第三話
眠っていると、けたたましい騒音にロペスは起こされた。
カンカン。カンカン。
甲高い音がする。
火事だ。と声が聞こえた。火災警報か。頭を一度振り、焦点の合わない目をなんとか凝らす。意識を集中して脳を起こした。
「ここに居る。出してくれ!」
鉄格子に顔を埋め、必死に叫ぶとひげ面の男が奥からのそのそとやってきた。山火事を知らないゴリラだってもう少し慌てる。ロペスは急がせようと必死に叫ぶ。
「なにしてるんだ。火事だぞ。出してくれ」
「黙ってろ。誤報だ」
「勘弁してくれよ」
不安を煽るような火災警報がやっと止まり、眠りについた。
安眠はまたしても火災警報に遮られる。どうせまた誤報だ。眠ろうとしていると肩を揺さぶられる。
「起きろ。火事だ!」
脳の半分以上が眠ったまま、なんとか立ち上がり鉄扉の前まで行く。
「誤報だそうっすよ」
鉄扉の前に立っているのっぽの男がつまらなそうに言った。
「誤報か。よし。戻れっ」
背中をせっつかれながら牢屋に戻される。何事もなかったかのように、二人は定位置に戻っていった。
次に起こされると今度は朝食だった。固いパンに淡く黄色に濁った水。ゆで卵もあったのは喜んだ方がいいのだろう。
食べ終わり、少しして尋問室に連行される。眠れていないせいで頭が働かない。
「掛けてくれ」
向かいに座るのは細身で、静かな声の男だった。ジョージから尋問官が代わっていた。昨日の調子ではジョージがずっと担当する様子だったのに。
男の目が無関心にロペスを見る。
「バーレだ。今日から、私が尋問する」
ロペスが座るとさっそくバーレが尋ねた。どこか事務的な口調だ。
「スパイだと認めるか?」
人が違えども質問は同じ。ジョージと比べて圧迫感がないのは助かる。
単調な日々が三日、四日と続く。
いつしか収容された日から数えていた曜日の感覚は分からなくなった。
日の感覚が分からなくなるというのは恐ろしいもので、ロペスの脳味噌はたった数ヶ月でも、長年に渡り拘束されているのだと錯覚した。
苦痛は時間を間延びさせ、人生の空白が伸びるたび、まだ若いロペスを焦らせる。
こんなところに居る場合じゃない。仕事をしないと。
ロペスはいかに自分がただの小市民か、農業機械を製作するのに悪戦苦闘しているか説明した。
土を掘るブレードの耐久性はもちろん、長く使えるようにするには替刃の価格も抑えなければならない。本体を長く保たせるにはメンテナンスが重要で、その方法は分かりやすく、手軽であるべきだ。それらの工夫を実現するのは並大抵の努力ではなかった。
しかしバーレが耳を貸すことはない。
潮目が変わったのはひょんなことからだ。
暑い日はただじっとしていていも汗をかく。自然と水を飲む回数は増えた。
濁った水で体に異変は起きなかったが、拘束されるストレスと理不尽な暴行、栄養失調には容赦なく襲われた。
相変わらず尋問官のバーレにやる気はなく、それを補填するように刑務官らの暴行は激しくなった。ロペスの体調が悪くなると医者に診させ、空腹に倒れると羊肉と野菜を煮込んだ汁を出した。栄養剤を飲み込まされたこともある。
「今日は一段とひどいな。死人みたいだ」
尋問は毎度お馴染みの文言で、スパイであることを認めさせるものだ。
例え頷いたところで、生きて帰れる保証はない。それくらいはロペスにも想像できた。
「認める前に死なれちゃ、困るんだがな」
「スパイじゃない。もしそうなら、とっくに自決してるさ」
「怖気づいたのかもしれない」
「死ぬことの方が勇気はいらないと感じる日々だ」
「それほど重要な秘密ということだな」
後ろからひげ面の男が言う。
「重要ならそれこそ吐く前に死ぬだろう」
ひげ面の男は殴ろうと一歩踏み出すが、バーレに諫められた。
「お前は黙っておけ。いいかロペス。死なずに済む方法はある。こちらが情報の出処を秘匿すればいい。スパイが一人捕まった。それだけで我々はいいんだよ」
「どうしてそこまで私をスパイにしたいんだ」
「交渉材料になる」
いま彼らが欲しいのはドナ河以外にない。
「二国で利用すればドナ河は枯れるかもしれない」
「そうしたら、今度こそ共同で源泉調査に向かうだろうな」
会話は平行線を辿る。シャーヌ河は彼らが調査するのが筋だ。A国が協力するにしても、強引に取引を持ち掛けるものでもない。だいたい、シャーヌ河と接しているのはC国じゃないか。わざわざスパイを仕立て、交渉材料にするよりそっちに協力してもらえばいい。
「喉が、渇いた。軽い口当たりの白ワインを飲めば、口も軽くなるかもしれない」
「水なら尋問が終わってから用意してやる。さっさと認めれば」
「普通の水が飲みたい」
何事にも慎重なロペスにしては軽はずみな言葉だった。
空気が変わった。
バーレとひげ面の男が同時に息を吸う。
場の空気が、一瞬で張り詰める。
「……国に帰ったら好きなだけ飲めるだろう」
震える声。バーレが初めて感情的になった理由を、ロペスが理解することはできない。
ひげ面の男がなにごとか怒声を張り上げる。後ろから殴られた。いつものように振り抜くのではなく、拳骨を落とすように重くしっかりと。
頭を抱え、ロペスが痛みに呻く。
「やめろ。お前はトイレにでも行ってこい」
「しかし」
「家畜のようにするのではなく、個室のドアを閉め、ゆっくりと文明的にだ。いいな」
監視の下でしているロペスを痛烈に皮肉っている。それでも溜飲は下がらないのか、ひげ面の男は歯をむき出しにして睨みつける。
苛立ちを露わに、ドアを蹴り飛ばしていった。
バーレは短く息を吸い、長く息を吐いた。もう一度繰り返す。感情を吐息で排出するかのように、表情が落ち着いていく。
「さて」
ロペスと尋問官が二人きりになるのは初めてだ。普段ならのっぽの男を呼び、尋問はこれで切り上げるはずだ。休日なのか、今日はまだのっぽの彼を見ていない。
バーレは顔をテーブルの中央付近まで寄せる。
真面目な顔で、声を潜めて言った。
「私はお前の味方だ。今までの尋問がぬるいのは、感じていただろう」
「なにを言っているのか分からない」
いきなり味方だと言われて、はいそうですか。とはならない。
角度を変えた尋問だ。外から引き出すか、内から引き出すかの違いだ。
「私はA国に亡命する。お前は引き渡しの交渉まで粘り続けろ」
「引き渡しの交渉?」
「そうだ。外務官レベルで、既に接触は起きている。まだ安心するなよ。実際に始まるのにはもっと時間が掛かる。私はお前の身柄引き渡しを利用して亡命させてもらう」
「私は信じないとして、どうしてそんな情報を」
「ハリネズミみたいな奴だな。いいから信じろ。一日、休みをやる。それが証明だ」
コツコツと足音が戻ってくる。
「このままだ。いいな? なにもしゃべるな。状況を、荒立てるな」
荒立てるなと言われたら反論したくなる。自ら荒立てたことなど一度もないのだから。
ハンカチで手を拭きながらひげ面の男が戻ってきた。
「トイレは済んだか。なら連れていけ。今日の尋問は終わりだ」
「もしよかったらですが、私がやりましょうか。爪を二、三枚剥がせば簡単に」
「いつから君が尋問官になった。尋問の課程をここで受けたとでも?」
言われたひげ面の男は、突っ立ったまま動かない。
無言の反抗をしばらく続け、最後にはロペスを立たせた。その剣幕に、バーレは微塵も動揺しなかったのがロペスには意外だった。
「今日は休みになるぞ」
「バーレはなに考えてんだ」
先日にバーレが言ったように、本当に休みがきた。一日分の食事を出され、自分のタイミングで食べていい。そう言われた。
「感覚が麻痺しないようにすると言っていたぞ。これも尋問の一種らしい」
廊下の奥から、二人の会話が聞こえる。今日は彼らも休みになるのだろうか。
「そうすかね。休みはあるだけいいじゃないですか」
「夜になると怠く感じる。そしてあいつには、次の休みは保証されない。これは、お休み尋問だ!」
ひげ面の男の言葉の調子に、のっぽの男が笑い声をあげる。
バーレはこの不自然な休みを上手に言いくるめたらしい。
「お休み尋問……。まあ。そう、か?」
「行くぞ。引継ぎをして、俺たちも今日は午前で仕事を終えるからな」
「これ俺たちもお休み尋問されてないすよね?」
「お前は尋問されているか? 違うだろう。お休みのお休みだ!」
「それ普通に休みでいいじゃないすか」
鉄扉の閉まる音が聞こえ、笑い声が遠くなる。
束の間の休日だ。石造りの牢屋は寝るのに快適とは言えない。それでも起きた時は夕方で、誰にも邪魔されずに寝られたことに感動すら覚えた。
ひげ面の男の言う通り、また来ることを期待してはいけないだろう。




