第88話 番外編
第88話 番外編
門外不出の七品種(雪白)
雪乃が王都から帰還して数日。
店内はようやくいつもの静けさを取り戻していた。
騒動もひと段落し、花の発明談義も落ち着き始めたころ。
カウンター越しに帳簿を整えていた弥生が、ふと思い出したように口を開いた。
「月様、雪白の件をうかがってもよろしいでしょうか」
その名を聞いた瞬間。
雪乃の肩が、ぴくりと震えた。
そして、ゆっくりと視線を逸らす。
まるで聞こえなかったかのように、窓の外を見る。
――あ、これは触れてはいけない話題だ。
店員たちが直感する。
月が、すっと雪乃の前に立った。
「……ああ、雪白ね」
代わりに答える気満々の声音だった。
「雪姉様のイメージで作られた七品種のひとつよ」
雪乃は、無言。
紅茶を口に運ぶが、明らかに不機嫌である。
クラリスがそっと尋ねる。
「七品種の中でも、特別なお茶なのですか?」
月は小さく息を吐いた。
「特別も特別。七品種の中で、最も香り高く、最も美味しいと言われているわ」
「そんなに……!」
セリーヌの目が輝く。
「でしたら、なぜ“雪の庭”でお出ししないのですか?」
忍も首をかしげる。
「希少で高価だから、でしょうか?」
月は首を横に振る。
「栽培は確かに難しい。でも在庫はある。むしろ七品種の中では一番安価かもしれない」
「え?」
四人が揃って目を丸くする。
「それなら、どうして……?」
月はちらりと雪乃を見る。
雪乃は、明後日の方向を見たまま、明らかに“答える気ゼロ”である。
仕方なく、月が説明を続けた。
「……すぐ飛ぶのよ」
「飛ぶ?」
「香りも、味も。淹れた瞬間は奇跡みたいに美味しい。けれど」
そこで月は、やや苦い顔をした。
「一口で消える」
「え?」
「二口目には、ほぼお湯」
沈黙。
そのとき、ずっと黙っていた花が、ぼそりとつぶやく。
「秒で、ただのお湯」
雪乃がテーブルを軽く叩いた。
「やめなさい!」
顔を赤くしている。
「そんな言い方しないで!」
月は冷静に補足する。
「淹れた直後の完成度は最高。香りは澄んでいて、余韻も繊細。でも保持時間が極端に短いの」
弥生が呟く。
「それは……お店では扱いづらいですね」
「ええ。提供した瞬間がピーク。会話しているうちに、ただのお湯」
月が肩をすくめる。
「別名、“怠惰な茶葉”」
「言わないで!」
雪乃が叫ぶ。
「私のイメージだなんて、納得できないのよ!」
店員四人、完全に固まる。
どうフォローすればいいのかわからない。
七品種中、最高の香り。
最高の味。
しかし持続しない。
まるで雪の結晶のように、一瞬で溶ける。
月は小さく笑った。
「だから門外不出。お店向きではないだけ」
雪白。
七品種の中で最も儚く、最も美しい茶葉。
出せないからこそ、特別。
今日も倉庫の奥で、静かに眠っているのだった。




