レモンの味を上書きするように
「……ぷはっ」
「……ふふっ、シちゃったね。キス」
「梨花、どうして……」
突如として口の中に感じたレモン味。
それに気づいた頃には初めてのキスは奪われており、俺はただ、幸せそうな顔をした女の子が離れるのを待ち続けた。
その結果、何度も唇は貪られ、呼吸もままならなくなり始めた頃に彼女は俺の口を解放する。
当然、俺は梨花に「どうしてこんな事を」と聞きたくて堪らなかった。
が、俺が質問し終わる前に梨花は真顔で答える。
「え? 昨日送ったでしょ? 『キスしてもいい』って。もしかして、冗談だと思ってた?」
と。
それはとても当たり前の事を言っている顔。嘘などついておらず、冗談ではなく本気でキスをした事を伺える顔。
あぁ……俺は梨花の気持ちを少し見くびっていたのかも知れない。
梨花は“イチャイチャしたい”と口にしながらも、積極的にイチャイチャを仕掛けてきた事はなかった。
イチャイチャの合図は決まって俺が出しているようなもので、そのイチャイチャタイムが始まれば時として梨花が積極的になる事はある。
だが、イチャイチャ自体を彼女自身で始めた事は今のところない。
きっとこれからも《《そういうもの》》なのだろうと、勝手に思い込んでいたらこの結果だ。
───梨花から仕掛ける事は無い。
この考えは今日、この瞬間から改めないといけない。
梨花は好きに貪欲なのだと。
その事を認識した上で梨花の質問に、俺は辿々しくも向き合うことにした。
「いや、冗談だとは思ってないけどさ……。今日のデートは、その……梨花の気持ちを知るために誘ったようなものでさ、キスするつもりは……」
「でも、私はずっとキスするつもりだったよ? 昨日の夜、大和からデートの誘いが来てから、ずーーーっと」
「うっ……」
どうやら、おれからのメッセージが今日、梨花がキスをすると決意させたようで、それを本気の目の彼女に言われると迫力が違い、思わず気圧されてしまいそうになる。
それと同時に、俺の胸の中の梨花に対する“好き”が増幅していく。
「大和は違ったの? 私とキスしたくなかった??」
「キスしたくないわけないだろ。ただ、そのキスしたい気持ちが梨花を傷つけかねないから抑えててだな」
「大丈夫だよ、大和」
「……何が大丈夫なんだよ」
梨花の目はメラメラと静かに燃えている。
口元は笑っていても目は本気で、“俺が好き”と言う気持ちを前面に押し出してくる。
そんな彼女の口から飛び出る『大丈夫』が大丈夫な予感はしなかった。
それでも梨花は言葉を紡ぎ続ける。
「私、ちゃんと大和を信じてるから。大和が私を好きで好きで堪らないって信じてるから」
まるで俺が梨花を傷つける事は無いと信じ切った表情を。
一度のみならず、二度梨花を傷つけたこの俺を、彼女は信頼した目で俺を見つめる。
そして彼女は再び“大丈夫”と口にする。
「だから、そんな大和に何されても大丈夫だよ」
俺への信頼と親愛を言葉に込めて。
そんな事をされて、抑えていろ、と言うのは無理があった。
梨花を傷つけるつもりは無いし、泣かせるつもりも無い。
かと言って、梨花に何もしたくないかと言われたらノーである。
それこそ、梨花に告白を受け入れて貰ったその時から今日に至るまで抑えていたものがいくつもある。
そのうちの一つが許されるのだから、もう抑えているのが無理という話だ。
「……いいんだな?」
「…………うん」
「手に握ってるリップも塗らせないからな?」
「十分レモン味を味わったから、もう塗らなくても平気」
「もしかしたら、乱暴してしまうかもしれないぞ?」
「大和より私の方が強いから大丈夫」
「事実すぎて何も言えないや」
意思を確かめるような質疑応答。
それは少ししつこいような、しかししないわけにはいかない事だった。
もしも、気持ちがすれ違いでもしたら大変だからだ。
けれど、実際問題、気持ちのすれ違いは無いようでむしろ彼女のしたいように俺が動かされている気がして、少し悔しかった。
少し、ほんの少しだ。
それ以上に、梨花とこうしてこんなやりとりができているのが楽しいのだ。
もっとも……今からする事は楽しいだけでは無いだろうけど。
「それじゃあ、するからな」
「……ん」
俺が合図をすると、梨花は目を閉じて唇を少しだけ前に出す。
既にリップ独特の潤い感は梨花の唇からは無くなっており、素の状態の唇に戻っている。
それでいいのだ。
梨花が口々に言っている“甘酸っぱいレモン味”も悪くは無いけれど、やはり俺は“梨花自身”を味わいたいのだ。
余す事なく、隅々まで、蕩けるように梨花を味わい尽くしたいのだ。
今度はちゃんと、不意打ちではなく正々堂々としたキスで。
そんな事を思いながら、俺は梨花の唇を上から覆うように二度目のキスをしたのだった。




