第54話 常連客としての王子
第54話 常連客としての王子
昼下がりの光がやわらかく差し込む「雪の庭」。
その扉が静かに開いたのは、午後一時を少し回った頃だった。
「今日のスイーツは何だ?」
低く抑えられた声。
黒のフード付きコートに身を包み、顔を影に隠す青年が、迷いなく“いつもの席”へ歩く。
――だが、隠せているのは顔だけであり、
滲み出る品格や立ち居振る舞いは、誰が見てもただの青年ではない。
もちろん店員たちは全員知っている。
(第一王子アルフレッド殿下、今日もお忍びで来店ね……)
だが、本人は「変装している自分は完全にバレていない」と信じて疑わないため、
みんな気を遣って“触れない”のが暗黙のルールになっていた。
弥生が丁寧な所作で紅茶を用意しながら答える。
「本日のスイーツは、フレンチクルーラーでございます」
フードの奥で、王子の表情がわずかに明るくなった。
「ほう……それは楽しみだ」
その声音は、思わず周囲を安心させるような柔らかさがあった。
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ささやき合う店員たち
セリーヌがクラリスの耳元で囁く。
「……殿下、毎日来ますわよね。変装の意味があるのかしら」
「ご本人は完全に隠せてると思ってるんでしょうね。でも、まぁ……普通に良いお客様ですし、扱いやすいと言えば扱いやすいですわ」
カウンターで紅茶を啜る雪乃は、気だるそうに言った。
「にしても、毎日なんて……何が目的なのかしら。隠す気があるのかないのか、本当に分からないわ」
「お嬢様、どうかそこは触れずにいてくださいませ……」
忍が冷静に釘を刺すと、雪乃は「はいはい」と肩をすくめて再び紅茶を口に運んだ。
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フレンチクルーラーの魅力、王子を虜にする
しばらくして、黄金色のフレンチクルーラーが、
王子の前にふわりと香りを伴って運ばれた。
グレーズの光沢は宝石のようで、リング状の生地はまるで芸術品。
一口含めば、軽やかな食感がほどける。
アルフレッドは、思わず息を呑んだ。
「……これは美しい造形だな」
フォークを入れると、生地はふわりと空気を含んだように柔らかい。
ひと噛み。
そして――表情が緩む。
「……素晴らしい。外は軽く、中はふわっと。甘さも控えめで非常に上品だ」
雪乃は涼しい顔で言った。
「当然よ。お客様に満足していただくのは私の役目だから」
「お嬢様、それを言うなら“弥生の役目”です……!」
隣で弥生が小声で突っ込み、雪乃は聞こえないふりをして紅茶をすする。
王子は静かに笑った。
「雪乃店長。君のスイーツにはいつも驚かされる。どれも発想が独創的で、完成度が非常に高い。いったいどこから着想を得ているんだ?」
雪乃はひどく淡々と答える。
「趣味よ。ただの趣味。好きで作ってるだけだもの。
商売として縛られるより、ずっと自由で楽しいわ」
その言い方があまりにも自然で、王子はしばらく彼女を見つめた。
「……なるほど。だからこの味なのだな。枠に囚われない自由さ……それが、ここでしか味わえない」
満足げに頷き、またひと口。
柔らかな笑みが店内に広がるようで、周りのお客様までつられて穏やかな表情になる。
弥生はそんな光景を見ながら、小さく呟いた。
「……本当に気付いてないんですよね。自分が王子だとバレてること」
クラリスがそっと答える。
「気付いたら気まずくて来られなくなりますから……黙っておきましょうね」
雪乃は紅茶を飲みながら、相変わらずの気だるい声で言った。
「まぁ……静かに美味しそうに食べてくれるお客様なら、誰でも歓迎よ」
その言葉に、王子がふっと微笑んだことを、雪乃は気づいていない。
――そして王子もまた、自分の素性を“誰も気付いていない”と思い込んだまま、
明日もまた「雪の庭」に足を運ぶのだろう。
静かで、緩やかで、どこか可笑しな午後のひとときだった。




