第65話「重なる仮面」
ここまでご覧いただきありがとうございます!
次の日の朝、ディンのホームにエルザの姿は無かった。
どうやら出掛けているようだ。
ここまで上がってくるの大変だったのに、あいつ一人でまた上がってこれるのだろうか……。
不安がよぎるが、あのエルザのことだ。無茶なことをしながらも、意外と問題なくやり遂げてしまうのが彼女だ。
ふと隣を見ると――
「……居るな」
俺の隣で未だ眠っていたルクス。
それも、凄く気持ち良さそうに満足した顔で。
「よし……少し走るか」
剣術の特訓以来、激しい運動はしていない。
昨日はルクスと少し動いたが、それ以外はずっと体を動かしていない。
俺はランニングをすることにした。
神木と呼ばれる木の頂上に位置するこの場所は、ハッキリ言ってかなり広い。
ランニングにはもってこいの環境だ。
俺はベッドから静かに抜け出し、シャワーを浴びた後、外へ出る。
澄んだ空気が肌を撫で、軽く体をほぐしただけで、気持ちが引き締まるのを感じる。
「……よし、やるか」
俺はこの神木の上を走り始めた。
「はっ……はっ……」
走っていて驚いた。
体力が明らかに増している。
レイラと一緒にいた頃の俺は、せいぜい三十分走るのが限界だった。
だが、今の俺は違う――身体が軽い。心臓の鼓動も余裕を持って響いている。
これも、姿が変わった影響なのだろうか。
……
…………
………………
二時間ほど走っただろうか。
目の前に折れた木の枝が落ちているのが目に入った。
「……久しぶりに剣の真似事でもしてみるか」
俺はその木の棒を拾い上げ、剣に見立てて素振りを始めた。
何年ぶりだろうか、こうして剣を振る感覚――。
「はっ!はぁっ!!」
……妙だ。
ただの木の枝を振っているはずなのに、身体に馴染む感覚がある。
まるで昔から使い慣れた愛剣のように、手の中に自然と収まる。
「…………不思議だ」
思わず呟いたその時――
「――私が居ない間でも剣術を学ぶ意欲には感心するな」
背後から聞こえた声に振り返ると、そこにはエルザの姿があった。
「……エルザ、お前居たのか」
「ああ……少し眠れなくてな。この近くを走っていたのだ」
おいおい、いつからそこにいたんだよ。
それにしても二時間も走り回っていた俺と、一度もすれ違わないって……どれだけ広いんだここは。
「どれ、久しぶりに私が指南してやろうか?」
「いや……やめておく。お前は手加減を知らないからな」
「ハッハッハッ!ではやめておこう!」
うん……?なんかエルザらしくないな。
いつもなら、俺が嫌がろうがお構い無しに鍛錬を始めるのに。
今日はやけに控えめだ。
「……なにかあったのか?」
「いや……なにもない。……私も負けてられないと思ってな」
「そうかよ……なら教えてくれ、久しぶりに」
「……ああ。構わんぞっ!」
俺はすぐに後悔した……。
エルザとの剣術修行が終わる頃には、俺は地面に転がり、空を見上げるしかなかった。
俺の隣では、エルザが平然と立っている。
息ひとつ乱れていないその姿に、改めて俺との差を感じさせられる。
「君たち朝から元気だねー!」
その時、ディンが戻ってきた。
手には袋を抱えている。
「……はぁ……はぁ……ああ……そうだな……」
「アスフィ!体力が落ちているんじゃないか?」
「うるせぇ……お前みたいな体力バカじゃねぇんだ……」
「あはは!やっぱり君たち面白いね!……あ、そうだ!これお土産だよ!」
ディンが俺に手渡してきたのは――
「……パン?」
「そうっ!ここのパン美味しいんだよねぇ~!はい、エルザもどうぞ!」
「あ、ああ、ありがとうディン」
パンか……。ミスタリスにいた頃を思い出す。
よく食べていたっけな。あの頃は――
そういえば、ゼウスとアイリスはどうしているんだ?
全然帰ってこない。このままじゃ、俺たちだけで先に進むしかないかもしれない――。
「なぁ、ゼウスとアイリス知らないか?」
俺はディンに問いかけた。
「ゼウスとアイリスなら帰ったよ!」
「……なに?……あいつら勝手に……」
「……まぁ許してあげなよ。彼女たちもさ、色々あるんだよ」
色々ね……。
こっちだって聞きたいことが山ほどあったんだがなぁ。
もっとも、どうせ「盟約が」だの「話せない」だのと言われるのがオチだろうけど。
「で、ディンは何しに俺たちの所へ?パンを届けに来ただけじゃないだろ」
「うん!実はね、君たちに……いや、エルザに話があるのさ!」
「……私にか?」
ディンの表情が真剣になる。今まで見たことのない程の険しい顔だ。
エルザもまた、その空気を察し、真剣に耳を傾ける。
「……エルザ、君に刺客がやってくる」
「……なに?エルザに?」
「君の祖父、エルブレイドは戦神アレスと同格だった。それ故に、決着のつかない戦いを繰り広げた」
あの戦神アレスと互角に渡り合っただと……?エルザのじいちゃん、化け物すぎるだろ。
「……だからなんだというのだ。それが私と何のが関係ある?」
「その戦神アレスが君を見つけた。ほら、戦っただろう?」
「どうしてそれを知っている!?」
「まぁ私には分かるのさ!……でね、戦神アレスが負けたんだよ」
「いや、それは俺が――」
「もちろん知っている。けど、他の神はそうはいかないだろうね。戦神アレスが負けた。それだけで十分なのさ」
なんだよそれ……。勝手に仕掛けてきて、負けたら怒るってどういう理屈だ。
迷惑以外の何物でもない。
「それをなぜ私たちに教える。ディン、君は神だろう?立場的に私達にそれを教えるのはまずいのではないか?」
「まぁね!でも、エルブレイドとは……ま、友達?みたいなもんでね!その娘である君を簡単に死なせる訳にはいかないんだよね!端的に言うと………あまりいい気分じゃないのさ。それに私、アレス嫌いなんだよね」
ディンの口調はいつもの軽さだったが、瞳の奥には確かな決意が宿っていた。
神は人間をなんとも思っていないと思っていたが……ディンは違うのか?
それにしても、アレス嫌われすぎだろ。
アイリスも同じこと言っていたぞ。
「ま、そういうわけでさ!頑張ってね!私たち神は干渉出来ないからさ!」
頑張ってね!って、どうしろって言うんだよ。
(お前が守れ)
またお前か……一体なんなんだ。消えたと思ったら出てきたり。
……なんだよ、一言言って終わりかよ。
「……アスフィ、私たちの旅も急いだ方が良さそうだ」
「あ、ああ……それは分かるが『ゼウスを信仰する者』の手がかりはまだ何も見つかってないぞ?……それにお前、剣いいのかよ?」
エルザはずっと「伝説の剣」を探していたはずだが――
「ああ、剣はもういい……それどころじゃないからな。私が死ぬ前にこの旅を終わらせよう」
なんだよそれ……。不吉なこと言うなよ。
「……エルザは死なないし、俺が死なせはしない」
「ハッハッハッ!……ありがとうアスフィ」
「そっか!君たちあの子達を探してるんだね!」
あの子達……?
「……あの子達って?」
「君たち言っていたじゃないか!ユピテルって!」
「お、おい!まさか何か知ってるのか!!?」
「うん!あの子達はマキナを信仰しているからね!マキナに聞けば分かるよ?」
いや、教えてくれそうになかったぞ……。
「うむ、それがそうもいかないのだディンよ」
「どうして?」
「そのマキナとか言うやつは話してくれそうになかったのだ」
「ああそうだ、エルザの言う通りだ」
「………それは君たちが話を聞こうとしてなかったからじゃないの?」
なに?俺たちが話を聞こうとしてなかった?
それはまるで、聞けば教えてくれるみたいな言い方じゃないか。
「マキナは教えてくれるよ。絶対に。盟約に関わるものは教えてくれない……いや、教えられないんだっけ……まぁいいや!つまりね、それ以外なら教えてくれる。特にフィー。君ならね」
「……俺はアスフィだ」
「うん、君じゃない。分かってんだろ?フィー」
「………ああ」
その瞬間、胸の奥がズキリと疼くような感覚がした。
フィー……。その名前を聞くだけで、頭の中に霧がかかったように思考が鈍る。
それでも、俺は目の前の状況に集中しようと踏みとどまる。
「……アス……フィ?どうしたのだ?」
エルザが戸惑ったような表情でこちらを見つめている。
俺は内心で叫びながら、必死に声を絞り出した。
(おい!なんで今出てくんだ!変われ!!)
だが、その声に応えるかのように、もう一つの意識が表面に浮かび上がる。
「いや、少し話すだけだ。心配するな」
俺の口から発せられた言葉が、俺自身の意志とは異なるものだった。
体が勝手に動き、口が動く感覚――嫌でも思い出す。
フィー……こいつは俺の中に潜む存在だ。
「……久しぶりだなオーディン」
口調が変わる。
俺の声なのに、俺のものではない声色で。
「うん!久しぶり!元気にしてた?」
「……ああ、一応な。お前も元気そうで何よりだ……本当にな。チッ」
エルザは固まったまま、目の前で交わされる会話を見つめている。
俺の中のフィーと、目の前のオーディン――二人のの会話に、明らかな違和感を覚えていた。
「君も災難だね!そんなとこに……器が可哀想だろ?あ、でも君の意思じゃ無かったか!」
オーディンの無邪気な声に、フィーは冷たく言い返す。
「そうだな……こいつには悪いと思ってる。既に生まれた時から俺の影響を受けていたからな……」
(なんだよ……何の話だ。お前らのせいで俺がこんな姿になってるって言いたいのか?)
俺の心の声は虚空に消え、届くことはない。
それでも、フィーとオーディンの会話を聞き流すことなどできなかった。
その言葉の一つ一つが、俺の中に疑問と不安を植え付けていく。
「まぁそれもマキナとの盟約だもんね!仕方ないね!でも、マキナは悪くないよ?悪いのは君だ」
「……それも知ってる。だからその上で一ついいか」
「なに?言ってごらん?」
「オーディン、お前の思い通りにはいかない。俺たちは必ず目的を果たす。レイラもエルザもルクスも守る……そして何より、マキナを救い世界を元に戻す。今回は必ず」
フィーの言葉には、冷たさと同時に揺るぎない決意が宿っていた。
その口調からは、ためらいや迷いなど微塵も感じられない。
(マキナを救う?……世界を救う?どういう意味だ……?)
俺の思考はその言葉に引きずられ、次第に混乱していく。フィーの言葉が示す「目的」とは一体何なのか。俺にはそれを理解するだけの情報が圧倒的に足りなかった。
「……ふーん。じゃ私からも一つ良いかな?……ねぇ君、本当にフィーでいいのかい?今の内容を知っている辺り、とてもじゃないけどフィーの言葉とは思えないんだけど?」
「……さぁな?お前のその作られた頭で考えてみろ」
フィーは冷ややかに突き放すような返答をする。
その一言に、オーディンは一瞬黙り込んだ。
「…………あは……あっはははははははははっ!!」
突然、オーディンが大声で笑い始めた。
その笑い声には不気味な高揚感と、どこか狂気じみた響きが混じっていた。
「これは面白い!まさか”君”が出てくるとは!じゃあこの後君は私達をサーカスにでも招待してくれるのかな?」
「…………」
フィーは何も言わない。だが、その沈黙には怒りとも冷静ともつかない、不気味な気配が漂っていた。俺の中で何かがざわつくような感覚――これはフィーの感情なのだろうか?
「…………出来るものならやってみなよ、フィー。君には出来はしない。”道化”ならその限りではないけど、今の君に――」
オーディンの声は一見静かだったが、その裏には明らかな嘲笑が含まれていた。
その一言に、俺の中にもイライラとした感情が広がる。
「あれ、元に戻った……?」
その瞬間、俺の体に力が戻ったように感じた。
フィー――いや、正確には何者かが俺の中から引いていく感覚がする。
だが、その存在が完全に消えたわけではない。
胸の奥深くに、その痕跡だけが燻り続けていた。
くっそ……なんなんだよ。訳がわかんねぇ……。
息を整える暇もなく、虚無感がじわじわと体を侵食していく。
何かが抜け落ちたような感覚――それが恐ろしかった。
「……最後まで言わせてくれない辺り……相当お怒りのようだね」
ディンは一人、独り言のように呟いていた。
その言葉には、どこか諦めと微かな怒りが混じっているように感じた。
「………………はぁ……疲れた、俺は寝る」
「うん!おやすみアスフィ」
ディンの言葉の最後に含まれた悪意に気づいた瞬間、嫌な気配が全身を駆け抜けた。
その視線――あたかも全てを見透かすようなものが消えるまでの間、息苦しさが俺の胸を締め付けた。
「おい!アスフィ!待て!」
エルザの声が背後から響くが、俺は振り返ることもせずにその場を去る。
今は何も考えたくなかった。自分の中で何が起きているのか、何が正しいのかすらわからない。
もう……訳わかんねぇ。
「……追いかけたいなら行きなよ?エルザ」
「…………言われなくとも」
エルザはわずかに迷ったが、すぐに決意を固めたように俺の後を追いかけてきた。
彼女の足音が少しずつ近づいてくるのを感じながら、俺は心の中で叫び続けた。
俺の中で、何が起きているんだ……。フィー、お前は……一体何者なんだよ?
ご覧いただきありがとうございました!
今回は物語の核となる部分について少し触れました。
この作品の展開を予想出来たら100点シール差し上げます。
では、また次回!いいね、評価も引き続きお待ちしております!