86話
「ゲホッ、ゲホッ!」
ホブロンは、岩場にしがみついていた。
ゴツゴツとした岩肌が、ところどころ隆起し、海面から顔を出している。
――なるほど。これは、船なんぞ、まともに止められんな。
濡れた髪を振り払いながら、ホブロンは、そう内心で舌打ちした。
「おい! スカルグ! いるか!」
「ゴホッ、ゲホッ!! こ、ここに……!」
手下のスカルグも、どうにか、生き延びていたらしい。岩の隙間から、蒼白な顔が見えた。
「すぐに、数を数えろ! 何人、生き残ったか知りたい!」
「はい……!」
見渡せば、他にも岩にしがみつき、辛うじて顔を出している者たちの姿がある。
――八割。せめて、七割は残っていてくれ。
ホブロンは、歯でギリギリと音をたてながら願った。
◆
風の魔法で、雑木林の上空に、静かに浮遊するジーン。
「いやはや……敵ながら、本当に、同情するよ」
眼下の光景を見下ろしながら、ジーンは、呆れたように笑う。
「――我が弟子ながら、恐ろしい」
我流で身体強化を編み出し、それを他人にまで習得させることができる。
そのうえ、世にも珍しい、固有属性まで併せ持つ。
みるみるうちに、想像も及ばないような魔法を、いくつも開発してみせた。
――そして、この作戦。
本当に――恐ろしい。
この力が、もし、悪しき方向に使われたなら。
一体、どれほどの屍が積まれることになるのか。……いや。人類そのものの存続すら、危うくなるかもしれない。
まあ、エルは、純粋な、いい子だ。
あのままであれば、心配はいらないだろう。
……まあ、多分、とんでもないことはこれからも山ほどやらかすんだろうが。悪いことは、しないはずだ。
「さて、と」
現役を退いて、はや四半世紀。
――万象の魔女の帰還、といこうかね。
◆
「そろそろ、ジーンおばあちゃんの攻撃が始まります! 念のため、もう少し距離を取りましょう!」
俺は、周囲にそう呼びかけた。
雑木林にヴァイキングが完全に侵入しきったタイミングで、ジーンおばあちゃんの魔法が炸裂する――その手筈になっている。
できれば、ここで、百人以下にまで数を減らしておきたい。
――あとは、ジーンおばあちゃんにかかっている。
――その、瞬間だった。
念のため張っておいた、サンダーサークル。
それに、反応があった。
「エル! どうした!?」
俺の表情が変わったのを見て、隣にいた父が、心配そうに声をかけてくる。
――そんな。よりにもよって、今……?
異変を察知して、周りにいた面子も、次々とこちらへ集まってきた。
「多分……前に、ジーンおばあちゃんが言ってた、ブラックファング傭兵団が来た……んだと思う」
その一言に、場が、パッと明るくなった。
「ようやく来たのか! ヒーローは、遅れてやってくるってか!」
ハラルドとグンナルが、手を叩き合って喜んでいる。
「いや……それが」
俺は、眉根を寄せた。
「何か……おかしいんだ」
――場が、冷水をかけられたように、しん、と静まり返る。
「……ちょっと、見てくる」
俺は、そう言って、累纏を発動した。
「なっ、おい! エル! ここは、どうすんだよ!」
シグルが、怒鳴るように声を上げる。
「父さん! 村長! お願いします!」
俺は、この場に残る二人の年長者に、頭を下げた。
村長が、槍を掲げて、力強く頷く。
父さんは、何も言わなかった。ただ――「無理はするなよ」と、その目が、はっきりとそう語っていた。
俺も、「わかってる」と、目だけで返す。
そうして、駆け出そうとした――その時。
「エル!」
腕を、ぐいっと掴まれた。
振り返れば――ギンだった。
「俺も、行く!」
まっすぐな瞳が、俺を見据えている。
俺は、一瞬だけ迷って――すぐに頷いた。
「……わかった! 行こ!」
そうして、俺とギンは、フルスロットルで、感知した方角へと駆け出す。
背後から、「私もー!」というランお姉ちゃんの声が聞こえたが――回復役のランお姉ちゃんだけは、絶対に村に残しておきたかった。
俺は、手加減なしの全速力で走る。
それでも――ギンお兄ちゃんは、当然のようについてきた。
戦力になると踏んだからこそ、一緒に来ることを了承した。それくらい、ついてきてもらわなきゃ、困る。
――そう思いながらも。
俺は、なぜだか、少しだけ――嬉しい気持ちになっていた。




