第七章 諏訪城攻め
天文十一年、六月。
甲斐の軍勢は、釜無川を遡り、諏訪の地へ入った。先頭には、黒い胴丸の鉄砲隊。その後ろに、荷駄に積まれた大筒と、解体された投石機の木材。兵糧の干し芋と干し玉蜀黍が、列をなしていた。
諏訪頼重は、上原城に拠った。だが、背後で、同盟のはずの高遠頼継が、武田に通じ、動き出していた。
「頼重殿は、孤立しております」
軍議の席で、板垣信方が、報告した。
「上原城は、堅い。しかし、籠城する兵は、数が少のうございます。力攻めにすれば、味方にも、犠牲が出ましょう」
晴信は、地図から目を離さずに、言った。
「信宗。どう見る」
「はい」
十歳の信宗は、一歩前に出た。
「城の前に、まず、見せます。我らが、何を持っているのかを」
翌朝。
上原城の櫓から、諏訪の兵たちは、城下に展開する武田軍を、見下ろしていた。
見慣れぬものが、あった。
城門から、五百歩ほどの位置に、木の骨組みが、組み上げられている。長い腕が、空を指している。
「あれは、何じゃ」
武田の兵が遠眼鏡と尺と定規で何がを測っている
しばらくして。
骨組みの腕が、唸りを上げて、振り下ろされた。
空を裂く音。次の瞬間、城門の脇の櫓が、轟然ともに砕けた。巨大な石が、柱をへし折り、屋根を吹き飛ばしたのだ。
悲鳴が上がった。
石は、一つ、また一つと、正確に城壁を越え、城の中に降り注ぐ。屋根が割れ、土が舞い、兵が逃げ惑う。
だが、信宗は、その間、一度も、火玉を使わせなかった。
「火は、使うな」
投石機の傍らで、信宗は、命じた。
「城には、女子供も、いるはずだ。焼けば、無用の死者が出る」
足軽頭が、緊張した顔で、頷く。
「石だけで、十分だ。恐れさせ、降らせる。それが、目的だ」
昼過ぎ、諏訪方の兵が、決死の覚悟で、城門を開け、打って出た。
数百の兵が、槍を構え、雄叫びを上げて、駆け下りてくる。
「鉄砲隊、構え」
信宗の声が、静かに響いた。
三百の鉄砲隊が、百組に分かれ、一斉に、膝を落とす。射手が、前に。その背後に、装填手が、控えている。
「放て」
最初の轟音が、山間に、こだました。
先頭を駆けていた兵が、ばたばたと、倒れる。後続が、足を止めた。その隙に、二度目の射撃が、飛ぶ。三度目。装填済みの銃が、射手の手に、次々と、滑り込んでいく。
百歩の距離を、誰も、渡れなかった。
「……化け物か」
遠く、城の櫓から、頼重が、呆然と、見下ろしていた。
その日の夕刻、城門前に、4斤砲が、据えられた。
金山衆の苦心の作だ。
4斤砲ならバラせば馬で山道でも運べる。
「門を、破る」
信宗の声に傍らで、板垣が、告げた。
「その前に、降伏の使者を。」
信宗が頷いて「印に白い旗を掲げよと」
「はっ」
だが、返答は、来なかった。城門は、固く閉ざされたままだった。
「……やむを得ぬ」
信宗は、唇を噛んだ。
「榴弾を使え」
「若、砲弾で十分では?溝が掘られているこの砲ならば、城門の蝶番も正確に狙えますし数発撃てば城門にも穴が空きます」
「城門は後で作り直せば良い」
信宗の前に二人の足軽が木箱を持って来て静かに置いた。
中に綿に包まれた榴弾。それを慎重に砲に装填。
「放て!」
轟音とともに、城門が、粉々に砕けた。木屑が、霧のように舞い上がり、門の向こう側に、立ちすくむ兵たちの姿が、見えた。
次の砲撃は、行われなかった。
城内から、先に言われた通り、白い旗が掲げられたのだ。
城の大広間。
諏訪頼重は、静かに、座っていた。三十路を越えた、端整な顔立ち。その傍らには、まだ幼さの残る、一人の少女が、控えていた。
「……降る」
頼重は、深く頭を下げた。
「この首で、城の者たちの、命を、お救いくだされ」
晴信は、しばらく、頼重を、見つめていた。
「諏訪殿。そなたの身は、甲府で、預かる。城の者は、誰も、傷つけぬ。約束しよう」
「かたじけない」
頼重の声が、震えていた。
信宗は、広間の隅で、その光景を、じっと見ていた。頼重の傍らの少女が、ふと、顔を上げた。
大きな目が、信宗と、合った。
恐怖と、悲しみと、そして、まだ、何も諦めていない、強い光が、そこにあった。
(この子は……)
史実の記憶が、頭をよぎった。
頼重の娘。のちに、晴信の側室となり、武田勝頼を産む、女。
(そして、頼重は、この後、甲府で、死ぬ)
信宗の背筋に、冷たいものが、走った。
(止められるか。いや、止めなければ)
「信宗」
晴信の声に、はっとした。
「はい」
「そなたの道具のおかげだ。血を、ほとんど、流さずに、済んだ」
「……いいえ」
信宗は、首を振った。
「これからが、本当の戦です」
晴信は、不思議そうな顔をしたが、何も言わなかった。
広間の外で、夕陽が、諏訪湖を、赤く染めていた。




