37話 燻る火種と揺れる柳。
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朝靄の残る中庭に、鈍い音が響いた。
石畳の上、仰向けに転がるオルトを、騎士の一人が見下ろしている。まだ若い、オルトも良く知る同級生の優男だった。
「また、同じ所だぜ」
短く言われ、手を差し伸べられる。
「わーってるよ」
オルトはその手を掴みながら、舌打ちをした。
「俺って、そんなに鈍間か?」
「そうじゃねぇが、読み易いな」
懐に入られた瞬間、詰んでいる。それは、あの時も今も、変わっていなかった。
「間合いを殺されて、力が入んねーんだよな。どうしたら、力を出せるんだ?」
「力を出せねーんじゃねーよ。出させねーんだよ。出す前に終わらせる。それが『ヤワラ』だぜ」
同窓による訂正は恐らく正確なのだろう。昔と変わらぬニヤけ顔さえ、今は腹も立たない。
「つーかよ、オルト。お前の得意分野に持ち込めば良いんじゃねーの?」
「アイツはオメーなんかより、巧いんだよ」
「俺に転がされて、言うんじゃねーよ」
騎士となったコイツにも、学生時代に負けた事はない。だが、今でも勝てるかといえば、断言はできなかった。
「オメーも、力付けたよな。やっぱ、実践に勝る訓練はねーか」
「毎日死に掛けてっかんな。これは、庶民様の特権だぜ」
笑う同級生に、オルトは少しだけ眉を下げた。
学生でなくなって、たった一年。
冒険者となったにも関わらず、死線を潜ったのは数える程だった。その差が出ていると、オルトは思う。
「それでも、簡単に負けた相手が彼です」
低い声。中庭の隅、石段に腰を下ろした副官が、手入れ中の剣から目を上げた。
顔の右側、耳から顎へと走る痕。リナの治癒で塞がれた傷跡は、もうない。
だが、あの夜の傷跡はまだ残されている。
「若様。あの男は、私相手でも本気ではありませんでした」
やはり静かな声だった。
「俺達を片付けた時も、そうだ」
コイツも、ジーノにのされていた。
オルトは黙って聞いている。
「だから、若様が挑めば——手加減される。それが、一番厄介かもしれません」
本気で相手にされていない。
その言葉の意味を、オルトも身体で知っていた。あの砂浜で、散々に思い知らされている。
「わかってる。だから、手加減させる間も与えずに、一発入れれりゃいい」
「……簡単に、言いますね」
副官は、苦い顔をした。
「もう一本、付き合ってくれ」
オルトは構えを取る。
騎士は溜息を一つ吐いてから、向き直った。
石段の副官は、また剣へと目を落とす。
彼は止めはしない。止められる立場でもない。
ただ、手入れをしながら、ぽつりと言った。
「顔の皮一枚、持っていかれましてね」
知っていても、オルトの動きが一瞬止まった。
そのまま投げられる。
顔の上で、靴裏がピタリと止まった。
「一本。次で、良い時間となりますか」
オルトはルカの迎えに出るまで暇だが、騎士達はそうではない。何も騎士は戦闘や訓練だけが仕事ではないのだ。
その休憩時間を、こうして使ってくれている。
「治癒で塞がれても、夢には出ます。ですから」
副官は続けない。
続けなくても、わかった。
だから、付き合ってくれている。命令ではなく。
オルトは立ち上がると深く息を吸い、足裏で石畳を確かめた。
若き騎士が、静かに間合いを詰めてくる。
やがて暇を持て余したオルトは、街へ出る。
ルカを迎えに行く前の、時間潰しであった。
筋肉の鍛錬をしてもよかったが、躊躇われた。
柳のジーノとの力量の差は、腕力とか素早さとか、そんなもので埋まるとは思えなかった事もある。
「考えなさいな」それは母ちゃんの、口癖だ。
オルトは身体よりも頭を働かす方が、正しい道だと直感していた。
そんな彼が街歩きをしていると、広場に目が留まる。多くはないが、それなりの人数が集っていた。
その中に、というか外側か。見知った顔の、獲物が一人いる。退屈そうにして、ただ立っている。
声はよく通り大きいが、それだけだ。オルトの心に響くものは何もない。
——どうせ、手加減される。
蘇った言葉を利用する事が閃いた。悪くとも、殺されるだけだった。
暇な柳と、いっちょ遊んでやろうと、真っ直ぐに進んでいる。
男が腹から声を出す。明瞭な、響くものだった。
「不当な規制は我々の心を枯らす! 今、ここで、声を挙げなくて良いのか!」
若者達の事情とはお構いなく、街の一部の人々は熱狂している。
「不当な差別には抵抗を!」
「法は、行政の都合で敷かれるものではない!」
口々に泡を飛ばす群衆。手を振り上げ、煽る一人の男。
「その元凶は、誰か!? 正当な権利なく、専横を振るう者達だ!」
煽動者による演説だった。
この言葉には、やや反応が薄い。それが誰を指すのか、知る者が多いからだろう。
そんな事を思いつつ、遠巻きに見ている「柳のジーノ」は、脱力した吐息を吐き出した。
「チッ……」
手を振り煽る煽動者の姿は、熱に浮かされている様でいて、気味の悪いものだった。
あの、家借りしていた赤い屋根の家と同じく。
「我等が地道に収めた税は、何に使われている?」
目前の生活しか見えない民衆が、それを知る筈もない。ジーノだって知らないし、興味もなかった。
ただ、ありもしない物を信じ、それで飯を食おうとするのなんざ、気に食わなかっただけだ。
だからこそ、小熊の坊ちゃんを招待してやったのだ。そうすれば、あの剣が、なんとかするのだろうと予想して。
「『収益の遡及回収』だと!? 成程、保険の一つになるだろう。だがそれは、正当な労働から更に収奪するという、二重課税に他ならん!」
そうはならなかった。赤い屋根に集った奴らは、死体を集める無意味な仕事に精を出していた。
追い剥ぎなら、まだ意味がある。だが、それすらもない連中の死体を集めて嗤っていた。
ジーノも別に、綺麗事を言うつもりはない。
だが、ここに集う者達の多くが同じ顔をして嗤っているのを見れば、愉快とは程遠い感情となる。
「おめぇら、アイツらや、嗤っていた死体と、まるで同じ目をしているぜ」
皮肉に吐き出した呟きは、風に流れる事もない。
ただ小さく、吐き出した本人の耳にだけ、囁かれている。
「その先導をしたのは、誰か!? 思い出せ! 我々の不幸を運ぶ淫婦を!」
大層盛り上がっている様だが、呆れ果てるジーノだ。
未来の利益に投資する。そんなあやふやな行為を労働と呼ぶ連中に、価値はない。
見渡す誰もが綺麗な服を着て、健康そうだった。飢えていない。なんの苦しみも知らない様に、彼には見えた。
「連日、華美な夜会を開いている『貴族』がいるなぞ、おかしいとは思わんか!? その金の出所は何だ!?」
言葉巧み。まともな社会の中では、美点なのだろう。だが、それを吐き出す「仕事仲間」は、既にまともな社会にいない。なのに、そう「見せようと」していた。
「我等の汗水が、収奪されているのだ!」
後ろ暗い金の動きを仄めかしている。国法において、収賄は死に値する。どちらにもだ。
だからこそ、疑いを持たれただけでも拘束される事になる。そんな危ない橋を渡る者は、そういない。それは、無頼であるジーノとて同じであった。
「舌先で人を転がして、どんな地獄へ落ちるのやらな。俺と、どっちがマシな場所かな」
柳の呟きは、誰にも聴こえない。それは、彼だけのものだった。
「公のものを、私すること。これ罪悪なり!」
同じく、その様な行為も死に値した。公のものは王のもの。それを私するならば、叛逆となる。
殆どその様な真似をする者はない。しかし、疑いの火種ならば、作れた。
若い頃のジーノも、そんな輩の口車により、道を間違えた。だからこそ、気に入らないのだろう。
「特権を許すな! 我等は平等に権利を持つ!」
煽動者の声は、良く通る。
炭火へと送る風の様に、厚く硬いものへと、ゆっくりと静かに浸透していく。
群衆の熱は、じわじわと広がっていた。
「知らねぇつーのは、平和だな」
ジーノは人混みの外縁に立ち、欠伸を噛み殺す。
何の感慨もない。柳は己すら受け流す。
退屈な護衛。それが、今日も仕事である。
とんだ、貧乏くじだ。
契約の問題から、この男の護衛もしなければならない。ただでさえ「何も知らない」おっさんの、護衛をするには重過ぎる「おまけ」だった。
「私は、心を届けるものを持ってきた。欲しいならば、分け与えよう。私達は、公平だ!」
随分と、口は回る。どう生きれば、そんな妄言が吐けるのか。それは、ジーノにもわからない。
――公平、平等、人の尊厳。
そんなものは、幻想だった。それを知る無頼は、再び唇を皮肉に歪める。
「例え強者といえど、たった一人で生きていく事は出来ん。支える者、地を這う我等の主張を、無視するのならば、暴君にすぎない!」
よく言うよ。と、ジーノは思った。
彼は知っている。基準が違い過ぎるのだと。
あの、騎士の様に。
人混みの向こうに見覚えのある頭が見えた瞬間、ジーノは小さく、もう一度舌打ちをした。
でかい。目立つ。真っ直ぐに来ている。
一度痛い目を見せた、若造だった。
後になって知ったが、領主代行の息子らしい。
「……なんで、ここにいんだよ」
溜息が、自然と漏れた。
若造は人を掻き分け、一直線に向かってくる。
迷いがない。賢くはないが、清々しいほどに真っ直ぐだった。
——やれやれ。
ジーノは煽動者から視線を外さないまま、人混みを避けるように一歩引いた。
「よう、おっさん。借りを返しに来たぜ」
声も届く距離になっていた。
ジーノを見るその顔は、至って明るい。
落とし前を付けに来たにしては、随分と気楽な顔をしている。
「また来たのか、小僧」
「ああ。今度こそ、一発入れてやる」
あっけらかんと言い切られる。
ジーノは暫く、その顔を眺めた。
「俺が何しに来てるか、わかってるよな」
「あそこの五月蝿ぇ奴の、護衛だろ。だから、その仕事が終わったらでいい。相手してくれ」
律儀というか、バカというか。
「待てるのか、お前」
「待つよ。でも、このバカみてぇな演説、止めてくれると助かる」
「出来ねえよ。仕事だからな」
「わかった。んじゃ、終わったら」
ジーノは、額に手を当てた。
思い出すのは偶に見かける事がある。「偉い奴ら」をだ。
そういう奴等と同じ迷いの無さが、この若造にもあった。
「つーかよ。なんだよあの住所。おかげで、偉い目にあったぜ?」
「あー。あいつら捕まったんだっけか? 寝ぐらは借りてたが、喧しくてよ。流石に死体集めは趣味に合わなくてな」
予想内の事だ。あの騎士がやるのかと思ったら、坊ちゃんがやったそうである。
その情報は、ジーノも耳にしていた。
「おっさんが、情報をくれたおかげだぜ」
「五月蝿ぇよ」
なんの陰りもない、野放図な声に耳を押さえていた。なんとも傍迷惑な若造だった。
こいつが強くなったら、「あーいった連中」みたいになるのか。そんな事まで、考えてしまう。
——面倒だ。
護衛対象が、切り上げの挨拶をしている。元々決められていた時間制限である。
今回においては、ここまでとなった。
若造が、拳を握り締めている。
筋肉の緊張、関節の弛緩、充分に、力を運ぶ起こりは出来ている。だが。
——ああ、わかりやすい。まだまだ、青い。
力と速さだけの、なんの技巧もない野生。
少しだけ速くはなっているが、まだそれだけだ。
だが、嫌いじゃない。話にならん程に、まだまだだが。
そう考えた魔銀位階の冒険者、「柳のジーノ」は小熊の坊ちゃんを再び叩きのめした。
立ち上がった若造は、ピンピンしている。
当然だった。
まだ、意識も刈ってはいないし、骨を折っても、関節も外してもいない。
「やっぱ、強いよな。どんくらい、手加減した?」
答えの代わりに、楊枝を投げてやる。鎮静作用のある、ジーノの表仕事における商品の一つだった。
小賢しい小僧に、答える義理はない。ここで不要な恨みを買って、あの騎士に出張られても堪らないからだ。
糞餓鬼は、あの男が忠誠を捧げる女の息子であった。藪を突いて蛇を出す。そんな趣味はジーノにはない。
「おめーらが情けねぇから、あーいった奴らがのさばるんだぜ?」
扇動者の野郎は、身なり良く肥えた奴らに囲まれて、得意になっている。
「ご清聴ありがとうございます。私は皆様のお役に立てるだけで、過分な報いです故」
言葉でこそ謙遜するが、その高揚もジーノには容易く読めるものだった。
必要ないだろうよ。コイツらなら、怪しげな商材でも喜んで買うだろうぜ。そうも考える。
「我等の正義を、証明しましょう」
変わらぬ世迷言は、ジーノにとって虚なものだ。
道化は舌を振るうかもしれないが、「弱さ」を武器とする以上、碌な結果は待っていない。
——精々、ご自慢の正義の為に踊りやがれ。
己を磨く事なく、他者を貶めて優位を得る者なぞ、実に下らないものだった。
どうせ、碌な事はしないだろう。
それに比べれば、小賢しくともまだ小僧の方がマシである。
「おっさんさ。悪ぃんだけど、俺の肥やしになってくれや」
それでも向上心の強い若造には、嫌になる。背を向けて、柳のジーノは歩み出した。
任された仕事は、演説の間の護衛でしかない。
この先も、どうせ碌なものでもなかった。
「お、おい。いいのかよ?」
小熊の坊ちゃんは、そんな事を言う。良いもの悪いもないものだ。そこまで背負う、義理はない。
「いーんだよ。『また』な」
怒鳴り声が、背中にかかった。随分と盛り上がっている様で。盛大な拍手が鳴り響いている。
「私たちの商都トラーパニへ、自由な商売を取り戻しましょう」
誰かの、勝手な希望が耳へ届いた。更に盛り上がる、群衆達。
——確か、今日の献立は鰯ばかりだったか。
眩い夏の陽差しへ瞳を瞬かせ、昼食を求め『銀の鰯亭』へと、歩みを進める柳のジーノであった。




