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36話 夜会の華、執務室の泥。

お読み頂き、ありがとうございます。


「聴いて下さいな、奥方様」

「お、おい。今は、そんな話題は……」


 夜会の主賓は適齢期の若い世代であるが、別の立場の者も少なくない。紳士淑女の家族達だ。

 この夜、ここ数日と変わらず壁の花へと徹していたアウグスタへ話し掛けて来たのは、少し前に仲人を務めた、新婚夫婦だった。


「いえ、いいのよ。何か、困り事でも?」


 共に、行政府の一般職員。

 両親を、かつての惨劇で失くして十四年。二十五歳の立派な大人となった、あの頃の子供達だった。


「新しく赴任してきた監査官。何なんですか、あの人は。監査って、もっと厳粛なものですよね?」

「お、おい。言い方には、気をつけろって……」


 また彼の話かと、少しだけアウグスタはゲンナリとしてしまう。

 この子はまだ理性的な態度だが、流石にそろそろしんどい。これで、八人目ともなる。


「問題ないわ。やっぱり、問題があるのかしら?」


 王国財務省より派遣されて来た監査官殿は、かなり人気がないようで、思わず深い吐息が漏れる。


「問題どころじゃ、ありませんって!」


 その気持ちは、わからないでもない。

 王都の官僚という一点を主張し、無茶を振る。だけならばまだしも、随分と好色な男性だった。


 初日の赴任への歓迎を述べた席でも、随分と執拗な視線を感じたものだ。

 寡婦相手にさえ、そうなのだ。若く魅力に富んだ若い子達へ注ぐ視線なぞ、言うまでもないだろう。


 生理的な嫌悪感もあるのかもしれないが、それを振る舞いで誤魔化せなければ、そもそも官僚としての資質はなかった。


「アイツ、差し押さえた帳簿の上に酒を零したんですよ? ……この人が必死に整えた、街の歴史を」


 声には怒りよりも余程、疲労が滲んでいる。先の八名も皆、似たような表情を浮かべていた。


「態とじゃないのだから、『すまんな』って、言ってたろ?」

「アナタに、お酒を拭かせながらね! 男なんだから、もっとシャンとしなさいよっ!」


 少し元気を取り戻し、言い合う若夫婦。この二人ならば、乗り越えてゆける。そう思えた。

 

「……ふふっ。でも、そうね。あまり目に余る様ならば、私の方からもご老人達へと伝えておくわね」


 ご老人達とは、十二年前まで祖父麾下で、剣を振るっていた生き残り達の事。皆、高齢で戦力とは言い難い。

 それでも、その沈黙には重みがあった。

 

「勘弁してくださいよ奥方様。俺達に、王都との内戦でも始めさせる気ですか……」

「そうせずとも住む様に、調整しますけどね」


 再び彼等が剣を取るならば、この豊かな貿易港も煤塵と帰すだろう。

 それは隠居をした老人達への、現役世代の悪い意味での信頼だった。

 

「……ですが、一線を越えるのならば躊躇は不要です。よく、見極めなさい」


 言葉に少しだけ姿勢を正した青年は、良い返事をすると新妻へと向かい、「俺達はまだ、大丈夫だから。ありがとうな」と、そう言った。

 それでも、少し渋る妻へと彼は続ける。


「何、もしも君に何かがあれば、俺が嚆矢となるさ。覚悟は出来ている」

「貴方……」

「君達には監査官殿も、そう強くは出ないだろうしね。男なら、この位の我慢は朝飯前だよ」


 シシリア程顕著ではないが、ビタロサの男達もまた、あまり女へは強く出られない。

 家事をする習慣のない男達は、女に生活のほぼ全てを握られてしまっているので、社会として女性に対する評価が高かった。


 それを疎かにすれば、出世に響いた。それでも、釘を刺しておく。


「ただし、護衛の男、無精髭の方には気を付けなさい。確かな筋からの情報によれば、彼は王都の魔銀です」

「魔銀……。でも、だからって声を上げない理由とはなりませんよ」


 鷹揚に頷いたアウグスタは、やっぱり「男の子」って、面倒臭いわねぇ。と、内心で思う。


 だが、そうさせるつもりはない。それは、ご老人達にもだ。

 もしも必要があるならば、それを行うのは私だという責任が、彼女にはあった。

 だからこそ、冗談めかして言葉を紡ぐ。


「はい、はい。弟さんの所へ行ってやりなさいな。見てて辛いのかもしれないけど、旦那さんの甲斐性を信じておやりなさいな」


 二人して、頷いていた。

 目配せを送った先には、若い騎士。


「それにね、貴方の、義妹になるかもしれないお嬢さん方に、囲まれていますわよ」


 オルトの同年である彼は、これまでとまったく同じく、アントニオに撫で斬りとされたお嬢さん方を慰めている。随分と、面倒見の良い青年だった。


「ああいう子が、モテるのよ。悪い虫避けも、家族の務めよ。いってらっしゃい」


 慌てて辞去の挨拶をする夫婦達。

 夫は奥様の肩を抱いている。少し呆れるくらいには、とてもお熱い事だった。


「アントニオの色男ば、また死体蹴りしおって」

「あの子は、無骨者ですからね……」


 側に寄って来ていた婆やが、苦い顔をして毒付いた。変わらぬ死屍累々であった。


「私の家には業物が置いておりまして。見学は、如何でしょうか?」

「ほう。それは実に素晴らしい事です。その業物、技量のみにて、断ち切ってみせましょう。麗しき淑女の前ならば、まさに百人力。素手であっても問題ないと、証明してみせます」

「え……」


 どうも、甘い言葉などを勘違いしてはいないかとも思う。かつては夫や義姉と共に、散々に教え込んだ筈なのに。

 あの男、顔は良くとも社交は今一つだった。

 思慮深く、頭の回転も早いが、その全てが戦闘に振り切れている。


「貴族たるもの、社交が下手では立ち行かないのですけれど……」


 表情や仕草だけは洗練されているのが、また性質が悪い。また一人、色気の様な何かに中られて、ご令嬢がお倒れになられた。

 抱き止めた後に、部下に指示して運ばせている。


「育て方を、間違えたのかしらね……」


 溜息と共に呟きが漏れた。そこは、自分で運ぶものでしょう。

 視線に気付いたのか、此方を向く歳下の義兄。

 その読み難い表情筋に浮かぶのは、「どうだ」と言わんばかりの得意気なもの。


 彼の視線に釣られて、淑女達此方を向いた。

 仕方なく、ご婦人方へと頭を下げる。

 彼女達は一人、また一人と去っていった。


残念(ポヴェロ)


 婆やの一言に、思わず頷いている。

 残念ながら、昔馴染みの弟分にして、義兄にあたる男への評価としては、妥当なものだった。



 

 華やかな夜会の開かれる夜であろうとも、昼夜を問わず船が出入りし、商売の営まれるトラーパニにおいて、行政府は眠らない。


 品の良い絨毯には、泥の付いた靴跡。

 煌々と灯るのは、前領主までが執務をしていた部屋を照らす、淡い光源たち。

 

「貴様らは、儂を舐めているのかね?」

「滅相もございません。それが、ここ五日での帳簿であります」


 豪奢な迎賓室の中、淡々と答えた若手官僚の声に、疲労が滲んでいた。

 今夜だけで、同じやり取りを何度繰り返しただろうか。


「ふむ」


 監査官は帳簿を繰りながら、酒で赤くなった鼻を鳴らした。

 ペラペラと捲られていく書類。

 分厚い指が、ある頁で止まる。


「この日の寄付総額、いくらだ」

「申し上げます。大陸通貨で換算をしますと——」


 数字を聞いた監査官の眉が、ぴくりと動いた。


「……田舎の港町が、そのような額を」

「トラーパニは貿易港であると同時に、資源の産出と取引の集積地でもあります。中でも金融は——」

「言い訳は、結構だ」


 太い声に遮られる。掌が、左右に揺れていた。


「これほどの額が動くならば、そもそも統制など不要であろう。有り余る金があるならば、市場へ流せばよい」

「それでは特定の商家のみが利を得て、街全体への流通が滞ります」


 言葉に、監査官が鼻を鳴らす。唇も吊り上がっていた。


「市場とは、そういうものだ」


 短く、断ち切るように言い切った。

 若者を嘲笑うにも似た、冷徹な声。

 それ以上の議論を許さぬ口調であった。


 若い官僚は、一度だけ大きく息を吸う。


「統制の基準は、議会にて承認を得た手順に従っております」

「議会が承認した、とな」


 監査官は、帳簿を閉じた。

 静かな音だった。それだけに、重かった。


「選ばれてもおらぬ売女が議会を動かし、制度を作り、金を集めたと聴くぞ。これを僭主と言わずして、何と言う」


 若官僚の、喉が動いた。


「奥方様は議員ではありません。ですが、領主代行として、正規の手続きを——」

「領主、領主とな? それも、代行。領主代行と」


 監査官はその言葉を、嚙み砕くようにして、繰り返した。


「議会制において、古臭い偶像が、これほどの権限を持つとは。実に奇妙な街よな。王のまします王都ですら、まず考えられん」


 それから、クックッと笑った。

 愉快で仕方がないという、嫌らしい笑い方だった。


「次だ。この収入、出所はなんだ」

「市民からの寄付であります。物流統制に伴う損失補填の原資として」

「寄付、とな」


 鼻で、笑う声がした。


「市民が、自発的に? 強欲で抜け目ない港町の連中が、そのような殊勝な心がけを持つとは、儂には到底信じられんのだがな」

「事実でございます。確かな記録もございます。当地では、霊核の高騰が続く今だからこそ、同胞の為に自ら財を出す篤志家たちが——」

「篤志家? 篤志家だと? 笑わせる」


 益々もって、監査官は虚仮にする様な顔をする。

 流石にこれには、若手官僚も拳を握った。


「それに、記録があれば、何でも通ると思うてか」


 唇を引き結んだ若手官僚は、答えなかった。

 答えれば、また次の聞くに耐えない言葉が来る。それを、この三日で学んでいた。


「寄付の名目で金を集め、寄付者へ便宜を図る。よくある話よな。この統制、随分と特定の商家には都合が良いようだが」

「便宜の事実はございません。統制の恩恵は、遍く必要な者へと」

「証明を、出来るのか?」


 出来る。記録があって、説明もできる。

 だが、それを述べる前に監査官は続けた。


「そもそもだ。先程の額といい、この寄付の規模といい、田舎の港が動かせる金ではない。裏があると見るのが、当然であろう」

「裏などございません。トラーパニの経済規模は——」

「儂が黒と言えば、黒なのだ」


 室内が、静まり返った。

 監査官は立ち上がりながら、帳簿の表紙を指で叩いた。


「この収賄の——ああ、貴様らにとっては寄付者名簿だったか。明朝までに用意せい。全員分だ。……ああ、それと」


 扉へと向かいながら、振り返る。


「帳簿の説明に、三日もかかる街というのは、それだけで十分、怪しいのだがね」


 扉が閉まった。

 部屋に残された若手官僚は、しばらく動けなかった。


 寄付者名簿には、既に街の半分もの名前が載っていた。小さくとも、彼自身や両親達のもだ。

 明朝までに、全員分。


 天井から吊るされた、旧い灯りが揺れた。


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