93話 スタードール店長と第一王子の来訪
93話 スタードール店長と第一王子の来訪
昼の慌ただしさがゆっくりと落ち着きを取り戻し、店内に柔らかな紅茶の香りが漂い始めた頃。
ドアベルが“チリン”と澄んだ音を響かせた。
入ってきたのは――かつて月を震わせ、弥生を胃痛に追い込んだ男。
スタードール店長、アルベルト。
いち早く気づいた月が、完璧な笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ、アルベルト店長。営業再開と伺いましたけれど……店長がお抜けになって大丈夫なのですか?」
アルベルトは肩をすくめ、軽い笑みを浮かべる。
「新しいパティシエを採用したおかげで、どうにか回っている。いや、ようやく回り始めたと言うべきかな」
「それはよかったですわ。私が提供したレシピで混乱していないか、少し気にしておりましたの」
「……お、恐ろしい子」
厨房から弥生が聞こえない声でつぶやいた。
混乱の原因を作ったのは目の前の少女である。
しかしアルベルトは笑みを崩さず頷いた。
「いや、むしろ感謝しているよ。人員補強は前から必要だった。君のレシピが背中を押してくれたおかげで決断できた」
「……それなら安心ですわ」
月が静かに微笑む一方で、**“自分が意図的に崩壊させた事実は胸にしまったまま”**である。
◆ 雪乃とアルベルト、優雅なやり取り
アルベルトは店内を見渡し、軽く目を見張った。
「客が減ったと聞いていたが……今日は随分と賑わっているな。やはり雪乃店長のおかげか?」
そう言いながら彼は雪乃のもとへ近づいた。
「君がいない間、妹君からいくつかレシピをいただいた。本当に助けられたよ」
雪乃は紅茶をすすり、のんびりとした調子で答える。
「ああ、あれね。工程が多くて面倒だから、うちでは出す気がなかったレシピよ。気にしないで」
「全力で作っていたスタードールの立場とは……」
アルベルトが一瞬固まると、雪乃はふんわりと微笑んで続ける。
「むしろ、あなたの店で出してくれる方が助かるわ。うちのお客様にも宣伝しておくから」
「……ほんと、君は君らしい。だが、そのおかげでこちらも助かっているよ」
そのやり取りを見ていた月は内心でため息をついた。
(……雪姉様は、さらっと厄介事を押しつける天才ね。まあ……私もひとのこと言えないけれど)
◆ ◆ 第一王子の来訪
アルベルトが店を出ていった直後。
またしてもドアベルが鳴る。
入ってきたのは、深いフードをかぶった一人の青年。
だが、月も花も、その正体を見間違うはずがない。
――この国の第一王子。
彼は迷いなく雪乃の席へ向かい、低い声で言った。
「店に復帰したと聞いて来た。改めて……謝罪をしたい」
雪乃はきょとんと目を瞬かせる。
「え? なんのことでしたっけ?」
「……以前、店内で口論になり迷惑をかけた件だ」
「ああ、そんなことありましたね。忘れていましたわ。あなたも忘れてくださいな」
王子は目を見開き、そして真剣な眼差しで深く頭を下げた。
「……君は優しいな。だが、謝らせてほしい。本当にすまなかった」
「や、やめてください! 本当に気にしてませんから!」
雪乃が慌てるその姿を、厨房の弥生と忍がひっそり覗き見する。
「……お嬢様、本気で忘れてましたね」
「ええ、多分ね」
二人は同時にため息を漏らした。
◆ 花の素朴な爆弾発言
カウンターでその様子を見ていた花が、月にこっそり囁く。
「月姉様、あの人だれ?」
「この国の第一王子よ」
「? なんで王子が、こんな市井のお店に?」
「……雪姉様が目当てだからよ」
花は数秒考え込み――
「じゃあ雪姉様、王妃になるの?」
「――っ!!」
月は即座に花の口を押さえた。
「気が早いわよ! 雪姉様本人は、まったく気づいてないんだから!」
花は「?」と目を丸くする。
「え? 雪姉様って……鈍感?」
「こらっ!」
月が必死に口をふさぎ、周囲を確認する。
そんな二人を見て、忍はぽそり。
「的確すぎる……」
弥生も苦笑しながら頷いた。
「ええ……雪乃様はあれで気づきませんからね」
月は二人へジト目で言い放つ。
「もう! 全員、仕事に戻る!」
だが、花が天真爛漫に笑ったおかげで、店内の空気は一層穏やかになった。
◆ 静かで騒がしい午後
スタードール店長も、第一王子も、雪乃に用があって来た。
けれど――
当の本人は、いつも通り優雅に紅茶をすすりながら、どこ吹く風。
その飄々とした態度が、また人を惹きつけていく。
こうして「雪の庭」の午後は、
王族も名店店長も巻き込みながら、甘い香りと笑顔に満ちたまま
静かに、賑やかに過ぎていくのだった。




