栄冠は俺には輝かない
「何というか、こう……恥ずかしいね、この姿勢……」
「言うな梨花。よく分かってる……」
背中に感じる梨花の柔らかな胸。
梨花に後ろから抱きつかれる事かどういう事か、分かっていたがやはり意識せずにはいられなかった。
それに加えて、耳元で僅かに感じる少々浅っぽい彼女の息遣いに、俺は終始緊張しっぱなしだ。
しかし、同時に梨花も俺と同じく俺に胸を押し付けているのをかなり意識しているのだろう。
肩口から覗き込む彼女の表情がほんのり赤く、それでいて妙に恥ずかしそうだった。
だが、そんな心配はすぐさま消え去る。
「えいっ!」
「ウヒャっ……!」
「えへへ、首筋とか隙だらけだよ〜」
「そりゃ、後ろから抱きつかれてるからな!」
突如、首筋に感じるくすぐったさに俺は今まで出した事に無いような声を出し、その俺の反応に梨花はとても満足そうだった。
首筋に感じたくすぐったさが、梨花の指によってなぞられた事によるものだというのは、瞬時に分かっていた。
だが、分かっていたとしても、声を抑えられるかは別問題なのである。
いや、無理でしょ。ただでさえ、背中と耳に意識が寄っているのにそこに首筋に不意打ちって……。
照れ隠しにしても、もう少しやり方を考えて欲しい……。
そんな事を考えていると、体を前傾姿勢にして首をヒョイっと前に出すと
「どう? 反撃したい?」
そう言って、俺に意思確認をしてきた。
「させてくれるならな」
させてくれるはずないよな、と、自分優位の体勢を梨花がそう簡単に譲るはずないと考えながらもダメ元でそう口にする。
その結果、
「ダメ〜〜。難しい問題ばっかり解かせた大和への罰ゲームはそう簡単に終わらせないよ〜だ!」
「なるほど、そういうことか……」
どうやら、勉強への仕返しを兼ねていたようだった。
何というか、分かりやすいというか、可愛げがあるというか……。
どこまでもストレートに感情を出してくる梨花の眩しさに、『好き』とは別のものを感じる。
とは言え、毎回毎回、休憩兼イチャイチャの度に仕返しされては先が思いやられる。
まだ《《序盤》》だというのに。
「あのなぁ、梨花。さっきのは別に難しくも何ともない、ただの基礎問題だぞ」
そう、あくまで梨花に解かせていたのはチェックテストであり、基礎問題ばかりなのだ。
もちろん、多少の捻りはあるだろうがそれでも基礎の域を出ない。
しかし、梨花はそんな俺の言葉を聞き入れる事はせず
「嘘! だってあんなに難しかったもん!!」
と、声を張る始末。
「解き終わった時は楽勝そうにしてただろうに……」
「そ、それは時には強気にならないといけない時もあると言いますか」
テストが終わった直後は自信満々で俺に答案用紙を突きつけてきた梨花と、今、背中に抱きつきながら気弱になっている梨花が果たして同一人物なのだろうか。
いや、同一人物なんだろうな。良くも悪くも、感情の起伏がハッキリしている梨花だからこそ、俺は惹かれていって、好きになったのだから。
と、こんな事を思いながら
「はいはい、分かりましたよ」
こういって話を終わらせようと試みたのだが……。
「絶対分かってない! そういう大和にはこうだ!」
「今度は何するつもりなんだ? 言っとくけど、もう首筋は効かな───」
「ふぅぅ……っ」
「〜〜〜!!?」
「お、効果抜群だ! やったね!!」
耳元に思わぬ奇襲をくらい、俺は急いで耳を庇ったが時すでに遅く、梨花はとても満足そうな笑顔を浮かべていた。
「梨花、それは……ダメだろぉ!!!」
「えー? どうして〜?」
「耳元に優しく息を吹きかけるとか……無理に決まってるだろ!!!」
「え、ちょっ……大和!!? 一体どうしたの!!!?」
背中に感じる胸の感触は問題なかった。それは彼女が後ろから抱きつく事になった時からある意味覚悟していた事だから。
首筋に指を這われた時も、まだなんとか我慢できた。これが彼女なりの反撃なんだと理解できたから。
だが、今回の耳元への息の吹きかけは訳が違っていた。あまりにも不意打ちで、そして無邪気で、悪気のない屈託のない笑顔。
急激に胸に襲いかかる衝動。その衝動は、俺の苦しさと悩みと梨花への愛が混じり合わせていき……そのまま俺は身をまかせる事にした。
手始めに、俺は首元に抱きついている梨花の腕を掴むとそのままグイッと引っ張り、顔をすぐ近くまで引き寄せる。当然、それと同時に俺の背中に梨花の全体重がかかるがそんな事は些細な事だ。
梨花に、少しだけ危機感を覚えて貰わないといけない事に比べたら。
しかし、効果は思いの外出ており
「ね、ねぇ大和? 本当にどうしたの……? 目が、怖いよ……?」
若干、怯えた声で俺の事を見つめる梨花。
きっと、初めて感じる男の怖さに怯えているのだろう。
それもまさか、彼氏である俺から味わう事になるとは思わなかったのだろう。
けれど、俺は折れるわけにはいかなかった。
「どうしたも何も、先に仕掛けてきたのは梨花だからな。文句は言わせないぞ?」
「いや、文句はないんだけど……目が、怖いよ。それに顔、近いって……」
「そりゃ、キスしたくなったからな」
「キスって……」
「嫌か?」
梨花の腕を掴んでいた手を彼女の顎に添えて、視線の逃げ場を無くす。
微かに涙ぐんではいたが、それでも強く拒絶する事はなく、そんな表情に俺は支配欲を感じぜざるを得なかった。
顔を近づけるにつれ、自然と唇にも意識が行き、その度に妙に色っぽさのある彼女の唇に釘付けになっているのだから。
そんな唇を目の前にしてキスをしたくならない方が難しい。
そして、少なからず梨花にも期待しているところがあるのだろう。でなければ、強く拒否できるはずである。
そんな彼女がゆっくりと口を開き、言葉を発する。
「嫌じゃないけど、その……レモンが……」
と。
「ん? レモン?」
「初めてのキスは、レモン味がいいなって……」
「つまり?」
「……今は、ダメ」
始めこそ、何を言っているのか分からなかったがすぐさま彼女が理想を重んじる子だというのを俺は思い出す。
昨日の今日だというのに、梨花からの積極的なアプローチに気を取られてすっかり忘れてしまっていた。
とはいえ。とはいえだ……。
俺にも、俺にも気持ちがあるのだ……。
梨花の気持ちを軽んじる訳でも、ましてや彼女を裏切るつもりなんて毛頭ない。
けれど、それでも抑えられないのだ。
「すまん、梨花。無理だわ」
「え、大和……?」
「こんだけ、煽られて我慢するなんて、俺には無理だ……」
煽られて、昂ぶったこの気持ちを梨花が目の前にいるこの状況で抑えられる自信なんて俺には無かった。
「だからすまん、梨花……」
「そうだよね……私のわがままばかり押し付ける訳にはいかないよね……」
心の声がそのまま、言葉として喉を通り、梨花へと伝わる。
梨花の大人な対応に俺は思わず、願わずにはいられなかった。
───お願いだ、どうか俺を突き飛ばしてくれ。
と。
しかし、そんな願いは虚しく
「……いいよ、シよ? 大和となら、どんな味でも大丈夫だから」
梨花は自ら顔を近づけていく。
甘く、愛おしく、切ない表情を俺に向けて。
もう、するしかないのか。
そう思っていた刹那、部屋中にけたたましいくらいの着信音が鳴り響いた。
そしてそれはすぐさま、梨花のスマホからのものだと分かる。高校野球でよく聞く事のある音楽、『栄冠は君に輝く』を着信音にしている人はそうはいない。
少なくとも、俺は梨花しか知らない。
そんな梨花は、スマホを取ると
「あ、ごめん……電話……」
申し訳なさそうに俺に「出てもいい?」と意味ありげな視線を送ってくる。
「……いいよ。急用かもしれないだろ」
「そう、だね……じゃあ、ちょっと電話してくるね……?」
俺からの承諾を得られた事で、梨花は俺の背中から離れると足早に玄関へと向かうのだった。
その直後、悲鳴のような梨花の声が聞こえたが俺にはそんな事を気にする余裕はなく、俺はただただ安堵する。
「誰だか分からないけど、梨花に電話かけてくれて助かったぁ……」
また俺は間違いを犯すところだった。
男だからというエゴに囚われて独り善がりなキス未遂に加えて、今度は欲望に負けての反撃キス未遂。
俺はどれだけ未遂を重ねれば気が済むのだろうか。
「……もう、しないように本気で気をつけよう」
二度の過ちを胸に刻んで俺は強くそう決意した。




