20.空気。
「あんた、最近生意気なんだけど」
女子トイレで囲まれる。あまりにもありきたりだ。
「かぐや姫にかわいがられて、調子乗ってんじゃないよ」
「そのかぐや姫からも捨てられたんだけどね」
「いつまでこんな髪してんのさ」
髪の毛を引っ張られる。
「元の地味女に戻りなよ」
「ケツ振って男子にチヤホヤされてんじゃないよ。盛った雌豚」
「嫉妬?」
私は静かにいう。
「何がよ」
「嫉妬でしょ?」
「何言ってんの?」
「私、男子とかどうでもいいんだけど。でもあんたらは男子にチヤホヤされたい。替わってあげたいわー。正直ウザいんですよね、馬鹿な男子とか」
「調子乗るなっての!」
胸倉を掴まれる。
でも私は冷たく相手を見下ろす。
「好きな男子でもいるの? ゴメンね、そいつ私のお尻追いかけてるんだ?」
「そんなんじゃないし」
「じゃあ、なんで私が目障りなんだろ? ホントはチヤホヤされたいんだ? 好きな男子に眼を向けて欲しいんだ? でも無理だよねー。ゴメンね。嫉妬を駆り立てちゃって」
「嫉妬じゃないって!」
「嫉妬だよ、それ」
「ふざけんなよ!」
「殴るの? 男子とか寄ってくるよ、どうしたの? 私、正直に言うし。佐々木さん? 佐々木さんが嫉妬に狂って私殴っちゃった。みっともな」
佐々木という女子が私を突き飛ばす。
「いつかぶっ殺す」
女子達が去って行く。
殺せるなら今殺せよ、負け犬め。
疲れた。
嫉妬した女子への対処法。誰に教えてもらったんだっけ? ……あいつか。この学校で一番嫉妬されてるもんな。
別の日、一人で昼食を食べようと弁当箱を取り出したところで声をかけられた。
「乗倉さん、私たちと一緒にお昼食べない?」
顔を上げるとクラスメイトの女子だった。
名前は確か、山中さん。
一緒にお昼か。下心のある男子がそうやって声をかけてくることはあったが、女子は初めてだ。
一人で弁当を食べていると余計な考えに捕らわれてしまう。ここは好意に甘えようか。
「うん。一緒に食べよう。ありがとう」
山中さんの席の周りには八人の生徒が集まっていた。女子だけでなく男子もいる。
男子にちょっと警戒心が沸いたが、彼らはにこやかに迎え入れてくれた。下心のある様子は見られない。
「乗倉さんって最近変わったわよね。仲良くなれそうだと思って前からお話したかったんだけど、なかなか声をかけづらくって。彼女がいたから」
「彼女?」
「森田さん。彼女、ちょっと近寄りがたくて」
「うん、分かる。あの人、変わってるからね」
「これから仲良くしましょう」
山中さんが微笑みを浮かべる。
放課後になって、山中さんが一緒に遊ぼうと誘ってきてくれた。私も喜んで応じる。
ファーストフード店でお話をして過ごした。山中さん達の話は面白く、先生ごとのテスト問題の傾向や、誰それは大学生と付き合っているといった、初めて聞くものばかりだった。
それからは彼女らと一緒に行動するようになった。昼食をみんなで食べ、放課後もみんなで楽しく遊ぶ。
私は変わった。こうやって友達と仲良く遊ぶなんて昔は考えられなかった。今の私が本当の私。
今日も山中さん達と昼食。
「すごーい、告白されたんだ」
「そうなのよ、でも参っちゃって」
山中さんがため息をつく。
「いいんじゃないの? 付き合えばいいと思うけど」
男子の一人が言う。彼は毎日アイロンのかかったシャツを着ている、とても清潔な男子だ。汗臭い柔道部員達の対極に位置していると言えよう。
「うーん、でもどうもねぇ」
「好みじゃないんだ?」
「まぁ、有り体に言うと。どうやって断ったものかって」
「シャイな子なんだよね?」
「そうよ。乗倉さん、いいアイデアあるの?」
断る技術に関しては、私はなかなかのものである。
「あえて強引に攻めるんだよ。相手は怖じ気づいてしまうから、そこで一気に振ってしまうの」
「振るって、難しくない?」
「単に、じゃあ、やめときましょうね、って言うだけだよ」
「それができればいいんだけど。同じバイトだから、気まずくなるのよ」
「相手の気持ちを拒否するのって、難しいよね」
そうなんだろうか? 私はバイト先でいつもそうやっているのだが。
ああでも、私も昔は気を遣いすぎて、不本意な結果を招くことが多かった。あいつがいつも付け込んできたのだ。
「空気が壊れるからね」
さっきとは別の男子の言葉。
「そう。バイト先の空気を壊しちゃうわけにはいかないから」
空気か。あまり意識したことのない概念だ。
昔はずっと一人だったし、あの女はそんなもの気にしないで好き勝手やっていたのだ。
でもみんなで仲良くやっていくには、空気を読むのは大切なのに違いなかった。
「難しいね」
「そう、難しいのよ」
山中さんが私の眼を見た。
この日も放課後みんなでおしゃべり。バイトの日以外は毎日こうして楽しく過ごす。
女子の一人がシャンプーを買うというのでドラッグストアへ。
そういえば私の化粧品もなくなりかけている。新しいのを買っておこうか。あれ? でも今使っているのは桃瀬さんにもらった物だ。どれがいいのかよく分からない。
一人で迷っていると、山中さんが後ろに立っていた。
「乗倉さん、気を悪くしないでね?」
「え? 何かな?」
「お化粧って、どうかな?」
「そう、かな?」
「まだ早いかも。みんなしてないでしょ?」
「そう、だね」
確かにメイクをしているのは私だけだ。山中さんも他の女子もしていない。
じゃ、メイクはやめようかな。空気読まないと。
「うん、お化粧はやめておくよ。ありがとう、言ってくれて」
「ううん」
山中さんが微笑んだ。
家に帰るとまずはメイク落とし。この煩わしさも今日までだ。
あ、駄目だ。メイクなしじゃ駄目だ。少しならいいかな。バレないはずだ。
ベッドの上に横たわる。静かに過ぎていく時間を感じる。私はこういう時間が好きだった。一人でいるのは落ち着く。
ほんの少し前までの自分のことを時々思い出す。地味女と自覚して生きていた頃だ。あの頃はあの頃で楽しく過ごしていたように思う。
じゃあ、元に戻ろうか。黒髪のストレート。大分短くなったけど、おさげにしてさ。
でも私は新しい世界を知ってしまった。知ってしまった以上、もう元には戻れない。後悔はしていない。広がる世界は私を大きく成長させてくれた。でも……。
翌朝の教室。
山中さんが登校してきた。
あいさつを交わした後、山中さんが顔を近付けてきた。しばらくジッと見る。
「うん、やっぱり素顔の方がかわいいわよ」
「そうかな、ありがとう」
よかった、バレなかった。背筋を汗が流れる。
家に帰って、寝る前に宿題を片付ける。
教科書の端を見ると男の子の絵が描いてあった。
教科書の最後のページを摘まんで、パラパラとめくっていく。
小さな男の子が歩いている。
上から岩が落ちてくる。
男の子が圧死する。
岩に潰される数コマの書き込みが異常に細かかった。
机の脇に置いてあった鏡に目を向ける。
何なんだろう? これ、何なんだろう? メイクを落とした後に見える、眼の下にある黒い染み。日毎に濃くなっていく。
私、おかしくなってる。どうしよう。どうしたらいいんだろ? 教えてよ。いつもみたいに私を引っ張ってよ。……咲乃。
放課後はいつものように仲良く遊ぶ。
今日は楽しみにしていたマンガの発売日だ。早く帰って読みたいけど、そんなこと言えば空気が壊れるかもしれない。
校門まで来たところで大きな人影を見つけた。私の頭の中にある、もう一つの影。
「乗倉さん、ちょっと話いいかな」
「私は特に話すことなんてないです」
「少しでいい。頼むから話をさせてくれ」
青柳先輩がかがみ込んで私の眼を覗き込む。胸の中がざわついてくる。これは怒りのはずだ。私はこの人に非道いことをされたんだ。今すぐすがりつきたいなんて思うはずがない。
「みんなごめん、今日は遊べないや」
「そうなんだ。いつものカフェにいるから、話が終わったら来てね」
山中さん達が手を振って去って行く。早く話を終わらせて合流しないと。
みんながいなくなるのを待って、青柳先輩が口を開く。
「ちょっと場所を変えよう」
私はうなずき、黙って校舎裏まで付き合う。ここなら静かに話ができるだろう。
「まずはすまない。謝って許されることじゃないけど」
深く頭を下げられる。
大きな身体なのに、私より小さく見える。
少し胸が締め付けられる。
「もう済んだ話ですよ。今更取り返しつきませんし」
「その通りだ。だけど、謝らせて欲しい。本当は会ってはいけないんだけど」
「会ってはいけない?」
「姫にそう言われている。俺の顔を見ると君が傷付くって」
「相変らず余計なお世話ばっかりだ」
おかげで傷が広がらずに済んだ。
「それでも君に会いたかった。会って話をしたかった」
「なんで? 先輩、かぐや姫の犬じゃないですか。言われたことなら、好いてくれる女子を何ヶ月だって騙すくらい平気でする」
「確かに姫には言われた。だけど、君と過ごした時間を全て嘘だとは思って欲しくないんだ」
「嘘ですよ。あんな制服着てる私を、かわいいとか思わせぶりを言って」
「全部思った通りを言っただけだ。嘘で固められる程、俺は器用じゃないし」
知ってる。
「今更ですよ。じゃあ、私にどうしろと」
「君と過ごす時間は楽しかった。あの日、街を一緒に歩いたのも楽しかった。全てをなかったことにして欲しくないんだ。それは、哀しすぎる」
今まで忘れようとしていた思い出が溢れてくる。楽しかった。私も楽しかった。
咲乃の話ばかりでヘコんでいた毎日も大切な日々だった。
全部なかったことになんてできるわけがない。
「でも先輩は咲乃が一番なんだ」
「そう。姫が一番だ」
「私、失恋ですよ」
「悪い」
「いいですよ、失恋で。どこまでも小娘の犬なんて、幻滅だ。こっちからお断りですよ」
「悪い」
そうだ、そうするんだ。思い出だけを残して、こんな男への想いなんてさっさと捨てちまえ。
「で? 話はそれだけじゃないですよね」
「姫を許してやってほしい」
「無理ですよ。あいつ、騙したんですよ?」
「悪気があってしたんじゃない。本当は分かってるんだろう?」
そんなのは最初から分かってる。
「でもだからって、許せるものじゃないですよ」
「姫はずっとつらそうなんだ」
「そんなことないですよ。毎日向こうは向こうで友達と仲良くやってますよ」
「だけど親友は君だけなんだ。君がいないと駄目なんだ」
親友は私だけ。
私だって親友は咲乃だけだ。
今すぐ会いたい。会って話がしたい。
駄目だ。目が熱い。もう止まらない。涙が止まらない。
「仲直りするんだ。二人ともそれを望んでいる」
必死で涙をぬぐい去る。
仲直りしようかな。そうしようかな。
涙で濡れた顔を上げる。
「先輩、私……」
私の携帯が鳴った。
カバンから取り出してみると、山中さんだった。
何の用だろうか? 慌てて電話を取る。
『乗倉さん、急用なの。すぐに来て』
「急用って?」
『いいから、急用なの』
よく分からないけど急用らしい。
どうしよう。でも呼んでるんだし。
「あの、先輩。もうちょっと時間ください」
「え?」
「友達が急用で呼んでいるので、行かなくっちゃ」
「うん、分かった。悪い、呼び止めて」
青柳先輩を置いて走っていく。
山中さん達のいるカフェに行くと、みんな普通にお喋りをしていた。
「え? あの、急用って?」
「さっきの先輩って、森田さんの犬やってる人でしょ? 乗倉さんが困ってるだろうと思って、逃げる口実を作ったの」
「そう、なんだ」
「余計なことした?」
山中さんが悲しそうな眼を私に寄こしてきた。
「そんなことないよ、ありがとう、助かったよ」
「よかった」
山中さんが温かい笑みを浮かべた。




