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第三章

 

 

ドアの閉まる音を耳にし、彼は安堵の息を洩らした。知られる訳にはいかないのだ。




「落ち着け。誰かに目撃でもされてみろ……。あの地獄耳の王のことだ。すぐに聞き付けて怒り狂うぞ」


「……やだなぁ、落ち着いてますよ。だから離してくださいよ?」




声は二つ。そして二つ目の声の主は、返答を待たずに肩を掴む手を払い除けた。




片眉がピクリと反応する。それから溜め息を吐き、払われた手で自身の髪をとかす。




「お前がどうなろうと知ったことではない。だがな、今は戦時中で途方もなく重要な時期だ。わかるよな? レイテック」




レイテックと呼ばれたのは、二つ目の声の男。不機嫌そうに手を払い除けた割に、今では満面の笑みをその顔に浮かべている。




「冷たいですねぇ、ストーンさん。そんなだから恋人出来ないんですよ?」




ニコニコしたままレイテックは向きを変える。つい先程迄の進行方向へと。




それを目にし、レイテックに続くようにストーンも歩み出す。背にしていた壁面から身を離して。




曲がり角で新参謀を見つけ殺気を放ったレイテック。その肩を引っ掴み、ストーンは壁面を背にして見つからぬようにと息を殺した。




「今は女など作るつもりはない。そんな場合ではないだろう」




彼が思いを馳せるのは戦力図。北の部隊はどうなったか。南の戦ではこういう戦術もあった……




「それに、お前は勘違いしてる」




その戦力図に、一点の曇り。それこそが悩みの種。




「おれもクイーンの件は納得いっていない。いつも通りの気まぐれだとは思うが、な」




肩を竦めてストーンは語った。レイテックを宥めるのと同時に、自分に言い聞かせるように。




「だといいんですけどね……」




歩みを進めながら、レイテックは顔半分で元来た道を振り返った。ストーン越しに見遣るのは、廊下。曲がり角。




「どうにも嫌な予感がするんですよねぇ……。ま、なるようにしかならないんですけど」




笑みは崩さないまま、レイテックは呟いた。ある種の諦めにも似た言葉を。




その肩に置かれた手は、勿論ストーンの物。追って手の主を見ると、彼は曖昧に笑っていた。




この話は終いにしよう。そう感じ取ったレイテックは、肩を下ろして同意を示す。




それから、手を払い除けた。




------




リブラティエは思考を回転させていた。先刻のストーンと同じように、曲がり角で背中を壁面にぴったりと押し付けて、耳を澄ませて。




足音が遠ざかっていくのを確認して、鼻で笑う。




「こんなところだろうとは思ったが、ね」




部屋のドアを押し開け、そのまま閉めた。部屋には入らずに忍び足で曲がり角まで辿り着いたリブラティエは、放った殺気の相手を確かめた。




「ただの一兵卒にあのような殺気が出せるものか。姿は見えなかったが、ナイトか……ビショップか」




紺の外套を翻し、リブラティエは部屋へと戻る。今度はドアから室内に身を滑り込ませた。椅子に腰掛けると、腕を組む。




「だが、ここまでは全て……。一から十まで、計画通り。後は実績を上げて、高位官にも僕が優秀であると認めさせる……」




リオン王の言ったように、疎み妬みは承知していた。先程相手が突っかかって来なかったのは、まだ時期尚早であるから。




尤もリブラティエは、いる方が便利だと直ぐに分からせるつもりでいる。




「……紅茶でも淹れるかな」




椅子から立ち上がると、リブラティエは卓上に鎮座する紅茶用の一式へと向かった。




祝杯を挙げよう。今日が旅の終わりの日であり、新たな旅の始まりなのだ。




「手に手に杯を。目に目に笑ひを。声高らかに唄ひ紡げ。祝ひの門出を送り給へ」




さながら呪文を唱えるように、音律は言霊に乗る。呟きは空気に混じり部屋に散る。音は頭に届き、香りは鼻に届き、歓声が耳に届く――










兵の士気活性化、国民の勇気付けを理由に、王は任命式を開いた。既に幾戦も戦果を挙げていた参謀の名を知らぬ民はいない。




城のテラスから国民を見下ろし、リブラティエは熱い吐息を洩らす。




数多の人間が、国民が、小さな米粒程に感じられる。




王の独断専行の任命から半年。今や周辺諸国は魔法大国ギャミックに自ら同盟や合併を望んでいた。




その原動力となったのは、リブラティエの智謀に因るところが凄まじく大きい。




 

一言で表現するならば、壮観。それ以外の何物でもない。




「どうだ? お前の士気も上がろうもんだろう」




見とれていたリブラティエの背中に掛けられたのは、ここ数ヶ月間ですっかり聞き馴染んだ声。




ゆっくり振り返ると、そこにはいつにもまして絢爛な衣装を身に纏ったリオン王の姿があった。




「兵の士気、国民の士気、そしてお前の士気……。全てがいちどきに上げられるんだ。この程度の費用と時間、惜しくも何ともない」




嬉しそうに唇を吊り上げる王に、参謀は自嘲気味に笑った。国政にも手を出しているリブラティエには、この程度の費用、の一言では済まない額なのだ。




「今日は余計なことを考えるな。たまには休め。代わりに、明日から馬車馬のように働いて貰うんだからな」


「リオン王、『また』馬車馬のように、の間違いではないですかね?」


「くくっ。違いない」




リブラティエの揚げ足取りにも笑い声で返す。負けず嫌いの彼にしては、随分と柔和。




任命式を一番楽しんでいるのはこの人だ。そうリブラティエは確信した。




微笑にそんな含意があるとは露知らず、リオン王はリブラティエを避けテラスの縁、最前線に立つ。




下からの歓声が一際大きくなると、彼は満足げに目を細めた。




「空席だった参謀の席も埋まった! 今日は歴史に新たなページが加えられた日だ!」




何百人の歓声にも負けず、矢鱈と通る声。元来リオン王の声は籠ることはしなかったが、詠唱無しで発動された魔法により、それは一層増していた。




「そして歴史は、七日ののちに新たなページを刻むだろう」




歓声がざわめきに変わる。未だ何も知らされていないのだ。国民も、兵も。その内容に目星のついていたリブラティエだけが、微かな笑みを浮かべた。




「今頃、大騒ぎしているだろう。民は混乱し、兵は武器の手入れに追われているだろうからな」




ざわめきがどよめきに変わる。勘の良い者は気付いたのだ。これから紡がれる宣言に。




「長く待たせた。全てに決着をつけよう。……剣帝国ロウズに最終宣戦布告した! 間もなく戦乱の世は終わり、世界は一つになる!」




巻き起こるのは、多大な歓声。




「身内を斬殺された者も居よう! 住まいを追われた者も居よう! 祖国を滅ぼされた者も居よう! しかしそれも今日迄だ!」




幾人か、否、幾十人もが、両手を組み空を見上げる。戦災に遭った者は数多いるのだ。




リブラティエの位置からはその様子がはっきり見える。唇を噛み締め、彼はそれを改めて思った。




「魔を地盤として、人々が手を取り合い、無骨な争いを無くし、無益な争いを無くし、真の意味での平和を為そう!」




語るのは、さながら夢物語。しかし、語るのが彼であるならば話は別なのだ。




「ロウズの民には恨まれるかも知らん。自国を侵略されるのだからな」




声が小さくなる。それは王も民も同じ。若干俯きかけた王は、しかし顔をはっきりと上げた。




「だが俺はそれでも構わない! 例え暴君と呼ばれようとも、侵略者と詰られようとも、魔法王ならぬ、魔王だと呼ばれようとも、構わない!」




魔法大国と言えど、ギャミックは建国してから歴史が浅い。しかし国力は既に世界規模であり、歴史ある剣帝国ロウズにも引けは取らない。




大国ロウズを討ち滅ぼせば、最早敵はない。世界統一も夢では、ない。




「否! 敢えて魔王の汚名を名乗ろう! それもひいては平和へと繋がるのならば!」




しっかりと前を見詰めるリオン王の姿は、さながら未来を見据えたかのように映る。自ら魔王と名乗った国王に、民は歓声で応えた。




「……満願成就の報せを祈れ、民よ。願いは糧となり、想いは力となるのだ!」




言うべきは言った。そんな面持ちでリオン王は踵を返した。




リブラティエの鼓膜を、更に大きくなった歓声が揺らす。上にいてこれなのだ。観衆の何人かは鼓膜と声帯が破れたのではないだろうかとリブラティエは心配した。




「どうだ?」




そのリブラティエに、リオン王が尋ねる。疲労は僅かにすら見受けられない。元々饒舌な人だ。演説は望むべきところなのだろうなとリブラティエは得心する。




「上出来ですよ。民も兵も心構えが出来たでしょうね。……魔王様」




笑みを浮かべ、リブラティエは王を迎え入れる。しかしリオン王は眉根を寄せた。リブラティエが的外れなことを言ったかのように。




「魔法王より魔王の方が格好良いだろう」




下から聞こえる魔王の連呼で紡がれる歓声を背に、彼は笑みを浮かべた。




「それに、俺は演説の出来を訊いたのではない。そんなもの自分で分かる。俺が訊いたのは――」




リオン王はリブラティエの寸前で足を止め、振り向いた。自分の立っていた位置を。民を見下ろせる場所を。




「ちょっと乗せただけで馬鹿騒ぎする愚者共を見てどうだ、と訊いたんだ。愉快だろ? 滑稽だろ?」




口調は酷く楽しげに。酔いしれているかのように饒舌に。




「真の平和万歳だ。全ては俺の意のままになり、全人類が俺に平伏すのだ。争いがなくなるっていうのはまぁ、オマケみたいなもんだな」




再びリブラティエを見詰めたリオン王は、笑っていた。口端を吊り上げ、目を細め、顔を歪ませながら。それは酷く……醜悪に。




「想像しただけで鳥肌が立つ。楽しいだろう? ……笑えよ、リブラティエ。愚民共に笑顔で手を振ってやれ」




魔法は勿論切ってある。歓声に掻き消され、会話は二人にしか聞こえない。外を一度振り返り手を振ると、リオン王は城内へと姿を消した。




言われた通りに笑みを浮かべ、民に手を振るリブラティエを残して。




(魔王……か。文字通りだな……)




大したことは言っていないのだ、彼は。しかし言うべきことを分かった上で彼は言っていた。まるで魔法のように心を動かし奪った。




「真の平和……か」




呟き、リブラティエも踵を返して城内へと戻る。思い返すのはリオン王の……否。魔王リオンの、らし過ぎる表情。




身震いを一つし、彼は微かに笑った。複雑に、幾重もの感情を織り混ぜて。










「あぁ、レイテックさん」




ぼうとしながら歩いていたレイテックを見止め、リブラティエは呼び止めた。不意に呼ばれた自分の名に、振り向いて彼は笑みを作る。




「何か用ですか? クイーン・リブラティエ?」




皮肉っぽく敬称をつけて呼ばれた名。小さく鼻で笑い、リブラティエは肩を並べた。




「いえ、ただ……魔王様の演説のときに姿が見えなかったもので、体調でも悪いのかと」


「そんなことは。あぁいうのは苦手でねぇ……」




笑みを苦笑いに変え、後頭部を掻いて見せる。半ば誤魔化しのようなそれに、リブラティエは目を細めた。




「そうですか。ですが……演説で魔王様が言ってた、真の平和……。必ず、実現しましょうね。……もうこれ以上、血が流れるのも戦も、見たくはありませんから」




決意めいた発言に、レイテックは目を見開いた。それから自分を戒めるように小さく笑う。




「うん……。そうだね。必ず実現しよう」




しかし再び浮かんだ笑みは、平素の冷たく無機質な笑みではなく。自分でも不思議だと言わんばかりに、曖昧な笑みだった。




それは普段浮かべている笑みとは違う、本気で曖昧な笑みを浮かべていると思わせるような物。




思慮深さから本心を見せぬ参謀が見せた、素直な決意。それに触れ、更にそれが共感出来る物だった。



その機嫌の良さから、隙を見せた一瞬。




「……そういえば、ストーンさんが言ってたんですがね……」




間隙を、リブラティエは縫った。微かに俯き、ずれる眼鏡を指で押さえた。




前髪と陽光とでレイテックにはリブラティエの瞳を窺い知ることは不可能となる。




それは故意。角度も立ち位置も全て計算ずくで、瞳から感情を読み取らせまいとした。




「戦争のない世の中になったら、村を焼く楽しみがなくなって詰まらなくなる、と言ってましたよ」




やれやれ、と肩を竦めて見せる。レイテックの片眉がぴくりと上がるのを、しかし見逃さない。




「ストイックの反動なんですかね? レイテックさんと同じように機嫌が良かったみたいで、つい口を滑らせたようで」




口調には呆れを交えて。感情の込められた呟きは聞き流されないのを彼は熟知している。




「…………」




レイテックは何も語らない。口も開かず、ただにこにことしながらリブラティエを見詰めている。




「特に子供を守ろうとする親を貫いて子もろとも殺すのがえもいわれぬ感覚なんだそうですよ。意外と趣味悪いですよね、あの人……」




大袈裟に溜め息をついて再び肩を竦めると、リブラティエは顔を普段の位置に上げた。




その顔からは何も察せず、ただ愚痴を溢しただけのように平素そのもの。




「……おや? 顔色悪いですよレイテックさん。どうかなさいました?」


「いやぁ、そんなこと。あぁ、今日の式の準備で寝不足だからかな」




それを聞いて思い出したかのように、リブラティエは両手を打った。




「今日の式は規模が大きかったですからねぇ。さぞかし大変だったでしょう?」


「まぁ……ね。疲れがどっと出てきちゃったみたいだ。少し休んでも?」


「えぇ、勿論ですよ。お疲れのところ申し訳ございません」




足を止め、右手を下腹部に。左手を腰に当て、リブラティエは優雅に一礼して見せる。




レイテックはそれをただ眺めていたが、心ここにあらず……むしろ、リブラティエに焦点が合っているのかどうかさえ怪しい。




「では失礼します」




お辞儀を終え、リブラティエは曲がり角をそそくさと曲がった。振り向いた瞬間から、愉悦と狂喜にその顔を歪ませながら。




そんなことには全く気付かない、気付けないレイテック。




彼が笑顔を常に手放さないのは弱みにつけこまれないため。防御が強いのは、隠すべき内面を封印するが如く守るため。




それを何年も続けてきた彼は、今自分が急所を晒したことにすら気付かず、矢を刺された。




魔王リオンよりも、ビショップの対の片割れ、ストーンを信頼していた。ある意味では。




それが、易々と打ち砕かれた。いとも容易く、一瞬の、刹那の内に。




真偽を問い質すことは出来ない。彼にはこれ以上傷つく勇気はない。




もしストーンが肯定したら。




そう考えるだけで身がすくむ。今、彼が望んだのは。




「……ストーン……」




真偽を明らかにすることでも、彼からの否定の言葉でもなかった。




「大罪者め」




彼は心の中で、戦友を否定した。信じ、向き合い、語り合う強さを持てなかった。







歯車は徐々に軋み出した。

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