30話
瞬きひとつする間もなく、ジークは目の前にいた。
まるで景色が飛んだみたいだった。さっきまで庭の向こうにいたはずなのに、気づけばもう、目と鼻の先に立っている。
最初に反応したのは、ギンとランだった。
ギンが顔面めがけて鋭い蹴りを、ランが首筋へ裏拳を——ほとんど同時に繰り出す。
だが、ジークは両手だけでそれをあっさりと受け止めた。
——ここだ。
その隙に、俺は跳んだ。強化した脚を思いきり振り抜き、顎の下へと蹴りを滑り込ませる。
ゴッ、と鈍い音。
ジークの顎が、大きく跳ね上がった。
当たった——!
だが、喜んだのも束の間。ジークはそのまま空中で身をひねり、宙返りをしながら衝撃を完全に受け流して着地した。まるで最初からそうするつもりだったかのように、綺麗に。
……本番に強い。
これまでの練習の中でも、最高の入りだったはずなのに。それでも、決定打には程遠い。
ジークは蹴り上げられた顎を指先で軽く撫でると、にやりと笑った。
「——面白い」
その声には、さっきまでの軽薄な調子とは違う、確かな熱がこもっていた。
ギンとランも、真剣な表情のまま——けれど、どこか楽しそうに笑い返す。
「……では、お手並み拝見といこうかの」
ジークが、愉快そうに目を細めた。
その瞬間。
ギンが、地を蹴った。
達人と呼ばれる者でさえ、そうそう反応できないであろう速度。目にも留まらぬ拳と蹴りの連打が、ジークへと叩き込まれる。
しかし——ジークは半身になっただけで、その全てを躱しきった。
「ほれっ、ほれっ、ほれ! それでは当たらんぞ!」
「くそっ!」
悔しげに歯を食いしばるギン。それでも、その拳は止まらない。
「エル!」
「おう!」
呼ばれて、俺も地を蹴る。強化した身体でジークの背後に回り込み、連続の蹴りを叩き込んでいく。
「ガッハッハ! なんのなんの!」
それすらも、まるで背中に目でもついているかのように、ぎりぎりのところで躱されていく。
——化け物め。
「エル! あれをやるぞ!」
「うん!!」
合図と同時に、ギンが一歩、大きく後ろへ跳んだ。距離を取り、しゃがみ込んだ姿勢のまま——足を滑らせるようにして、独楽のごとく高速で回転しはじめる。
巻き上がる、砂埃。
「お? なんじゃ。——っゲホッ、ゲホッ!」
視界が、真っ白に染まった。
もちろん、こちらの視界も同じように塞がれている。だが、事前に服の裾を鼻と口に巻きつけておいたおかげで、呼吸に支障はない。——一ヶ月かけて仕込んだ、俺たちなりの奇襲だ。
あとは、勘だけを頼りにジークを叩く。
身体強化によって五感は研ぎ澄まされているが、この濃密な砂埃の中で、正確に相手の位置を捉えられるほどではない。
——このままでは、届かない。
ここが、正念場だ。
「累纏、弐」
重ねた魔力の膜が、感覚をさらに鋭く研ぎ澄ませていく。
砂の粒が揺れる、ほんのわずかな違和感——その気配だけを頼りに、俺はジークのもとへと一瞬で踏み込んだ。
背後から、左足めがけて全力の蹴りを放つ。
完全に、虚をついた。
——入る!
「やっぱり。最後はエルが来るじゃろうと思っとったわ!」
ジークは、笑いながら真上へと跳んで躱した。
「ガッハッハ! いやー、成果としちゃあとんでもないもんじゃが——それとこれとはまた、別じゃて!」
愉快そうな笑い声が、砂煙の向こうから響く。
——じいちゃん。悪いけど、今回はちょっと、予想が外れてるよ。
フィニッシャーは、俺じゃない。
俺の蹴りが払った風で、あたりの砂埃はかなり晴れていた。これなら、上空からでも十分に見えるはずだ。
ジークが俺の蹴りを躱すために跳び上がった、その瞬間。
真上から、影が落ちた。
位置エネルギーを乗せたランの踵が、まっすぐにジークの脳天へと突き刺さる。
「——あいたっ!」
落下の勢いすべてを乗せた踵落とし。さすがのジークも、無傷とはいかなかったらしい。
着地こそ危なげなくこなしたものの、頭を押さえてしきりにさすっている。
——あれだけの一撃を受けて「痛い」だけで済むのも、それはそれでどうかと思うけど。
「ちょっと、あんたたち!! もう、わかったから! おしまいだよ!!」
地面にへたり込んだまま、ジーンおばあちゃんが、大きな声で終了を告げた。




