26話
「まず、私のほうで手は打ってある」
ジーンさんは、いつの間にか卓に置かれていた茶をずずっと啜りながら、事もなげにそう言った。
その言葉で、以前父が家で漏らしていた話が頭の隅から浮かび上がってくる。
「それって……ブラックファング傭兵団のこと?」
「ほう。知っておるのか」
湯呑みの縁越しに、ジーンさんの目がわずかに細まった。
「父さんが、家で話してたんだ」
「そういうことじゃ。ちょっとしたコネがあってな。そこに依頼を出すつもりなんだよ。だから案ずるな──未来ってのは、変えられるものさ」
その自信に満ちた口ぶりに、しかし水を差す声があった。
「ブラックファング、か。最近、名を聞くようになったが……」
じいちゃんが、腕を組んだまま低く唸る。
「あんまり、いい噂は聞かんぞ」
場の空気が、すっと重くなる。
「最悪の場合──ヴァイキングとブラックファング、両方を相手取ることになるかもしれん。そういう連中じゃ」
「……あんたは、いてくれないのかい」
ジーンさんが、めずらしく困ったような顔でじいちゃんを見やった。
「必ずいる、と言ってやりたいところじゃがな」
じいちゃんは、ゆっくりと首を振る。
「わしがここに来られるのは、冬の間だけじゃ。ヴァイキングどもが動くのは冬の前か、始めの冬……間に合うかどうかは、わからん。今年も、雪が解ける頃には国に戻らねばならんからのう」
「まあ、そりゃそうだろうね」
ジーンさんは苦笑した。
「何万もの命を背負っている身だ。仕方あるまいさ」
──何万もの命。
じいちゃんについて、聞き捨てならない言葉が混じっていた気がする。
……けれど、今はそれを問い質している場合じゃない。頭の隅に留めておこう。
俺は、ひとつ息を吸って口を開いた。
「ジーンおばあちゃん。ランおねえちゃんの予知夢の中では、もうおばあちゃんはブラックファングに依頼を出してた。……それでも、村は襲われたんだ」
全員の視線が、俺に集まる。
「つまり、何らかのトラブルか予定の狂いで、ヴァイキングが襲ってきたその時に、彼らはこの村にいなかった──そういう可能性があると思う」
「……それは、そうかもしれないね」
ジーンさんの声が、少しだけ沈んだ。
「でも、それ以外に頼る方法なんて、思いつかないよ」
そう。だから俺は、ずっと考えていた。
子供だけでこの村を守り切る、なんて荒唐無稽な話じゃない。
じいちゃんに寄りかかるわけでもない。
傭兵団が来なくても、この村がどうにか生き延びる方法を──。
「──っていう内容なんだけど」
語り終えて、ふと顔を上げる。
俺以外の全員が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ぽかんと固まっていた。
「がっはっはっは! さすがはわしの孫よ!」
「……そんなこと、できるはずがない」
豪快な笑い声と、冷や水のような否定が、ほとんど同時に降ってくる。
「もし、できたら?」
俺は、退かなかった。
「それに、できなくたって、失うものは何もないよ? ジーンおばあちゃんは、傭兵団の派遣を予定どおり進めてくれればいい。……僕たちは、この試みをやってみたいんだ。でも、そのためには──」
「──権力者であるこの私の力を、借りる必要がある。そういうことかい」
俺は、まっすぐにジーンさんの目を見て、頷いた。
長い、沈黙。
「……はぁ」
やがて、ジーンさんの口から、諦めとも呆れともつかない溜め息が漏れた。
「わかったよ」
俺は、ほっと頬を緩ませる。
「ただし──!」
ぴしゃりと、鋭い声が飛んだ。
「一ヶ月だ。一ヶ月で、その作戦がちゃんと成功する見込みがあると、この私に証明してみせな」
……やっぱり、このばあさんは、そう簡単にはいかないか。
俺は内心で苦笑しつつ、湧き上がる高揚を、ぐっと拳の中に握りしめた。




