第三章 砂糖と鉄の川
「これは、まことに甘蔗の糖にございますか」
駿府から来た商人は、白い粒を指先で摘み、日に透かして見た。
四十がらみの、目の細い男である。名は森屋宗右衛門。今川家の御用を受け、駿河の湊から京、堺へと荷を動かす豪商だった。
屋敷の客間。上座には晴信が座り、その傍らに、五歳の信宗がちょこんと控えている。
「唐渡りの砂糖より白うござる。しかも、粒が揃うておる……」
森屋は、舌に載せて目を閉じた。しばらく、無言だった。
「いかほどで、お譲りいただけましょう」
「暫くの間、銭は要らぬ」
口を開いたのは、信宗だった。
森屋の細い目が、ゆっくりと子供に向いた。
「……銭ではなく?」
「鉄がほしい。地金でも、鉄の板でも、屑鉄でもいい。ありったけだ」
商人は、薄く笑った。
「鉄、でございますか。砂糖の値を思えば、鉄の山を差し上げても足りぬほどですが」
「だから、続けて買ってほしい」
信宗は、小さな膝を揃えて、真っ直ぐに商人を見た。
「甲斐の砂糖を、今川の商人が一手に扱えばいい。その代わり、鉄と、駿河の塩と、海の産物を、安く、確実に運んでほしい。武田と今川は、縁戚でもある。悪い話では、ないはずだ」
森屋は、黙って晴信に視線を移した。晴信は、頷くだけだった。
「……この子は、おいくつで」
「五つだ」
「…………」
商人は、しばらく言葉を失った。それから、深々と頭を下げた。
「手前、商いを始めて三十年、このような御方と取引するのは初めてにございます。喜んで、お受けいたしましょう」
信宗は、小さく息を吐いた。
(今川の商人網に食い込んだ。これは、駿河湾の海運、ひいては、いずれ今川と向き合うときの足がかりにもなる)
荷が着いたのは、一月後のことだった。
甲斐の山道を、荷駄が列をなして登ってきた。積まれていたのは、鉄の塊、薄板、古い刀の鉄屑。砂糖の山と引き換えに、鉄の山が築かれていく。
その鉄を、信宗は釜無川の河原へ運ばせた。
「若殿、こんな川辺に、何を築くので」
源左衛門が、首をひねる。
「炉だ」
信宗は、地面に棒で図を描いた。
「石炭があれば、一番よかった。だが、この国にはない。ならば、火力を別の方法で稼ぐ」
棒の先が、川の流れを指す。
「川の力を使う。水車を回して、巨大なふいごを動かす。人の手で踏む何倍もの風を、休みなく炉に送り込む」
源左衛門の目が、大きくなった。
「水車で、ふいごを……」
「炉の熱が上がれば、鉄が溶ける。溶ける鉄が手に入れば、鋳ることも、鍛えることも、思いのままだ」
金山衆の男たちが、顔を見合わせた。日頃から火と鉄に生きる者たちである。その意味を、一番よく理解できるのは彼らだった。
「やってみましょう」
源左衛門が、ぐっと拳を握った。
炉が完成したのは、季節が二つ変わってからだった。
川岸に、石と粘土で固められた巨大な炉が立ち上がった。傍らでは、大きな水車が、ゆっくりと回っている。その軸に繋がれたふいごが、規則正しく、深い息を吐き出す。
ごうっ、ごうっ。
炉の口から、赤い炎が、うねるように吹き出した。木炭が真白に燃え、周囲の空気が揺らぐ。肌が、ひりつく。
「おお……」
「なんという火じゃ……」
職人たちが、後ずさる。
信宗は、熱風に目を細めた。
(これなら、いける)
用意した鉄が、炉に投げ込まれた。やがて、とろりとした灼熱の流れが、鋳型に注がれた。
最初に作られたのは、鉄砲だった。
炉から流れ出た灼熱の鉄が、砂と粘土で固めた鋳型へ注がれる。冷えて割られた型の中から現れたのは、芯の詰まった、黒い鉄の棒だった。
「若殿、これでは筒になりませぬが」
鍛冶の一人が、困惑した顔をする。
「ここからだ」
信宗は、河原の水車小屋へ一行を導いた。
大水車の回転が、太い軸を伝い、歯車を介して、横に据えられた巨大な錐へと繋がっている。鉄の棒が、台に固定され、その錐の先に、ぴたりと押し当てられた。
「回せ」
水車が唸り、錐が回りだす。
ぎゃりぎゃりぎゃり、と鉄を削る甲高い音が、小屋に満ちた。火花が散り、鉄屑が、螺旋を描いて床に落ちていく。棒の中心に、まっすぐな穴が、少しずつ、深く穿たれていった。
「人の手で叩いて巻く筒は、継ぎ目が弱い。だが、これは一本の鉄だ。継ぎ目がない。しかも、どの筒も、同じ穴になる」
信宗は、小さな指で、削り終えた穴の中を覗き込んだ。
「穴が真っ直ぐで、滑らかなほど、弾は真っ直ぐに飛ぶ」
鍛冶たちが、息を呑んだ。長年、鉄を叩いてきた彼らには、その意味が、痛いほどわかった。
「……これなら、同じものを、何挺でも」
「そうだ」
信宗は、頷いた。
(量産には、規格が要る。職人の腕に頼らず、水車の力に頼る。これが、この時代の鉄砲との決定的な違いになる)
鍛冶たちが、鉄の板を巻き、叩き、筒にしていく。信宗は、一つ一つの工程を見張り、時に手を止めさせ、図を描いて示した。
「ここの厚みを均一に。ここが薄いと、撃ったとき、破裂する」
「はっ」
「火縄の火口は、こう。雨でも湿気にくい形に」
小さな体で、大人の鍛冶に指示を飛ばす。
奇異な光景だったが、誰も、もう笑わなかった。
鉄砲に続いて、信宗は河原の炉の隣に、さらに大きな鋳型を掘らせた。
「これを、一度に流し込む」
信宗が示したのは、人の背丈ほどもある巨大な砂型だった。
炉の口が開かれた。灼熱の鉄が、轟々と流れ出す。
職人たちが、汗にまみれて湯を注ぎ、湯道を見張る。やがて、鋳型から引き出されたのは、太く、長く、黒光りする鉄の塊だった。
「これが、筒に」
源左衛門が、呆然と呟く。
「水車を、もう一つ据える。そして、あの錐を、もっと大きく、強くする」
数日後、水車小屋の奥に、見たこともない巨大な錐が据えられた。鉄塊が、鎖で台に固定され、錐の先に、じりじりと押し当てられていく。
水車が唸り、歯車が軋み、巨大な錐が回りだす。
ぎゃああぁぁりぃぃ。
耳をつんざく音とともに、鉄塊の中心に、黒い穴が穿たれていく。火花が、滝のように降る。何日も、何日も、水車は止まらなかった。人の手では決して届かない力が、休みなく、鉄を穿ち続けた。
七日目の朝、錐が、ついにに既定の深さに達した。
「……やった」
「やりましたぞ!」
職人たちの歓声が上がる。信宗は、穴の中を覗き込んだ。滑らかで、真っ直ぐで、継ぎ目一つない、見事な筒だった。
(これなら、爆ぜない。継ぎ目がないから、強い。同じ口径で、何門でも作れる)
こうして、のちに武田の戦を変える大筒が、生まれた。
試射の日。
河原に集められたのは、晴信と、数人の家臣。的は、鎧を着せた丸太である。
十挺の鉄砲が、一列に並んだ。
「放て」
信宗の声に、轟音が連なった。
白煙が、河原を覆う。それが風に流れたとき、的の鎧には、いくつもの穴が空いていた。丸太が、折れて傾いている。
家臣たちが、息を呑んだ。
「……堺のものより、威力があるのでは」
「弾が、真っ直ぐに飛んでおる」
晴信は、無言のまま、的に歩み寄った。穴に指を差し入れ、その深さを確かめる。
「これを、何挺作れる」
「この炉で、月に数十。炉をもう一つ増やせば、倍に」
「ふむ」
晴信は、鉄砲を一挺、受け取った。ずしりと重い筒を、じっと見つめる。
「では、大きいものは」
「あります」
信宗が合図した。
河原の奥から、台車に載せた、太い鉄の筒が引き出されてきた。長さは、大人の背丈ほど。口径は、子供の頭ほどもある。
「大筒でございます。城の門も、壊せます」
「…………」
晴信が、初めて、言葉を失った。
大筒の試射は、夕刻に行われた。
川の対岸に、古い土塀が建てられていた。大筒の砲口が、その土塀に向けられる。
「下がってください、兄上」
信宗が、晴信を後ろに引いた。
導火線に、火が走る。
――轟音。
大地が、揺れた。白煙の中から、鉄の玉が、唸りを上げて飛び出す。対岸の土塀が、爆ぜるように崩れ落ちた。土煙が空に舞い上がり、遅れて、衝撃波が顔を打った。
河原に、誰も、動く者はいなかった。
やがて、晴信が、ぽつりと呟いた。
「…………これが、あれば」
その目に、静かな炎が宿っていた。
「どんな城も、落とせる」
信宗は、答えなかった。ただ、崩れた土塀の向こうに、沈みかけた夕日を、見つめていた。
(五年。あと五年で、この国は、変わる)
水車の軋む音が、遠くで、ゆっくりと響いていた。
大筒の試射から、半年ほどが過ぎた頃。
信宗は、水車小屋の隅で、一本の鉄砲の筒を、じっと見つめていた。穴は真っ直ぐで、滑らか。だが、弾は、遠くへ行くほど、あらぬ方へそれる。
(球形の弾は、空気の中で、ぶれる。何かで、安定させなければ)
記憶の底から、雑誌の一頁が浮かび上がった。筒の内側に、螺旋状の溝を刻んだ断面図。弾が、独楽のように回転しながら、真っ直ぐに飛ぶ。
信宗は、顔を上げた。
「源左衛門」
「へい」
「錐を、替えたい。穴を開けるだけでなく、内側に、細い溝を刻める道具を作れるか。それも、ゆっくり捻じりながら、螺旋に」
源左衛門は、腕を組んで考え込んだ。
「……水車の力で、錐を回しながら、同時に送りを捻る、と。難しゅうござるが」
「頼む。これができれば、弾は、倍も遠くへ、しかも正確に飛ぶ」
「倍……」
源左衛門の目に、職人の炎が点った。
「やってみましょう。時はかかりますが」
「いくらでも待つ」
信宗は、水車の軋む音に耳を傾けた。
(まず、この国に、鉄砲を揃える。そして、その先に、誰も見たことのない銃を作る。一人の兵が、百歩先の将を、撃ち抜ける銃を)




