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婚約破棄破棄されたので流行らない喫茶店をはじめました  作者: みずとき かたくり子


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98話 雰囲気クラッシャーのスイーツ講座

98話 雰囲気クラッシャーのスイーツ講座



---

 絶景と胃痛


高台に建つ名店。

夜景は宝石のように瞬き、空気は静謐で、完璧で、恋に落ちるには十分すぎる舞台装置。


――のはずだった。


(やってしまいましたわ……)


王子がデザートを口に運ぶ、その一瞬。


雪乃の舌が、勝手に仕事を始めた。


「……メレンゲの泡が、ほんの少しだけ粗い気がいたします」


言った。


言ってしまった。


静かな空気が、ほんのわずかに動く。


「ほう?」


王子はスプーンを止め、興味深そうにデザートを見る。


「甘さの設計は素晴らしいのですが……余熱で砂糖が立ちすぎて、口溶けが半拍遅れているのです」


(止まりなさい、私の口!)


しかし止まらない。


「温度管理を二度ほど見直せば、さらに繊細になるかと……」


沈黙。


そして王子は、にこやかに微笑んだ。


「店長、パティシエを」


「呼ばないでくださいっ!!」


椅子が軽く鳴る。


雪乃、ほぼ立ち上がりかけ。



---


 逃げられない令嬢


「いえ、本当に些細なことなのです! 十分すぎる完成度です!」


「だが、完成度をさらに高める機会では?」


王子は本気だ。


善意100%。


逃げ場、ゼロ。


(善意が一番止めにくいのですわ……!)


「今日は雰囲気を楽しむ日です! 技術論は後日で!」


必死の懇願。


王子は少し考え――頷いた。


「……そうか。では次回に」


安堵。


だが。


「お呼びと伺いましたが」


背後から低く落ち着いた声。


終わった。


パティシエ、登場。


雪乃の魂が一瞬抜ける。



---


職業病、全開


「ご意見を頂けると……!」


きらきらした目。


尊敬と期待。


ああ、この目。


この目に弱い。


雪乃は静かにスプーンを取り、姿勢を正す。


切り替わった。


完全に。


「では僭越ながら」


声色が変わる。


空気が変わる。


雰囲気が、完全に変わる。


「メレンゲの泡立ちは八分止まりが理想です。今は九分。だから繊維が強く残る」


「……!」


「砂糖は三段階投入。最後の一回はごく微量で十分です」


「なるほど……!」


「あと、厨房の湿度。今夜は高かったはずです」


「なぜそれを……!」


王子、完全に置いてけぼり。


雪乃、止まらない。


「温度は二度下げるだけで口溶けが半拍早まります」


パティシエ、震える。


王子、満足げに腕を組む。


(なぜ満足そうなのですか)



---


 雰囲気、消滅


講座、十五分。


ロマン、消滅。


夜景はまだ綺麗。


しかしテーブルの空気は完全に“厨房”。


雪乃、我に返る。


「……あら?」


パティシエ、深々と頭を下げる。


「必ず改良いたします!」


去っていく。


沈黙。


雪乃、うなだれる。


「……申し訳ありません。雰囲気を粉砕いたしました」


王子、即答。


「いや。最高だった」


「どこがですの」


「君が夢中になる姿は、実に魅力的だ」


直球。


雪乃、固まる。


「……職業病ですわ」


「その職業病が、私は好きだ」


(胃が痛い)



---


 それでも誘う王子


少しだけ静かな時間。


王子がワインを置く。


「次は、何も言わなくていい」


「……努力いたします」


「だが、もし気づいたなら、また教えてほしい」


雪乃、目を瞬く。


「……また?」


王子はまっすぐに告げる。


「また、こうして食事を」


止まる。


今度は、雪乃の心が。


彼女はゆっくり微笑む。


「……私でよろしければ」


王子、即座に店長を見る。


「次回の予約を」


「承知しました!」


雪乃、小さく天井を仰ぐ。


(なぜ増えるのですか)


だが口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。



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