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35話 地獄は各々が編む。

お読みいただき、ありがとうございます。


 実態の伴わない投資話を、さぞ美味い儲け話として語り、出資を募る。

 元本保証、高利回り。聞こえの良い言葉はいくらでも並ぶ。


 規制法の草案を書いている彼女は、大きく息を吐いた。

 フィオナには任せなさい、と言ってみたが、正直な話、かなり大変な作業だった。


 違法ではない。そこで胴元が行方を眩ませたとしても、騙された方が愚かなのだ。

 探し出し、「決闘」で落とし前を付ければ良い。


 統治者達のその理屈は、アウグスタにも理解が出来る。法の上に立つ、理なのだから。


 だが。

 

 裏路地で、泣き崩れる老夫婦を見た。

 蓄えだけでなく、住居や信頼さえをも失って、ただ呆然と座り込んでいた。


 市場の正義が、それを許すのなら。

 その先に、どれほどの破滅が待つのか。


 この遥か昔からありながら、近年急速に拡大し始めた商法。


 実に、性質が悪い。


 この世界にあるのはただ、抜け目ない勝者と、無知故に全てを奪われた敗者。

 ただ、それだけだ。

 奪い、奪われることは、人が呼吸をするのと同じく正当な、この世の理なのだから。


 だが、その「正当な商行為」の果てに、街の血が枯れ果てるのを、アウグスタは許さない。


 先人達の血を吐く様な努力の末、制度は既に予防線となっている。

 だが、それを活かし、自制を貫ける者は、思うほど多くはない。


 情報開示も、連帯責任も、契約の撤回権も、既にあった。

 それでも、欲望の前では容易く形骸化する。


「……楔が、必要ね。……反対が目に浮かぶわ」


 傍に控えていた婆やが、目を見開いた。

 侍女は口を挟まない。

 だからこれは、単なる独り言だ。


「……『収益の遡及回収』。これに、同意する者はどれだけいるのかしらね」


 実態のない言葉遊びで得た利益を、過去に遡って没収する。

 それは、ただ幸運に預かっただけの無知な民草からも、生活の糧を奪い取る「逆方向の略奪」に他ならない。


 婆やはまだ、沈黙を守っている。少しだけ、叱って貰いたかった。誰も、幸福にしないのだと。

 

 誰一人として救われない。ただ、不当に歪んだ富の天秤を、力ずくで水平に戻すだけの冷たい法。


 彼女は、自分が強者ではないことを知っている。


 ただ、この野蛮な世界で、トラーパニという「生活基盤」を維持するために、自らもまた「制度」という名の牙を剥く道を選んだ。

 

「地獄を編んでいるわ、私は。……弱者が、より弱き者を救おうなんて、土台無理な話だったのかしらね」


 アウグスタは自嘲気味に呟きながら、書き上がった草案に署名を記した。


 空は重く、灰色にも似た雲が覆っている。

 巫女の予知通りに、曇天となっていた。

 本日は宣託によると、夕刻から嵐が訪れると予報されている。




 一方、シシリア州トラーバニからは遠く離れた内陸の地。


 学術都市とも呼ばれる王都ロウムでは、湿った空気とは無縁の、乾いた夏の陽射しが石畳を焼いている。

 その熱を完全に遮断した、中央省庁府。


 ――財務省会議室。


 高い天井と、磨き上げられた石床。適温の保たれた、冷ややかな空気。

 夏の陽射しを遮る厚い帳を避け、細長い窓から斜めに差し込む光。それだけが眩く、長机の中央だけを照らしていた。


 座する者たちは、光の外に身を置いている。

 壁に掛けられた、赤い獅子の紋章を背にした二人の男。

 そして、その間。ビタロサ王国旗の前に控える財務省主席高官。


 机の末席には、二人。


 一人は、監査官。もう一人は、先日の暴動未遂を主導した、煽動者である。

 空気は、重く、冷たい。

 その沈黙を破ったのは、本拠へと帰還していた煽動者だった。


「王都にも、報告させていただきます。この不当な扱いを――」


 震えを押し殺した声で、彼は言葉を重ねる。


 地方貴族の横暴、都市行政の腐敗。

 民衆の怒りに、秩序の崩壊。


 あらゆる言葉を並べ、あらゆる正義を振りかざしながら。

 だが、机の上に置かれた数枚の書類が、その全てを無言で否定していた。


 赤い獅子の一人が、淡々と告げる。


「人質奪取、失敗」


 もう一人が、続ける。


「暴動誘発、未遂」


 主席高官が、眼鏡の奥で視線を走らせた。


「結果として、貴殿の行動は、地方行政への圧力としても、政治的成果としても、何ひとつ残していない」


 煽動者の口が、閉じた。

 反論は、許されなかった。

 沈黙が落ちる。


 その空白に、野太い声が割り込む。


「ならば、制度で締め上げましょう」


 監査官だった。五十を数え、官僚としての円熟と、隠しきれぬ野心をその肉厚な顔に刻んだ男だ。

 だが、場にそぐわぬ程、彼の低く酒焼けをした声音は明るかった。


「監査権限を用いれば、地方都市など、三十日もあれば白黒つけられます」


 主席高官が、視線を向ける。


「対象は?」

「トラーパニ」


 即答だった。


「貿易港としては、成長が早すぎる。異界資源の流通も、帳簿が甘い。叩けば、必ず埃が出ますわい」


 赤い獅子が、わずかに口角を上げた。


「行け」


 短い命令。


「結果を出せ」


 監査官は、深く一礼する。


「御意」


 会議室を辞した彼は、ふと斜め後ろを歩む煽動者の方へと視線を投げた。


「護衛は、例の『輸送船』の男を使う。ジーノ、とかいう破落戸だ」


 煽動者の喉が、わずかに鳴った。

 その名は、彼にとっても、決して軽くはない。だが、誰も、そこに意味を求めなかった。


「儂に任せい。帳簿の整合性など、こちらが『黒』と言えば黒になる。トラーパニ如き田舎街の繁栄が、王国の法を上回ることなぞ、許されんぞ」


 カラカラと笑う監査官。背中を叩かれて、深く頷いた煽動者。


 どれほど熱弁を振るおうと、どれほど野心を燃やそうと。


 赤い獅子にとって、煽動者も、監査官も、そしてトラーパニも。


 全ては、秩序の名の元に動かす、駒にすぎない。


 こうして、静かに。

 だが確実に、欲望という名の劇場が、幕を開けた。




 嵐の中、涙を切り裂き海上をひた走る、一台の船舶があった。

 見た目には、古い客船でしかない。


「ぐわっはっは! 見ろ。儂の愛船は、嵐なぞものともせんわい!」


 それは自ら舵を取る、監査官の喜色溢れた怒鳴り声だった。

 煽動者はオエッとしている。船酔いだった。

 彼等には、荒れた海を走る程の力量はない。

 晴天を待っての出航を提案したが、笑い飛ばされている。


「若いのに、情けないのう!」


 高揚する監査官の声吐き気以上に不快だが、それ以上に頼もしかった。

 三十年という果てしない月賦で監査官が購入したというこの船舶。見かけこそ型落ちの客船だが、その中身は「学術都市」の技術の粋が詰まっている。


「速度では騎士にも負けんし、重さがあるわな!」


 それ程の、速度が出ていた。そして、武装も豊富である。サメ程度ならば砲の一撃で海の藻屑となるし、なんとあの一角クジラの衝突にも耐えるのだ。


「まぁ、貴様は暴動未遂を起こした身、少々バツが悪いだろうがな。儂の部下としている限りは、何の心配もないぞ。儂は、『監査官』なのだからな!」


 それに、この船には絶大な「力」が載せられている。訓練次第で誰でも扱える、最新式の火器だ。



「ええ、偉大なる閣下。某は無能非才の身でありますが、犬馬の労も惜しみませぬぞ」


 今は使い手がいないが、トラーパニへ戻れば、自らの無力を嘆く「義民」の牙にもなった。


「うむ、うむ。まぁ、簡単な仕事だがな。働き次第では、追加報酬も出るぞ」

「それは、楽しみにございますな。とはいえ、閣下のお零れに預かる我が身としては、心苦しくありますが」


 鷹揚に笑う監査官へ、煽動者も笑みを送る。


「僭主の方針に異を唱える者は、少なくありませんからな。閣下のご威光があれば、気軽な観光とも違いありますまい」

「選挙で選ばれた訳でもない、あの女狐か。売女はそれらしく、尻でも振っておれば良いのだ。まぁ、態度次第では、情けを掛けてやらんでもないがな」


 言いながら、霊薬を飲み干す監査官の左手薬指を煽動者は見ている。黒い刻印が刻まれていた。

 契約の証、転じて呪いの刻印。


「色々と、儲けさせて貰おう。グフフ、楽しみな事じゃわい」


 彼は、この俗物の様に金を信奉していない。

 だが、金は「力」を担保する。

 だからこそ、集め続けた。


「見えてきおったぞ、トラーバニの灯りが。……なんとも贅沢は街だのう。叩けば埃が、仰山出てきそうだわい」


 男達の目に、嵐の中でも燦然と輝く街が見えてくる。港町トラーパニは海の道標となる為に、夜中であっても煌々と海を照らしていた。




「ったくよぉ。何で、態々嵐の夜に来やがる」


 激しい風雨の中、埠頭に立つのは特にこれといった特徴のない、中肉中背の男。

 強いて言うのなら、こけた頬と無精髭が特徴なだけである。

 唸る風、叩きつける雨粒の下、片手に持つ光源を揺らしていた。

 闇の中、眦を見開いたままに沖合から迫る船を見る。


 彼こそは、近頃売り出し中の無頼。

 王都にて仕事を選ばす請け負う破落戸。

 魔銀位階の冒険者、柳のジーノであった。


 この気象条件の中、まったく体幹にブレがない異常さを見抜く者は、どれだけあるだろう。


 雇い主は王都の大商家。

 赤い獅子の尻尾と囁かれる貿易商の依頼で、

 彼は輸送船の用心棒役から、監査官の護衛へと回された。


「……さっさとこんな街からは、オサラバしたいもんだがね。マトモな野郎なら良いが」


 誘導灯を振る男のささやかな願いが、叶う事はない。


 この夜、港町——貿易港トラーパニへと、嵐の第二波が辿り着いた。


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