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濁った水  作者: 真月 一蓮


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第四話

 バーレとロペスの話し合いはそれから機会を見つけて行われた。

 その間も彼は自白しないよう、ロペスを尋問し続ける。不毛な行動をしていく内に、奇妙な連帯感が芽生えていた。


 数日に一度、日光浴の時間がある。言葉の持つ雰囲気だけは柔らかい。囚人の健康のために用意されたが、実際は日干し煉瓦を作る作業と似ていた。


 横になり、じっとさせられている。

 じりじりと日射に肌を焼かれた。

 汗がぽたりと垂れ、地面に吸われて消える。


「接触があった」


 バーレは周囲を確認すると突拍子もなくそう言った。ロペスはどう反応すべきか分からなかった。


「組織だ。お前がなにを話したのか気になっているらしい」


「……」


 太陽が白く燃えている。開けていると目がおかしくなりそうだ。瞼の裏は濃い赤に染まり、暗い牢屋に戻ってもしばらくは視界がちかついた。


「安心しろ。まだ何も言ってないと伝えたよ。見捨てられては困るからな……。尋問の様子を話したら、ようやく納得したようだ」


 のっぽの男は日陰に椅子を持ってきて、冷えた白ワインを飲んでいた。グラスの反射が、網膜に刺さる。


「そもそもB国はどうして源泉調査を中止したんだ」


 重たい口をこじ開けるように、バーレは考えを言う。


「……何もないなら、もう少し粘るのが普通だろう。早々に引き上げたということはなにかを発見したからだ」


「その何かがリスクなわけか」


 果たして飲み水以上に大事なことがあるだろうか。


 医師の格好をした女性が近づいてきて、日光浴はもう十分だとバーレに言った。

 バーレは追い払うように手を動かす。あれで了承の意を示したつもりらしい。


 ロペスは独り言のようにして呟いた。


「もし、亡命が成功したとして――。ミサイルを打たれるのと、茶色になったシャーヌ河で生活をするの。どちらがいいのか分かる」


 バーレはロペスの問いには答えず、太陽を見上げた。


「お前には死ぬ気で頑張って貰う。俺はこれだけのリスクを背負ってるんだからな」


 彼の言葉が嘘か本当か、味方なのか敵なのかは知りようもない。だが外の状況が動いていると聞いただけでも、精神的に助かった。

 ジョージと同じようにロペスをスパイだと考えている以外は、バーレを味方と言えた。





 夜になり、夕食を終えるとすることもない。

 ロペスは自分がどんな法律で守られているのか、考えていた。


 食事は与えられ、尋問の時間もどうやら定められている。彼らから暴力は振るわれるが、その前には何かしらの理由を求めていた。

 いつか痺れを切らしたら、彼らは本気を出す。刃物さえ使うかもしれない。

 そう考えるだけで、体は情けなく身震いしてしまう。


「――喋らないで。聞くだけでいい」


 女の声がした。


「……」


 明かり取りの窓の奥で、闇に濃淡ができている。あちらからすれば、しゃがんで覗き込む格好だろう。


「ちょっと。聞こえてるわよね?」


「喋るなと言われた気がするが」


「指でコンコンするとかあるでしょ」


 小声でも怒りの感情が伝わってくる。器用だ。


「声が大きい。気付かれるぞ」


「なんだかムカっときたわ。帰ろうかしら」


 冗談を言う場面じゃない。ロペスは自分に驚いた。そんなことをしている時間も、精神的な余裕もない

はずだった。ようやく助けが来た。自分が高揚していることを認める(その裏で味方の振りをした敵だと、冷めた考えもあった)。


 彼女の声は、ただ普通だった。


 カフェで、パン屋で、雑踏の道端で聞くことのできる。間違いなく普通な響きだった。だから牢屋では浮いたように聞こえた。そしてその懐かしい声音に、日常が戻ってきたと錯覚してしまった。今は遠くなった日常が、帰って来いとロペスの心情に訴えかけるのだ。


「すまない。助けてくれ。見張りはしばらく来ないから。早く帰りたいんだ――」


「ふぅん。どうしようかな」


「あなたは?」


「まだ名乗らないでおく。心配しないで、あなたの味方よ」


「分かった。取り敢えず出してくれるか」


「救出する気はないの。そもそも不可能だし」


「は?」


 それでは危険を冒してまで来た意図が読めない。


「その反応。ここがどれほど厳重か知らないのね」


「なにか方法があるはずだ」


「救出は無理だけど、バーレに尋問官が変わったでしょ」


「……君がそうさせたわけだ」


「そう。ねぇ、貴方たちの組織はミサイル基地を無力化できそうなの?」


 ミサイルを打てば戦争になる。だから先手を打って、そのミサイル基地を破壊ないしは無力化すればいいと言うのは、A国でも過激な論調の一つとしてあった。ただ一般市民には、戦争という単語が遠すぎてよく理解できなかった。


「私に聞かれても分からない。それに君なら、そんな情報はすぐ入手できるんじゃないのか?」


「国家機密よ。私たちには無理に決まってるじゃない」


「悪いけど、私は君が思ってるような人間じゃない」


「……。戦争なんて馬鹿げてるわ。私たちは協力しないといけないのに。そうでしょ?」


 その通りだ。

 A国、B国、C国と分かれているが、実際のところ一つの塊であるべきだった。

 住む人々の器以上に、島が大きすぎたのだ。

 もっと小さかったら、争うこともなかったのだろうか。


「水をA国とC国で少しずつ分けてくれるだけでいい。そしてみんなで、山岳地帯で研究をするの。どうすれば水が綺麗になるのか」


 ロペスは彼女がA国の人間でないと察して落胆した。その心の重さを誰が想像できる。


「国家間で連携をとって動くのは、難しいし。時間の掛かる問題だろう」


「でもそうしないと、いつか全ての大河が汚れるかもしれないわ」


 それは誰しも行き着く考えで、そして考えたくないことだった。どの大河も、元をたどれば同じ山岳地帯から流れているのだ。

 A国政府が大河の水を少しずつ地下で貯水しているというのは、噂だが否定できない真実味がある。


 カツン。と、靴が固い音を立てる。

 ロペスは寝たふりをする。見回りの刑務官がまた元の位置へ戻る頃には、女の気配は消えていた。







「最初からおかしいと思ってたんすよ」


「黙れ。俺はそのずっと前から気付いていた」


 名前を知った。

 ひげ面の男がムムタで、のっぽの男がローレンソという。覚えようともしていないのに、覚えてしまった。


 二人の刑務官が会話をしながらこっちへ向かっていた。


「ええ。それってもう来る前じゃないすか。矛盾ですよ」


「矛盾の前からだ! おい出ろ」


 足音が止まり、ロペスは顔を上げる。

 ひげ面のムムタが牢を開いた。ロペスがじっとしたままなのは、単純に疲れていたからだ。ムムタが肘を掴んで立たせ、のっぽのローレンソがロペスの腹へ拳を振り抜いた。低く呻いたロペスを見下ろし、告げる。


「さっさとしろ。不服従は反抗とみなす」


「こいつは犬より学ばないな」


「しっぽ振ってばかりのお前の犬も能無しだ」


「こいつはしっぽも振れないすよ。さっさと吐けば楽になるのに」


 尋問室へ引きずられる。いつもと同じくバーレが座っていた。


「座れ」


 ロペスが座る。ローレンソが部屋を出ていき、ムムタは隅で足を広げて立つ。


「そろそろ、自分がスパイかどうか、認めてもいいんじゃないのか」


「私はスパイじゃない」


 ふぅ。とバーレはため息をつく。そのわざとらしさで、今夜が寒くならないか心配だ。


「私は毎日、家に帰っている。君はどうだ。帰りたくないのか」


「帰りたいに決まってるでしょう」


「それなら」


 勢いよくドアが開く。

 二人が入ってきたが、どちらも見覚えのある顔だった。

 片方はローレンソだ。緊張した顔をしている。


 コートを着た男が続く、


「尋問はそこまでだ。ご苦労。後は私が引き継ごう」


 出国ゲートでロペスを捕らえ、最初に尋問した男。

 ジョージだった。


「ジョージさん。何を勝手に。私は刑務部から指名されているのですよ?」


「そうかそうか」


 ジョージが愉快そうに頷く。指で刑務官の二人に指示を与えた。


「君も面白いことを考える。まさか異動指示を偽装するとはな。調べたら驚いたよ」


 ムムタとローレンソがバーレの両脇に立つ。


「偽装指示だと、ふざけるなっ!」

 ムムタがなじった。


 バーレはまだ状況を呑み込めていなかった。怒ったムムタも、呑み込めているわけではなかった。


「随分と山に行かされた。かなりの人数に工作したのだろう?」


「何を、……言っているのか分からない」


 一体なにを偽装した! と、ムムタは憤る。


「まったく。その演技じゃあロペスにも負けるぞ。連れていけ。お前は刑場送りだ」


 バーレが二人に立たされる。


「刑場?」


 そんな、ばかな。

 みるみるうちにバーレの顔が青くなっていく。ロペスを見るも、助けられたいのはロペスも同じだった。


「国民のために働く我々が国家反逆罪など、死より重い。どうしてこんなことをしでかしたのか理解もできん」


「理解できん!」

 ムムタも憤慨する。


「ちょっと静かにした方がいいっすよ」と、ローレンソがバーレ越しに囁いた。


「触るな。私は正式に指令されてここにいるんだぞ」


 じっとしてろ。


 立たされ、じたばたと暴れるバーレの腹をローレンソが殴った。

 体をくの字にして悶絶するバーレは、目だけを吊り上げて睨みつける。


「政府の犬め。こんな国で出世したところで、どうせ使い捨てられるだけだぞ」


「政府が気に入らないなら、そう直訴すればいいだけの話だがな」


「私には守るべき家族がいる。お前と違ってな。職を失うような真似なんてできない」


「言いたいことはそれだけか」


「どうして政府はシャーヌ河の調査を切り上げた。値上がった医薬品も高くて買えたもんじゃない。なにがこのまままでは戦争も辞さないだ。ふざけるな」




 若いローレンソにはバーレの言うことがもっともに聞こえた。

 ――B国がまるで他人事のようにシャーヌ河の源泉調査をしないのを、誰もが不思議がる。政府が裏で何を考えていようが、現実にみんなは苦しんでいる。洗濯物はくすみ、料理の味が変わる。医療で使用する水は他国から供給されているが、もしそれを止められたらどうすればいい。井戸水で、賄えるのだろうか。

 ローレンソの思考は呪いの言葉に遮られる。



「お前らA国もゴミだ。すぐ横に水不足の国があるのに、一滴すら渡すのを拒むなんて人間じゃない。自分可愛さにもほどがあるだろうが」


 ムムタが「黙れ」と、バーレの腹へ膝を入れた。


 ローレンソはびっくりしてムムタを見る。バーレの言葉はまともだったのに。

 バーレの口から泡になったよだれが噴き出る。酸味のついた嫌な匂いがした。


「げほっ。げええっ。――娘は内臓が弱いんだ。あの水じゃいつまた具合が悪くなるか。俺だってA国は憎い。それでも生きるためには、どこかへ、亡命しなくちゃならないんだ」


「大丈夫だ。もう娘の心配はしなくていい」


 ジョージの顔を、ロペスも見た。


 優しい言葉のはずだった。


 しかし響きはとんでもなく残酷で。温度がなかった。


「は?」


 ジョージはもうロペスに視線を定めている。


「お前らなにをした……。 おいっ!」


「いつまで喋らせるつもりだ? さっさとしろ」


 バーレが引き摺り出される。

 くそやろう。ぶっ殺してやる。お前も道連れだ。


 徐々に声が遠くなる。


「さてさて。ようやく旧友に会えたな」


「……」


「どうした?」


「尋問官が変わったところで、私がスパイに変わるわけじゃない」


「あの裏切り者とつながっていてまだ言うか。こっちはもう既に」


「既に、なんの証拠があるんだ。私がバーレと共謀したとでも?」


 ロペスはただ、バーレから外の情報を教えられたに過ぎない。そして皮肉にもジョージが帰ってきたことで、その情報の信頼度は増した。


 ジョージはふむ。と、考える仕草をする。ムムタが戻ってくるといつもの場所に立った。


「カマには引っかからない。そうだった。君はそういう男だったよ。そしてそれが嬉しくもある。不思議なことだ。私は大きな獲物を前にした狩人だな。この高揚感は、裏切り者には勿体ない」


「盛り上がっているところ悪いが。普通の人間を狩るなんてしたら、大変な犯罪だ」


「ほとんどのスパイは普通の人間であるべく努力している」


「あなたは優秀ですよ。間違いなく。そして、そんなあなたが私のしっぽを掴めない」


「さっさとしっぽを振れ!」

 ムムタが鋭く言う。


「静かにしろ。いいか。すぐに、掴ませてもらう」


「今朝は二人にしっぽがないと言われましたが」


「ふふふ。今日はいつになく喋るな。お仲間が連れて行かれたのだから無理もないがね。顔には出なくとも、動揺しているのだろう」


「国が、身柄引き渡しの交渉を始めたと聞いたからですかね」


 炸裂音がした。


 銃を撃つ音だった。


 なにかを必死に喚く声がして、もう一度銃声が聞こえた。


 そして静かになった。


「――死人の戯言だ。何が始まったって?」


 ロペスは牢屋に戻される。立ち上がったジョージは静かに、そして余裕を持った笑みを浮かべていた。今日の夕食を考えている顔ではなかった。

 その夜、火災警報が夜の闇に轟いた。誤報だった。

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