第87話:雪乃の帰還と天才(天災)の来襲 5
第87話:雪乃の帰還と天才(天災)の来襲 5
その日の営業が無事に終わり、「雪の庭」はいつものように静かな閉店後の空気に包まれていた。
カウンターの上には、花が持ち込んだ保温ストレージと、例の重量制御布が並んでいる。
花は自分の作品を眺めながら、ココアをちびちび飲んでいた。
その横顔は、何か新しい悪戯……もとい発明を思いついた子どものように楽しげだ。
「今、考えてるのはね――時間調整ができるストレージ」
ぽつりと花が口を開く。
「時間調整……ですか?」
弥生が首をかしげる。
花は嬉しそうに手を組んだ。
「今、広く使われてるマジックバッグって、中の時間を“止める”タイプでしょ?
花が作りたいのは、“止める”だけじゃなくて、時間を“進めたり遅くしたり”できるストレージ」
「じ、時間を進めたり……?」
クラリスがぽかんとする。
花は指を一本立てた。
「例えば、発酵。
本来なら何十時間もかかるパン生地の発酵を、ストレージの中で一気に進めちゃうの。
外では一秒、でも中では何時間も経ってる、みたいにね」
「それって――」
弥生の目が一気に輝く。
「もしかして、パネットーネの発酵時間も短くできるってことですか!?」
「うん。それが目標」
花は満足げに頷く。
「理想はね、発酵に七十二時間かかる生地でも、“一秒で完了”」
「一秒……!」
クラリスが思わず椅子から立ち上がりかける。
「そんなものができたら、どれだけ作業が楽になるか……! 現場の救世主じゃないですか!」
忍が半信半疑の顔で問う。
「そんな芸当、本当に可能なんですか?」
「もちろん」
花は当たり前のように言い切った。
「今、試作の段階。安定性の調整があと少し。
暴走すると中に入れたパンが“宇宙の彼方の黒こげ”になるから、そこだけ気を付けてる」
「こ、黒こげ宇宙は嫌ですね……」
弥生が引きつった笑みを浮かべる。
「でも、完成したら、“どんなスイーツも効率よく作れる”ようになる。
雪姉様と月姉様の仕事も、もっと楽にできるはず」
「……本当に、恐ろしい子……」
弥生は心底からのため息をついた。
花は、それを褒め言葉と受け取ったのか、満足そうにココアをもう一口飲んだ。
――そのときだった。
「花、その話、ちょっと待って!」
月が急に、ぴしっとした声で制した。
「月姉様?」
花がきょとんと顔を向ける。
月はくるっと振り返り、クラリスとセリーヌを真剣な目で見据えた。
「クラリスちゃん、セリーヌちゃん。
花の能力や、“作れるもの”について――王城に報告したりしないでね?」
「そ、そんなことしません!」
「恐れ多くてできません!」
二人はぶんぶんと首を振る。
それでも月は、さらに念を押した。
「もし情報が外に漏れたら――
うちのスイーツを、二度と差し入れしないから」
「それは困ります!」
「絶対に誰にも言いません!」
反応があまりにも早くて、逆に説得力があった。
「……やっぱり“お菓子で釣られてる”ってことなんじゃ……」
弥生が小さく呟く。
花が、さらっと爆弾を落とした。
「お菓子で買収できるなんて、チョロい人たち」
「か、買収!?」
クラリスとセリーヌが同時にむせた。
「花、その言い方はやめなさい」
月が額に手を当てる。
「クラリスちゃんたちが誤解しちゃうでしょ」
「え? だって事実でしょ?
さっきも、“スイーツが食べられなくなるのは困る”って言ってた」
「そ、それは!」
クラリスは真っ赤になって抗議する。
「だって、雪乃店長や月店長のスイーツは、ここでしか食べられない特別な味なんです!」
「そうです! 買収じゃなくて、純粋な忠誠心と胃袋の問題です!」
セリーヌも必死に乗っかる。
雪乃が、くすくす笑いながら場をなだめた。
「まぁまぁ。味方でいてくれるなら、理由なんて何でもいいじゃない」
花は肩をすくめて、にこっと笑う。
「じゃあ、これからもお菓子でよろしくね」
「その言い方をやめてくださいってば!」
弥生のツッコミが、閉店後の店内に虚しく響いた。
ひとしきり騒ぎが落ち着いた頃、花はふと思い出したように呟く。
「でも、月姉様が、花のこと心配してくれるの、ちょっと意外」
「は?」
月の動きが止まる。
「“そんなに気を付けなさい”とか、“秘密がどうこう”とか。
花、月姉様のそういうところ、嫌いじゃないよ」
「ちょっと花!」
月がじりっと詰め寄る。
「あなた、私のこと、何だと思ってるの?」
花はこてんと首を傾げて、短く答えた。
「姉」
その瞬間、月はその場にがくりと膝をついた。
「……そうだけど! そうなんだけど!!」
雪乃が苦笑しながら、そっと月の肩を叩く。
「諦めなさい、月。この子はずっとこうよ」
「わかってるわよ……。
何年、この“魔の七番目”の姉をしてると思ってるのよ……」
「なに? 花、変なこと言った?」
本気で不思議そうな顔をする花。
「変じゃないけど、破壊力がすごいのよ、あなたの一言一言は」
月は顔を押さえながら呻く。
少し離れた場所で様子を見ていた弥生と忍が、ひそひそと囁き合った。
「……姫様たちの会話って、時々竜巻みたいですね」
「穏やかに見えて、一瞬で場の空気を持っていきますからね……」
その流れで、忍がふと口を滑らせる。
「そういえば、“魔の奇数姫”って言葉、知ってます?」
「魔の……?」
クラリスとセリーヌが同時に反応した。
忍は申し訳なさそうに笑う。
「王城に仕える側の間で、こっそり囁かれている呼び名です。
第三王女様、第五王女様、第七王女様――奇数番の姫君方は、総じて“天才かつ、手に負えない”と」
「……あ」
クラリスがゆっくりと雪乃・月・花を見回す。
「なるほど……」
セリーヌも、妙に納得したように頷いた。
「じゃあ、偶数番号の姫様方は?」
クラリスが恐る恐る聞く。
「第二、第四、第六王女様は、とても穏やかですよ。
むしろ“王家のバランス担当”って、陰で呼ばれているくらいです」
「……じゃあ、その、“一番上”は?」
セリーヌが続けようとしたところで――。
「さ、明日の仕込みを始めますよ!」
弥生が慌てて話を切った。
「もう遅いですしね!」
「そ、そうですね! そろそろ帰らないと!」
忍も慌ててモップを持つ。
クラリスとセリーヌは首をかしげつつも、それ以上は深く追及しなかった。
やがて、照明が少し落とされ、閉店後の「雪の庭」に静けさが戻る。
三人の姫君――雪乃、月、花。
そして、その周りを振り回されながらも、しっかり支える店員たち。
この小さな喫茶店を中心に、まだ誰も知らない“とんでもない未来”が、静かに醸成されつつある――。
それはまるで、じっくりと時間をかけて育てられる発酵生地のように。
いずれ膨らみ、形を成し、世界を驚かせる“何か”になるのだろう。
今はまだ、閉店後の小さな一幕。
しかし、ここに集う“魔の奇数姫”たちの気配は、確かに世界のどこかを揺らし始めていた。




