第五章 鉄砲隊
「童の言う通りに、足軽に筒を持たせよと?」
評定の間に、板垣信方の太い声が響いた。
傍らの甘利虎泰も、腕を組んだまま、渋い顔をしている。武田の両翼を担う宿老たちである。槍と馬で、数十年戦ってきた。
「鉄砲は、玉を込めるのに手間取る。雨が降れば、火が点かぬ。その間に、騎馬が突っ込んでくれば、ひとたまりもござらぬ」
「ごもっともにございます」
信宗は、臆さずに答えた。十歳の身で、宿老たちの前に立っている。
「ゆえに、一人で撃つのではなく、組で撃ちます」
信宗は、広間の床に、棒で図を描いた。
「一組は三人。一人が射手、二人が装填手です。射手は、撃ったら、銃を後ろへ回す。装填手は、すでに玉を込めた銃を、射手に手渡す。射手は、それを受け取って、すぐに撃つ」
「三人で、銃は」
「三挺です。射手の手の中には、常に、撃てる銃がある」
板垣が、眉を寄せた。
「銃が、三倍要るではないか」
「はい。ですが、我らの筒は、すべて同じ口径、同じ玉で作ります。どの銃も、どの玉も、互いに合う。三挺あっても、混乱しません」
信宗は、にっこり笑った。
「玉を込める手間を、射手から切り離す。射手は、狙って、撃つことだけに、専念できます」
そして間断なく撃てます。
「……間断なく、とな」
「前には、槍足軽を並べ、騎馬から守ります。雨のときは、無理に撃たず、槍で守る。晴れの戦で、鉄砲が決め手になります」
板垣は、図をじっと見つめた。
「理屈は、わかった。だが、理屈と戦は違う」
「では、ご覧ください」
信宗は、にこりともせずに、言った。
「三日後、河原で」
足軽は、村々から集められた。
芋と玉蜀黍のおかげで、どの村にも、余った次男、三男がいた。かつてなら、飢えて死ぬか、野盗に身を落とした者たちである。
晴信の名で、触れが出た。
――武田に仕える者には、飯と銭を与える。
飯は、芋と玉蜀黍と雑穀の、山盛りの飯。銭は、砂糖の売り上げから出る。村の若者たちが、目を輝かせて、河原に集まった。
「並べ! 背を伸ばせ! 筒は、肩に!」
教官を務めるのは、信宗が選んだ古参の足軽頭たちだった。信宗は、彼らに、徹底して一つのことを教え込ませた。
(個の技よりも、揃えること。号令で動き、号令で撃つ。それだけで、素人が、兵になる)
雑穀飯を食らい、泥にまみれ、太鼓の拍子に合わせて、何千回も、同じ動きを繰り返す。
「構え!」
どん。
「放て!」
どん、どん、どん。
最初は、ばらばらだった轟音が、数日、数十日を重ねるうちに、一つの音に、収束していった。
馬も、鍛えられた。
馬丁たちが、馬の傍らで、太鼓を叩き、空砲を鳴らす。はじめは、暴れて手がつけられなかった馬たちが、やがて、轟音にも、目を細めるだけになった。
「兵糧も、変えます」
軍議の席で、信宗が示したのは、干した芋と、干した玉蜀黍、そして、味噌と塩だった。
「米は、重く、嵩張ります。ですが、これらは、軽く、日持ちがし、煮れば食える」
甘利が、干し芋を、指でつまんで、鼻に近づけた。
「……確かに、軽いな」
「これならば、遠征が、一月、二月と続いても、兵が飢えませぬ。信濃は、山が深い。長く戦える軍が、勝ちます」
晴信が、頷いた。
「兵が飢えず、疲れず、揃って動く。それだけで、他の軍とは、別ものだな」
*
三日後の、河原。
晴信、板垣、甘利をはじめ、居並ぶ重臣たちの前に、鉄砲隊が、整列していた。その数三百。揃いの黒い胴丸。
的は、鎧を着せた藁人形が、百体。
「始めよ」
晴信の声に、信宗が、手を挙げた三百の鉄砲隊が、百組に分かれ、整列した。各組の前に射手、背後に二人の装填手。
「構え!」
太鼓が鳴る。
「放て!」
轟音。射手が、撃ち終えた銃を、肩越しに後ろへ回す。同時に、装填手の手から、ずしりと重い次の銃が、射手の手へ滑り込む。
「放て!」
二度目の轟音。間に、ほとんど息がなかった。
「放て!」
三度目。その間に、後ろの装填手は、空の銃を受け取り、火薬を注ぎ、玉を込め、次の用意を済ませている。
煙が、河原を覆い、風に流れたとき、百体の藁人形は、一体も、立っていなかった。
板垣が、口を開けたまま、固まった。
「……撃つ間が、ほとんど、途切れませぬ」
「はい」
信宗は、頷いた。
「これならば、騎馬が百歩を駆ける間に、三度、撃てます」
訓練が二月目に入った頃、河原には、秋の乾いた風が吹いていた。
「次の組、前へ!」
足軽頭の号令で、射手と装填手の三人組が、的の前に並ぶ。射手が撃ち、銃を後ろへ回す。受け取った次の銃を撃つ。三挺が、澱みなく回っていく。
信宗は、少し離れた岩の上で、その様子を見ていた。
(動きは、揃ってきた。ただ、慣れた頃が、一番危ない)
その視線の先に、一人の若い足軽がいた。孫六という、十七の、気の逸る男だった。手際は、組の中で誰よりも速い。
撃ち終えた銃が、彼の手に戻ってきた。
銃口からは、まだ細い煙が上がっている。筒は、手で触れるのも憚られるほど、熱を持っていた。
孫六は、その銃を、すぐに膝に抱えた。腰の袋から、紙包みを一つ取り出す。
「待て!」
信宗が叫んだ。
だが、距離があった。孫六の手は、止まらない。火薬の包みを歯で破り、熱い筒の口へ、注ぎ込もうとした。
――どん。
乾いた衝撃音とともに、白煙が噴き出した。
孫六の体が、後ろへ弾かれて転がった。銃が、手から跳ね飛び、地面を転がる。河原が、凍りついた。
「孫六!」
仲間が駆け寄った。孫六は、仰向けのまま、呻いていた。顔の左半分が、煤で黒く焼け、手の甲には、無残な火傷が走っている。
「医者を! 水を!」
「触るな、水は後だ。まず、手を、清い布で覆え」
信宗は岩を滑り降り、駆け寄った。幼い声に、周囲の男たちが、はっとして動きを止める。
「筒の中に、前の火種が残っていたのだ」
誰に言うともなく、信宗は呟いた。
「見えなかったが、筒の底に、小さな火が、残っていた。そこへ、新しい火薬を入れた。それだけで、これだ」
孫六は、荒い息の中で、必死に口を開いた。
「……申し訳、ござりませぬ。速く、撃ちたくて」
「わかっている」
信宗は、孫六の傍らに膝をつき、その額に、手を当てた。
「だが、速く撃つことと、早まることは違う」
*
その日の夕刻、全隊が、河原に集められた。
孫六は、手当てを受けて運ばれていた。幸い、命に別状はない。だが、利き手の火傷は、重かった。
信宗は、事故の起きた銃を、台の上に置いた。
「これを、見ろ」
足軽たちが、遠巻きに、その銃を見つめた。銃口の周りが、焦げて黒ずんでいる。
「撃った銃は、熱い。筒の中には、見えない火種が残る。それを知らずに、新しい火薬を入れれば、今日のように、顔が焼け、手が飛ぶ。運が悪ければ、命を落とす」
足軽たちの顔が、強張った。
「ゆえに、一つ、掟を定める。撃ち終えた銃は、すぐに装填してはならない。必ず、筒の中を、洗い矢で拭い、火種のないことを確かめてから、火薬を入れる。熱が冷めぬ銃は、使わない。交代の三挺は、そのためにある」
信宗は、一人一人の顔を、順に見渡した。
「速さは、大事だ。だが、一人の怪我で、組が止まる。一人の暴発で、隣の者が死ぬ。鉄砲隊は、一人が速いだけでは、勝てない。全員が、同じ掟を、守ってこそ、勝てる」
誰も、口を開かなかった。
「この掟を、破る者は、隊から外す。だが、守る者は、決して、見捨てない。孫六の治療も、武田が、責任を持つ」
どこかで、すすり泣く声がした。
やがて、足軽頭が、一歩前に出て、深く頭を下げた。
「承知いたしました。この掟、組の者全員に、骨の髄まで、叩き込みまする」
それが、始まりだった。
翌日から、河原の訓練は、変わった。撃ち終えた銃は、洗い矢で拭われ、冷め具合が確かめられ、それから、装填に回された。速さを競う者は、いなくなり、代わりに、揃えることを競う者が、増えた。
数日後、孫六が、包帯を巻いた手で、河原に戻ってきた。
「……若様」
「無理をするな」
「いえ。撃てなくても、洗い矢なら、持てます。組の者に、あの日のことを、伝えたいのです」
信宗は、黙って頷いた。
(規律は、命令からは、生まれない。痛みから、生まれる。だが、その痛みを、最小にするのが、軍を預かる者の務めだ)
夕陽が、河原を、赤く染めていた。




