第一章 じゃがいもと玉蜀黍(とうもろこし)
屋敷の裏手、石ころだらけの荒れ地が、信宗に与えられた畑だった。
「若、本当にこんな所に植えるのでござるか」
世話役の老僕が、鍬を握ったまま眉を寄せる。日当たりは悪くないが、土は痩せ、石が多い。誰も欲しがらぬ土地だ。
「ここでいい。むしろ、ここがいい」
信宗は軽トラの荷台から、麻袋を下ろした。
中には、芽の出かけた種芋。切り口に灰をまぶしてある。
(北海道ほど寒くはない。標高も、ジャガイモにはむしろ向いている。痩せ地でも、窒素さえ過多にしなければ育つ)
農協で二十年、組合員に口を酸っぱくして言ってきた台詞が、小さな口から出そうになる。
信宗は黙って、鍬を使った。五歳の腕は細い。
だが、畝の幅も、種芋の間隔も、体が覚えている。
トウモロコシは、石垣際の日だまりに点まきした。
村の者たちは遠巻きに眺めていた。天狗の下され物と聞いて拝む者もいれば、妾腹の子の道楽と笑う者もいる。信宗は気にしなかった。
(結果で黙らせる。それが一番早い)
三月後。
茎と葉を枯らした畝を掘ると、土の中から、丸い芋がごろごろと現れた。老僕が尻餅をついた。
「な、なんと……一株に、これほど……」
玉蜀黍も、背丈を越える茎に、黄金の穂を実らせていた。
信宗は一番形のよい芋と穂を選び、籠に入れた。
「兄上に、召し上がっていただきたい」
「滅相もない!」老僕は青ざめた。「妾腹のお方が、嫡子の晴信様に拝謁など。許されませぬ」
「だめでも、母上の許しなら」
信宗は首を振り、籠を抱いて、屋敷の奥へ向かった。
正室、大井の方の御座所である。
「信宗か。よう来た」
畳に座る女性は、驚くほど柔らかい声で言った。年を重ねてなお、背筋の伸びた人だった。
「噂は聞いています。天狗さまから、不思議な種をいただいたとか」
信宗は平伏した。額に畳の匂いがした。
「甲斐の民を、飢えから救いたいのです。それには、まず晴信様に、これを見ていただかねばなりません」
大井の方はしばらく黙って、信宗の顔を見つめた。やがて、ふっと微笑んだ。
「子供の言葉とは思えませんね。……わかりました。私から話しましょう」
数日後、信宗は晴信の前に座っていた。
十六歳の嫡子は、広間の上段に端然と座し、背後には近習が控えていた。切れ長の目。若いが、既に人の上に立つ者の静けさがある。
「顔を上げよ」
信宗は顔を上げた。その目と目が、真正面から合った。
「そなたが、父上の子か」
「はい」
「天狗の種を持ってきたと聞いた」
「はい。茹でて、ここに」
信宗が差し出した膳には、湯気の立つ芋と、茹でた玉蜀黍が載っている。
晴信の傍らの家臣が、さっと前に出た。
「若殿、お待ちを。毒味を」
「無用」
晴信は手を上げた。
「されど、妾腹の者が持ってきたものを、いきなり口にされるなど」
「この子は、母上が会わせてくれた子だ。母上の目に狂いはない」
晴信は塩壺に手を伸ばし、芋に、ぱらりと塩を振った。そのまま、手でむしって口へ運ぶ。
一口。二口。
広間が、静まり返った。
「……うまい」
晴信は、驚いたように目を瞬いた。
「ほくほくして、甘みがある。米とは違うが、腹にたまる。これは、何と申す」
「じゃがいも、と申します。天狗さまは、そう」
「この玉蜀黍は」
信宗は、頷いた。
「どちらも、寒さに強く、痩せた土地でも育ちます。米のできぬ山の畑でも、実りますしトウモロコシは実以外も馬の飼葉となります」
晴信は、玉蜀黍をかじったまま、じっと信宗を見つめた。
「そうか。寒くとも、荒れた土地でも」
そして、傍らの家臣を振り返った。
「聞いたか。国中の村に、この種を配れ。米の作れぬ山間から、まず植えさせよ」
「は、はっ。されど、天狗の下されもの、民が怖れませぬか」
「怖れさせるな。若き信宗が育てて、この晴信が食うた、と伝えよ」
晴信の目が、信宗を捉えた。
「いずれ、凶作が来る。そのとき、民を飢えさせぬこと。それが、国を守る第一の戦だ」
信宗は、深く頭を下げた。小さな背中が、わずかに震えていた。
(歴史の通りなら、これから甲斐は、天文の大飢饉に襲われる。この芋が、その前に間に合えば)
頭を下げたまま、信宗は唇を噛みしめた。
「そなたの働き、覚えておく」
晴信の声は、静かだった。
「信宗。そなたは、いい弟になりそうだ」




