第五話
尋問の日々は続く。
身柄引き渡し交渉は本当に戯言だったのか
考えたくもないことを考えてしまう。
尋問はより厳しくなる。
強力なライトを牢屋の小窓から当てられ、夜を奪われた。
ロペスはスパイを否定し続けた。
ジョージはそれでも繰り返した。
ムムタは何かに苛ついていた。
ジョージが聞き、ロペスが答えるまでの間には刷りたてのまっさらな紙にも似た静寂が生まれるようになった。どこか祈るような想いで、ロペスが首を縦に振るのを待つ。
結果の分かっている儀礼的なやり取りだが、回数を重ねても静寂が色褪せることはない。
だからだろうか。そこに意味はなくとも、そこには格調があった。薄汚い牢屋と陰気臭い尋問室の往復の中で、感じられるはずのない空気だった。
ロペスは自分の一声が全てを動かす状況に、神にでもなった気分だった。
あるいは家畜のように扱われる日々への反発が、妄想として表れたのだ。
拡大していく思想の中でロペスは昇華する。
私は、……私こそが神だっ!
ロペスは体一杯に両手を広げ、強烈な光が差す小窓へ狂ったように絶叫する。
すると信徒である二人の刑務官は狂喜し、警棒を片手に踊り狂った。
狂気が徐々にロペスの頭を支配し始めた。
大っぴらに拷問できなくとも方法は数多くある。切られた傷を治す方法は限られるが、切り傷を作る方法はたくさんあった。
少し間抜けなところがある四十歳過ぎのムムタは奥さんと娘の三人で仲睦まじく暮らしている。まだ二十代前半のローレンソは一人で暮らしていた。彼は毎朝公園で犬の散歩をする女性に恋心を抱いているそうだ。非人道的な場所に勤めている彼らの日常はとても自然で、ロペスはそれを小説の世界のように遠く、そして身近に感じた。
漏れ聞こえた断片が物語になるまでには一年もの歳月が費やされた。
排せつ物を溜めたバケツは二ヶ月前になくなり、簡易トイレが据え付けられている。バケツは一時期だけ神になっていたロペスが「神の鉄槌」を下すときに使用したからだ(神の鉄槌はローレンソを狙ったが、間一髪で避けられ、その後ろにいたムムタに運悪くぶちまけられた)。
頬の肉が削げ、目に灯った知性の光が薄くなってきたロペスだが、精神的に追い詰められているのはジョージも同じだった。
B国上層部は成果が挙がらないことに苛立っている。
「ジョージが罷免されるらしいですよ」
「どうでもいい」
「次が面倒なやつじゃなきゃいいっすね」
刑務官の二人はジョージの気に入らないところを言い合い、下卑た笑いで盛り上がる。
可哀そうなジョージ。
今日は尋問がすぐに終わり、牢屋に帰された。
寝床の奥に、小窓から吹き込んでくる砂を集めた小さな砂場を拵えた。そこに故郷を模した山を作った。
大きい山の横で小さくこんもりしたのがロペスの生まれ育った山だ。山の奥へ進むと小さな滝があり、鳥がよく水を飲みに来た。その近くには父親が作ってくれた作業小屋がある。
A国の国土は大半が山だ。必然、木材と鉱石が多く産出された。大抵の男は木を伐採するか坑道に潜る。器用なロペスは木でボディを作り鉄で機構を作った。
中でも農業機械を作るのが好きだった。自然を切り取るよりも、命を育てる形をした機械の方が作り甲斐がある。そしてそれらは平原で農耕が盛んなC国でよく売れた。
あの狭い作業小屋でまた、機械を作りたい。
ガタガタと音がして、振り向く。
ムムタとローレンソが牢屋の前にテーブルを用意していた。目が痛むほど白いテーブルクロスまでひかれる。二人が楽しそうに皿を両手で運ぶのをロペスは視界の端に置かないよう努力した。
豪勢な食卓だ。ソーセージとキャベツを煮込んだスープの匂い。甘い蜂蜜の掛かったパンと、身から脂が溢れる大きな焼き魚が見えた。チーズとワインもある。
ロペスは顔を背け、寝ようとする。それでもムムタの大きな笑い声と食事の匂いは否応なしにやってくる。腹が、か細く鳴った。
その夜、人影がやってきた。前回と同じ、女の声だった。
「生きてる?」
「――なんとか」
「調べたけどやっぱりスパイじゃない」
「君たちは一体なにを調べたんだい?」
「……」
「バーレを密告したのは、君だろう」
「そうね。でもジョージが戻ってきたのは私のせいじゃない」
否定しないのか。驚いた。
一体どうして。という言葉を呑み込み、息を一つ、吸って吐く。
状況が分からない。けれど考えても仕方ない。彼らがジョージからバーレに担当を変え、そしてバーレを密告した。それだけのことだ。
「バーレが裏切った?」
「……裏切ってはいないわ。思想が違っただけ。ただ、国を売ることは見過ごせない」
きっと亡命の対価を用意していたのだろう。それはおそらく、B国にとって都合の悪いことだ。
「私も敵になったわけだ」
「敵じゃないわ」
「それはよかった」
それなら肉の切れ端でもいいから持ってきてくれ。
「私がゲリラだって気付いているから、そんな反応してるんでしょ」
ゲリラというのは、B国の反政府組織だ。初めは乾燥地帯の緑化施策が全く進まないことについて、政府へ抗議する団体だったと記憶している。知っているのはその程度だ。
「反政府ゲリラ」
「あなたが来た日に、山岳にあるアジトが警察に乗り込まれたの」
島の中央にある山岳地帯はどこの国にも属さない。転落事故や野生動物に襲われる危険から、自らそこへ近づく人間もいなかった。
「気の毒に思う」
「翌日にあなたが捕まったって聞いたから。私もお気の毒様と思ったわ」
「……私がゲリラのアジトを知るわけがない」
「さあね。でも言っておくけど、あなたをB国政府に売ったのは、恐らくC国のスパイよ。私たちじゃない」
「もう驚けないな」
彼女の言葉が本当なら、私が恨むべきはC国ということになる。
捕まった日に取引していたパンフィロの顔が浮かんだ。関係はないだろうが、彼の呑気な平和面に一発だけでも殴ってやりたい。
「C国は無関係を決め込みたいのよ」
水不足の件でB国の目をA国に向けたいわけだ。
「助けを借りるなら、そのC国スパイの方がいいかもしれない。私はまんまと嵌められたようだし」
「どっちの協力も、必要だわ」
もしかしたらどこの国の政府よりもゲリラの方がまともに未来を見据えているのかもしれないな。
いや、ゲリラはゲリラだ。崇高な精神は彼女だけだろう。
「協力か。牢屋にいる私には汚物をぶちまけるくらいしか出来ないが」
「この国の腐った政府を壊したい。もう、根ごと取り替えるしかないの。ぶちまけて欲しいのは、彼らの脳味噌ね」
「……」
ゲリラのリーダーのセリフか。少なくとも彼女らしい言葉には思えなかった。
「そのために組織の力を借りたいの。もうアジトにいたゲリラは捕まってしまって。私と他に数人しかいないから」
「……ここから出してくれるなら、どうにかして政府に頼んでみる」
「残念だけど、出せはしない。けど助けるわ」
どういうことだ。
カツン。
靴の音がいつの間にか近づいていた。目を閉じたロペスは細く息を吐く。続きは気になるが、結局のところ耐え続けるしかないようだ。




