中で途切れ、悲鳴があがった。

 淑女が、思い切り監査官殿の足を踏んでいる。

 とても、痛そうだった。

 好色婦人は手袋に包まれた左手を口許へ当てて、微笑んでいる。


 男の方、監査官殿の左手薬指に刻まれた、黒き刻印。誓いがありながら、不貞を働いた証。

 それがいつからのものだかは、アウグスタには判らない。だが、溜息が漏れた。


「お噂は聴いておりますよ。貴女は、もう少し男をみる目をですね……」


 老婆心ながらも言ってやる。

 集まってしまった情報から、少しどころか大層、彼女の男の趣味は悪いとアウグスタは思っていた。


「あら。どこぞの未亡人と違い、恋に一途なだけですわ。……それに、貴女ほど器用には生きられませんもの。夫を失って、子を盾に、身体と愛想でしがみつく、『領主代行』ですものね。とても、ご立派だわ」

「あらあら。苦労を買って頂いて、嬉しいですわ」


 女一人が、領主の真似事をしている。

 そんな立場にあるならば、耳にする己への評判は良くも悪くも知っていた。

 だが、面と向かってそんなことを言われれば、アウグスタとて、多少は剣呑にもなる。

 声は一段、低くなっていた。

 

「淫売が……」


 「良い人」と同じ、刻印を刻まれた淑女が一言。

 その呼ばれ方には、何かを返す気にもならない。


 好色婦人の言葉も態度も目に余るものだが、取り合って何かが変わる訳でもなかった。

 ただ少しだけ、息を細く、長く吐く。


 昔から、アウグスタには「女」を使って領主代行という立場を護っているのだとの噂がある。本人もそれは知っている。

 その風評により、一部の女性達からは嫌悪されているという事も。

 だが、まったく身に覚えのない誹謗中傷だった。


 そもそも、アウグスタは夫以外に男を知らない。

 夫とはオルトに弟妹をと励んだが、残念ながら二人目には繋がらなかった。


「まぁ、いいわ。要件があるのは貴方にでなくて、そちらの良い人にですわ。少し、外してくださっても?」


 この女性には、退屈な話題だろうと提案をしてみれば。


「嫌よ。そんな事言って、またアタシの男を盗る気でしょう」


 そんな事実はなかった。


「そんな真似、しないわよ」

「ふん。どうだか。澄ました顔して、その身体。男達に媚び売ってんじゃないわよ」


 まるで毛を逆立てて威嚇する、猫の様である。


 ——不毛だ。


 アウグスタは、面倒臭いので折れた。

 感情的な言葉の応酬に、時間を使う暇はない。

 

「……別に同席されても構いませんが、楽しいお話ではなくてよ?」

「まーいやらしい。私がいない間に、『楽しいお話』でも、するつもりだったのかしら!?」


 本当に、勘弁して貰いたかった。

 何故、彼女が、というより彼女達がか。こうも頑ななのか、アウグスタにはわからない。

 だが、こういった遣り取りはそれなりの頻度で、起こるものだった。

 まったく利益もなく、楽しくもないが。


「こらこら、お客様に失礼だぞ。それに、儂を信頼出来んかね?」

「そんな事はないわ。でも、生真面目な文官の貴方が、悪女に誑し込まれないかと心配なの」

「可愛いヤツだのう」


 そこを仲裁するのは意外にも、監査官殿だった。

 だが、とんだ茶番と共に気分を出し始める男女がいる。アウグスタは思わず咳払いをした。


「し、して、代行殿。拙者に、何かご用でもおありですかな?」


 本人は柔和な笑顔を作っているつもりだろうが、だらしなく緩んだ笑みをしている。

 だが彼は、王都より、財務省より送られてきた内部統制への裁定者だ。その言葉は、重い。


「流石は聡明な監査官殿ですわ。少し、込み入ったお話となりますが、彼女の同席に問題はございませんか?」


 監査官の視線も、とても領主代行へと向ける眼差しではなかった。

 あまり愉快なものではないが、そんな素振りを見せるアウグスタではない。


「私共も王都よりのご用件、お察ししておりますのよ。それで、お手伝いが出来ないものかと。——婆や」

「収納解除」

 

 アウグスタの呼びかけに、傍に控える婆やが応えた。ただ、一言で。

 老婆の両手に持たれているのは、一冊の書籍。

 そう見紛う程に分厚い、「総勘定元帳」と題字された帳簿であった。


 好色婦人が、言葉を失う。

 そして、息を呑んだ。


 婆やは取り合わず、それを机へと置いてゆく。

 散り広げられた書きかけの手紙や、焼き菓子の包装を掴みながら。

 視界の端に映る手紙には、随分と几帳面で綺麗な文字が記されていた。


 ドンという、鈍い音。


 室内から一時、音という概念が消える。だが——


 次に、もう一冊がドン。


 一拍。クシャリと紙を握る音。


 更にまた一冊が、ドン。


 その後も、何度も。


 机の上に「経済」の重みそのものが、積み重なっていく。


「……収入詳細帳に、支出詳細帳……」


 唸り声にも似た呟きと共に、監査官の喉が鳴る。


「霊核流通台帳……? これは、行政府への」

「ええ。融資記録の写しですわ」


 婆やは都合、七冊の帳簿を置いた後、草臥れたとでも言う様に、己の肩を叩いた。


「婆や、発言を許可します」


 腰を伸ばした婆やは、フンと息を吐き。


「残るんな、関税記録照合帳と市場統制関連支出帳たい。行政府にも置いてあるとに、たいぎゃ優しかことで、うちん奥方様は」


 言葉とは裏腹に、鬱憤を晴らす様な鼻息だった。


「直近での『大禍』からのものですと半端ですので、四十日分の用意をしましたわ」


 今日はあの日の騒動から三十八日。


 行政府への無利息、無担保の融資を始めてからも、二十日目となる。数字の重みが、物理的に存在している。


「照合の、お手間を省くかと」


 鼻白むお二方へと向けて、アウグスタは嫋やかな笑みを見せていた。




「また、賢ぶっちゃって! 可愛くない女ね!」


 やがて重い沈黙を破ったのは、身をくねらせた好色婦人だった。癇癪を起こしていても、寧ろ、いるからか。

 アウグスタから見てでさえ、彼女は不名誉な二つ名持ちながらも、艶かしくも美しい女性である。

 

「アナタ、こんな女狐に良い様に言われて、悔しくないの? 槍みたいに逞しい、強いのを見せてよ」


 帳簿からは顔を背ける彼女は、監査官殿にしなだれかかる。その頭を優しく撫でる男の視線は、七冊の帳簿を睨み付けていた。


「こらこら、『領主代行』殿の、御前だぞ」


 叱る言葉とは裏腹に、甘えを許容する声。

 男と視線が合った。


「女を哭かせるのは、得意でしょ?」


 太い指が、女の唇を塞ぐ。男は此方を見ている。

 赤い舌が、太い唇を舐めた。


 アウグスタはゾッとしている。

 流石に、あから様過ぎた。

 あまりにも露骨なソレに圧倒され、羞恥に悶えてしまっている。


 そんな姿を尻目にして、好色婦人は咥えた指先を離し、一言。その唇は唾液に濡れていた。


「あら、奥方様も羨ましくて、震えているわ」


 何故、こうまで慎みがないのか、アウグスタにはわからない。


 男の視線が、過去に何度も晒されたものと重なっている。

 ヒクリと、攣る喉。口の中が酷く、渇いている。

 息が、呼気が浅く、速くなる。


 理屈では圧倒している筈なのに、気圧されていた。


 そんな奇妙な空気の中、未亡人の前に毅然として立つ者がいた。

 アウグスタよりは大きいが、枯れた背中。

 婆やであった。


「ヒヒッ、そら興味深か。婆も槍ん扱きには些か覚えがあるけん、是非に夜戦ば願いたかとですよ」


 とても良い笑顔をしているのだろう、婆やの貌は見えない。だが、その嗄れた背中と声に心は戻る。


「あらあら。(ワタクシ)、泣かない女として、それなりに知られておりますの」


 十四年。もうそれだけの月日が経っている。

 夫が身を散らしたあの日から、涙は流れない。

 僅かながらも残る、女の自尊心が首を擡げた。


 一瞬、視線が泳いだ。

 だが、そんな甘えを許す程、歴史は軽くない。

 それを、教えて差し上げましょう。


「逞しき監査官殿。今夜は一晩中、この数字の海で溺れませんこと? 私、素敵な殿方となら、お付き合いいたしますわ」


 可能な限り蠱惑的に。男の情欲を煽るようにと、身を悶えさせながらも。

 背丈こそ及ばないが、男の視線が集まる胸部ならば、負けてはいない。腰の太さは負けるとも、真正面から相対し、なお負ける気はなかった。


「さぁ、一緒に帳簿(天井)を眺めましょ?」


 得意気に、だが確かな強度を込めて、アウグスタは言い切っている。

 絶句する二人——のみならず、婆やまでもが物凄いお顔をしていた。




 時計の針が、単調な響きを奏でている。


 妙に弛緩した空気の中で、監査官と好色婦人は二人して、口を開けっ放しであった。

 婆やが、咳きを一つする。


 監査官が慌てて、「市場統制関連支出帳」へと手を伸ばす。この中では、一番薄いものだった。


 変わらぬ音が鳴り響く。ペラペラと、頁を捲る紙音だけが、変化を加えていた。

 やがて、男はとある頁へ指を差す。


「ここ、急に支出が減っておりますが?」

「ええ。霊核の供給が安定しましたからね。市井よりの買取も、その頃から落ち着きましたわ」


 フンと鼻を鳴らす官僚。


「操作した相場で、適正価格を下げおったか」


 その言葉へは微笑のみを返す。

 大きな介入は相場を荒らす。投機筋によっては、これにより多額の損失を計上する事となった。


「別に、問題はありませんが……な?」


 嫌らしくも見える笑顔にも、アウグスタは揺れない。すっかり慣れてしまった視線であった。


 その後も、三度、頁を捲り上げるまでに間があった。だが監査官は声を出さず、澱みなく読み進めてゆく。


 やがて監査官の目が帳簿から離れる。パタリと閉じて、トンと表紙を指で叩いた。

 上がるのは、真摯さを装う自信に満ちた顔。

 アウグスタは、それを見ている。


 ——ああ。


 たったそれだけで、わかった。

 立ち位置がある限り、揺らぐ事もない。

 この男は、そういう男なのだろう。


「ハッハッハ! これは、これは! シニョーラは、実に情熱的でいらっしゃる!」


 カラカラと笑いながら、監査官は帳簿を閉じた。

 七冊分の重みが、なかった事になりつつある。


「代行殿。ご丁寧なるお心遣い、誠にかたじけない。だが、まずは精査の時間が必要でしてな。後日、改めてご連絡を差し上げますぞ」


 体裁だけは、整えている。鷹揚で、如才なく。

 それが、この男の処世術なのだろう。


 ——賢い。


 アウグスタは内心で、素直にそう思った。

 俗物であっても、生き延びる者は賢い。

 だからこそ、厄介だった。


「……承知いたしました」


 だが、それでも役職上、提供した資料を精査せねばならない。人を使うにしろ、手足は減った。

 理を通さねばならない以上、時間は稼げる。


 笑みを崩さないまま、一礼する。


「ごきげんよう」


 もう、ここに用はない。

 恐らくはこの後、官僚達に激務を強いるが、励んで貰うしかなかった。


 踵を返しながら、領主代行は深く息を吸う。


 婆やが無言で着いて来ていた。


 廊下へ出た瞬間、背後の扉の向こうから、何故か好色婦人の高い笑い声が聴こえる。

 とても嬉しそうな声。甘えにも似た、嬌声。


 目的は果たしたというのに、困った事に敗北感だけが募る。

 共に星を眺めましょうという、求愛にも取られかねないものは、流石に言い過ぎた。

 言葉は、慎まねばならない。

 心を届ける為にある道具は、研ぎ澄まされたものでなければ。

 それが、仄かな彼女の矜持であった。


 だが、正直に認めなければならないだろう。


 ——あの女が、天敵だとは思いたくないけれど。


 婆やにも見せない様に、胸の中で盛大な溜息を漏らすアウグスタ。

 数字と睨み合いをする日々が、無性に恋しい。

 だが、あの部屋で嗅いだ焼き菓子の甘さにも、気がそそられる。

 あれだけは毒気すらをも忘れさせる、日常の香りがしていた。ほんのりと、欲望が持ち上がる。


「婆や、少しだけお買い物していきましょう? ルカやリナだって、焼き菓子は好きよね?」


 言ってみれば、小娘時代にされた様な、厳しいお顔をされる。最近じゃこんな貌、息子(オルト)にしかしないのに。


「こげん暑か日に、せからしかして、倒れらるっとか?」

 

 アウグスタの歩みは、僅かに止まる。


 日傘を差した彼女を照らす陽射しは、盛夏らしく強く激しいものだった。

 


 


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