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第ニ章 白い砂と轟音

芋と玉蜀黍が国中の山村に広まり始めた翌春、

信宗は、屋敷の裏畑に新しい種を蒔いた。

赤みがかった丸い根。甜菜である。

「若、これも食えるのでござるか」

世話役の老僕が、首を傾げる。

「食うのではない。搾るんだ」

五歳の信宗は、小さな手で土をならしながら、そう答えた。

(寒冷地向きの作物だ。甲斐の冷涼な畑でも、育つはず)

秋、収穫した甜菜を前に、信宗は金山衆の頭領を呼んだ。

日に焼けた巌のような男が、胡散臭そうに子供を見下ろす。

名は源左衛門。鉱山で鍛えた腕は、信宗の胴ほどもあった。

「若殿が、わしらに何の用で」

「これを刻んで、煮てほしい。そして、石灰を使いたい」

「石灰を、煮汁に?」

「灰にした石を水に溶かして、汁に混ぜる。濁りが沈む。

その上澄みに、石を焼いたときの煙を吹き込む。

すると、さらに澄む」

源左衛門は、じっと信宗の顔を見た。

「若殿は、天狗に教わったのか」

「そうだ」

信宗は、迷いなく言った。もう、この言い訳には慣れていた。

「鉱山の火と、石を焼く技が要る。金山衆でなければ、できないんだ」

男の太い眉が、わずかに動いた。職人の誇りをくすぐられたのだろう。

「……やってみましょう」


十日後。

土間の片隅で、煮詰められた汁が、とろりとした褐色の飴になっていた。

さらに丁寧に煮詰め、冷やし、結晶を取り出す。

信宗の目の前に、小皿が置かれた。

白い砂のような粒。

「……舐めてみてくだされ」

源左衛門に促され、信宗は一粒を舌に乗せた。

甘い。

澄んだ、まぎれもない砂糖の甘さ。

目頭が、じんわり熱くなった。

(できた。この時代の甲斐で、砂糖が)

「若殿。これは、銀より高く売れまする」

源左衛門の声が、震えていた。

信宗はしばらく考えながら。

「まず、お館様に献上する。そして、金山衆の働きとして、武田の名で、広く知らしめる」

「……へ?」

「おまえたちが、武田の役に立つと示すんだ。そうすれば、もっと大きな仕事が出来る」

信宗は、にやりと笑った。幼い顔には不似合いな、悪い笑みだった。


砂糖の次は、火薬である。

信宗は、金山衆の中でも口の堅い数人だけを、屋敷の離れに集めた。

「これから作るものは、誰にも言ってはならない」

竈の灰、古い床下の土、そして、いずれ大量に集まる蚕の糞。それらから、結晶を取り出す。木炭と、山で採れる硫黄と、合わせる。

その手順は、信宗が一つ一つ、慎重に教えた。

(作り方を詳しく知っていることが、危うい。

この世界で、これを知る者は少ないほうがいい)

数ヶ月の試行錯誤の末、離れの片隅に、黒い粉が積まれた。


「兄上、お見せしたいものがございます」

初夏の庭に、信宗は晴信を招いた。

十六歳の嫡子は、怪訝そうに、庭の中央に置かれた物を見た。

素焼きの壺が一つ。周囲には、矢盾が幾重にも立て並べられている。壺の口から、細い縄が、長く這い出ていた。

「これは」

「あの縄の先に、火をつけます。兄上は、矢盾の後ろへ」

晴信は、怪訝な顔のまま、盾の陰に身を伏せた。

信宗も、その隣に伏せる。

家臣の一人が、松明を縄の端に近づけた。

火が、縄を這った。ちり、ちり、と音を立てながら。

壺に、辿り着いた。

――轟音。

大地が震えた。盾の向こうで、白い煙が立ち上り、土が噴き上がった。破片が盾にぶつかり、乾いた音を立てた。

そして静寂が、庭を覆った。

晴信が、ゆっくりと顔を上げた。

目を見開いたまま、煙の向こうを凝視している。

「……あの壺は、どうなった」

「粉々です。中の粉が、一瞬で、燃えたのです」

信宗は、淡々と答えた。

「この粉を、筒に詰めれば、鉄の玉を、遠くへ飛ばせます。鎧も、馬の頭も、貫きます」

晴信は、しばらく黙っていた。

額に、汗が一筋、流れていた。

「……天狗の知恵か」

「はい」

「これを、どれほど作れる」

「今は、まだ僅かです。ですが、数年あれば、国中の兵に行き渡るほど」

晴信の目が、鋭く光った。

若い獣のような、危うい光だった。

「そのために、何が要る」

信宗は、息を吸った。

「蚕でございます」

「蚕?」

「蚕の糞が、この粉の源になります。ですが、そう言えば、他国に勘づかれます。ゆえに、表向きは、絹の生産を奨励していただきたいのです」

晴信が、薄く笑った。

「絹は、売れば金になる。民も潤う。その陰で、糞を集める、と」

「はい」

「悪くない」

晴信は、立ち上がり、煙の薄れた庭を見つめた。

「国を富ませるふりをして、牙を研ぐ。……そなた、本当に五つか」

「天狗の子ですから」

信宗は、そう答えて、真顔で頭を下げた。

晴信は、声を立てて笑った。

それから、静かに言った。

「よかろう。桑を植えさせよう。養蚕を、甲斐の国の柱にする」


その夜。

信宗は、離れの縁側で、一人、空を見上げていた。

砂糖と、火薬。そのどちらもが、これから先、この国を変えていく。

(あと五年。五年あれば、鉄砲を、揃えられる)

遠く、山の向こうで、鹿の鳴く声がした。

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