64話 来訪の理由
64話 来訪の理由
夕暮れが街を深い橙色に染めるころ、「雪の庭」は営業を終え、柔らかなティーライトの灯りだけが静かに店内を照らしていた。
月姫はカウンター席に腰を下ろし、湯気を立てる紅茶をそっと口に運ぶ。
そして、ぽつりと呟いた。
「このまま、ここに就職しちゃおうかな?」
「ええっ!?」 弥生は手にしていた布巾を落としそうになった。
「いやいや、そんな冗談より……月姫様、何かご用があってこちらへ来られたのでは?」
月姫は紅茶を置き、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「もちろん、用があって来たのよ。」
弥生は胸をなでおろしつつ姿勢を正す。
「では……重要な案件で?」
「もちろん!」
自信満々の月姫に、弥生と忍は身構える。
ところが次の瞬間――。
「雪姉様に会いに来たの。」
とびきりの笑顔で言い切る月姫。
店内の時間が止まった。
「……えっ、それだけ、ですか……?」
弥生は思わず聞き返す。
月姫はきょとんとした顔で首を傾げた。
「それだけ? 雪姉様に会う以上に重要なことって、ある?」
あまりに真っ直ぐすぎる答えに、店員三名は揃って沈黙した。
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◆店員たちの困惑
クラリスが小さく苦笑する。
「……さすが月姫様。次元が違います……」
忍も額に手を当て、ため息を漏らした。
「やはり……雪姫様の妹だけはあります。価値観がそっくりだ。」
弥生はなんとか礼儀を保ちながら口を開いた。
「では……雪姫様がお戻りになるまで、こちらでお待ちくださいませ。」
「うん、そうする。待ってる間に、何か手伝えることがあったら言ってね!」
その無邪気な笑みに、店員たちはまたしても顔を見合わせた。
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◆月姫の無防備さ
ふと、忍が表情を引き締めて問いかけた。
「それより月姫様……従者や護衛はどうされたのですか?」
「いないわよ。」
その一言に、店の空気が一瞬で凍りつく。
「えっ……?」
弥生の声が裏返った。
しかし月姫は気にした様子もなく紅茶をまた一口。
「最初はね、お城の庭を散歩してただけなの。でも、急に雪姉様に会いたくなっちゃって、そのままここに来たの。」
忍と弥生は、ほぼ同時に頭を抱えた。
「え? では……本国には何も告げずに……?」
「だって、散歩に出ただけだもの。」
無邪気すぎる返答に、忍は深いため息をつく。
「……これでは本国で大騒ぎになっているのでは……」
月姫は指をくるくると回しながら、朗らかに言い放つ。
「まぁ、大丈夫よ。散歩の途中で寄り道しただけだもの。」
まるで近所のパン屋に寄る感覚で王女の外出を説明した。
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◆自由すぎる姉妹
「月姫様……それは散歩の範囲を完全に逸脱しています!」
忍が冷静を装いながらも声を荒げる。
「本国で何かあれば、私たちにも責任が及びます!」
弥生も呆れながら付け足した。
しかし月姫は悪びれもせず首を傾げる。
「そんなに大げさに考えなくてもいいじゃない。雪姉様に会いに来ただけなのに。」
その自由すぎる思考に、弥生と忍は揃って深いため息をついた。
忍は疲れ切った声でぽそりと漏らす。
「……自由すぎる。本当に……雪姫様の妹だ。」
「ええ、本当に……血のつながりを感じますね……」
弥生も遠い目をしながら頷く。
月姫は全てを楽しそうに聞き流し、ふわりと笑った。
「だって、月も雪姉様の妹だもの。自由に生きるのが……うちの家系の伝統なんじゃない?」
二人は同時に肩を落とした。
この姉妹に常識を求めるほうが間違っているのかもしれない。




