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第四十一話 クラリスの気持ち

 


「はぁ……」


 昼休み、食堂の片隅でクラリス・ファイエットはため息をついた。

 手に持ったスプーンでスープをくるくるとかき混ぜてはいるが、それは一口もつけられてはいないし、視線もどこか遠くを見つめているようで、上の空と言った様子だった。

 そんな彼女の様子を、従者の一人であるサラは心配そうに見ていた。


「なあ、リゼット」

「なぁに? サラ」


 ぼーっとしているクラリスを気にしつつ、同じくクラリスの従者であるリゼットにサラが小声で話しかけた。


「クラリス様の様子、何かおかしくないか?」

「それは、そーだけど、はむ……」


 リゼットはマイペースに応じながらスープの野菜を口に運ぶ。


「少し前からあんな調子だ」

「でも、それまでのお仕事はちゃんとしていらしたでしょう?」


 ちらちらとクラリスの方を気にしているサラとは反対に、とくに心配している風もなくスープを飲むリゼット。 二人の態度は正反対だった。

 リゼットが言うように今はあんな状態のクラリスだが、叔父であるファイエット家現当主ケヴィンの下で仕事の手伝いをする時などはテキパキとして、今のような上の空になるような気は全く感じられなかった。

 かくいうクラリスも物思いにふけってはいるものの、公私を混ぜることなくはっきりと分けて動いているので特に問題は無かったりするのだが……。


「しかしだな、それ以外の時はだいたいあのような感じなんだぞ」


 くるくるとスープをかき混ぜて、時々思い出したかのようにそのスープを飲むクラリス。

 悲しいかな、特に飲まれもせずにかきまぜられるだけのスープはすでに冷めていて、本来のおいしさを失っていた。 が、当のクラリスは気にも留めない。


「ふぅ……」


 スープを飲んで一息ついたクラリス。 もしかしたら、また溜息かもしれない。

 そんなクラリスの頭の中には、今朝のファイエット邸での事が思い起こされていた。






 ~~~~~~






「ク~ラ~リ~ス~さ~ま~」


 日が昇り始め、暖かな光が朝を知らせてくる王都。

 そんなファイエット邸の自室にて、暖かな至福の時を堪能していたクラリスの耳にいつもの聞きなれた女の子の声が聞こえてきた。

 その声の主は早朝にもかかわらず、いや、朝だからこそ元気な声で歌うように部屋に入ってきて、迷いなくクラリスのもとに歩いてくる。


「あ~さ~で~す~よ~お~」


 その元気な少女はメイド服を身に着けているので、このファイエット邸の使用人だろうか。 しかし、その少女はノックもせずに入って来て、躊躇いなくズカズカと進んでいく。 普通の使用人ならば失礼極まりないのだが、彼女の場合は特別だ。

 しかしクラリスは、近くまでその少女が来たと感じた瞬間ぎゅっと体を縮こまらせ、自身の体を覆う暖かくて柔らかいそれを足と手で抑え込んだ。


「む~……」


 反応が無い事にむくれているのが丸わかりの呻り声を発して、その少女はまた歌いだした。

 正直に言えば、クラリスにとっては少々迷惑だ。 

 この歌が聞こえてきたという事は至福の時間は終わりだという合図だからだ。


「あ~~さ~~で~~す~~よ~~……ほあっ!!」

「ひゃあっ!?」


 さっきよりも伸びたリズムで歌うと、その少女はクラリスが潜り込んでいる掛け布団をバサッとはぎ取った。

 いきなりの事に驚いたクラリスは直後にやってきた朝の寒気に体をさらに縮こまらせる。

 布団によって温まった体を冷たい空気が襲い、体を震わせるクラリスは観念したようにベッドの上に上体を起き上らせた。

 太陽の下では黄金に見紛うほど美しいと称されたその髪は、眠る前にきちんとまとめられていたはずなのに、ベッドの中に包まっていたせいで大分ぼさぼさになっていた。


「うぅぅ……寒い……」


 季節は春を迎えて一月ほど経つが、さすがにまだ朝は寒気を感じる。

 クラリスはこの寝起きの寒さが大の苦手で、いつも早く目が覚めても布団からギリギリまで出ようとしない。 つまり二度寝が好きなのだ。


「何言ってるんですか! 十分暖かいです!」

「寒いです、寒いんです、だからあと少しだけ……」


 クラリスはそう言いながら掛布団に手を伸ばすが、すぐさまメイド少女からの反撃をくらう。


「ちぇい!」

「あイタ!」


 少女はペシッとクラリスの手を叩くと、テキパキと布団を畳む。 未練たらたらなクラリスの視線などお構いなしである。


「ほらもう、準備しなきゃいけないんですから、早く起きる!」

「は~い」


 気だるげに返事をしつつも体が外気に慣れてきたこともあり、頭の中がスッキリとしていくのを感じながら、クラリスはベッドから立ち上がる。


「あら?」


 そこで目についたのは……。


「リュシー? あなたそのたんこぶ、どうしたの?」

「あ、これ? いやぁ、あははは……」


 リュシーと呼ばれた少女は苦笑いをしながら、ツインテールのちょうど真ん中にある、面白いくらいに丸く出来上がったたんこぶを撫でた。

 リュシー・リスレ、ファイエット邸に勤めるメイドで、執事長であるフレデリクの孫。

 歳はクラリスたちの二つ下ではあるが、彼女たちとの間柄は主従関係と言うよりも、もはや友達感覚である。


「いやあ先にメリッサ様を起こしに行ったんだけど、クラリス様と違ってとっくに起きてたからさあ」

「当てつけですか……寝起きが悪くてごめんなさいねー」


 今度はクラリスがむくれたような顔をしながら、さっきまでの気だるげな雰囲気とはうって変わり、テキパキと身支度を整えていく。


「お着替え中だったもんで、手伝ったろうかな~なんて思ってたら……このザマでして、いたたた」

「もう、またメリッサに変な事して」

「変じゃないって、お手伝いだって! イヒヒヒ!」


 そんな風に談笑を楽しみながら、次にリュシーは前ポケットの中から櫛を取出し、クラリスのその美しい髪を梳かしていく。

 リュシーが丁寧にその髪に櫛を通していく感触がクラリスは好きだった。 ぼさぼさの髪を櫛が流れていくたびに、少しだけ後ろに引っ張られる感覚にクラリスは微笑む。


「あ、そう言えば」

「はい?」


 おもむろに話を振りだすリュシーに、クラリスが返事だけで応えた。


「あの人、目が覚めたんでだって?」

「あの人……ああ、リューマさんのことですか?」

「そう、そのリューマさん」


 クラリスの知るなかで、目が覚めたなどという状態にあったのは一人だけだ。

 あの事件でメリッサ救出の後、彼とその友人たちであるハワード、フランの三人が学校へと向かっていった。 その空には照明代わりとなるライトボールがいくつも上がり、クラリスはいつも見ていた学校が酷く異様なもの思えていた。

 助けてもらった手前、放っておくことができなかったが、まずは助け出したメリッサを安全な場所へ送る事を優先したのだった。


 遅れて到着した騎士団に賊を引き渡した後、すぐにファイエット邸に戻ってきたクラリスは、そこで学校にバルドアが侵入したことを伝えられた。

 クラリスはさらに、既に騎士団が学校を包囲していることと、その陣頭指揮を副団長であるガウェインがとっていることを聞いたが、それでも学校へと向かおうとし、それでも危険だとケヴィンに強く止められた。

 結局、彼らを信じて待つことになったが、翌日の報告でバルドアがついに捕まった事に喜んだのもつかの間、生徒一名が意識不明の重体だという報せに肝を冷やす事となった。

 違っていて欲しいという祈りも虚しく、それはアカホ・リューマで間違いなく、今も意識が戻っていないという事だった。

 が、実の所、ただ疲れ果てて眠っていただけなのだったが、アカホのそれまでの経緯を知らない騎士からすれば、バルドアと戦いボロボロになった生徒にしか見えないため、そのような報告となったのだ。

 そんなことを知る余地のないクラリスはすぐさまアカホのいる寮へと向かったが、面会謝絶で門前払いを受け、彼の意識が戻るまで眠れぬ夜を過ごすこととなった。

 その後、アカホの意識が戻ったことを聞いたクラリスは再び寮へと赴き、フランたちと共に彼の回復を喜んだ。

 そのおかげでようやくぐっすり眠れるようになり、このありさまである。


「スラムに入るときに一緒にいたあの人ですよね、一人だけ贅沢にもミスリルを装備してた子」

「贅沢だなんて……」


 ミスリルはその素材と製法から非常に高価であり、武勲などの多大な功績を上げ、相応の褒賞をもらわない限り、平民出の騎士にはまず手に入らない代物だ。

 それを考えればリュシーの贅沢と言う言葉も間違ってはいない。


「なかなか腕が立つようで、あのメリッサ様と戦って勝ったとか」

「ええ……」


 リュシーのその言葉に、クラリスは複雑な思いに朝から気分が沈みかかる。

 クラリスにとってはそれは、大切な妹と窮地を救ってくれた恩人がかつてそういう関係にあった事は心苦しい事実だった。


「クラリス様とも馴れ馴れしくも仲がよろしいようですし、そんなことなんでね、どういう方なのか、ちょろっと調べてきたんですよ」

「え!? そんなことってどういう事ですか!? ダメでしょうそんなこと勝手に……!?」


 沈みかかったのも束の間、驚きの報告にクラリスは思わず振り返った。


「ダメなんかじゃないですよ! クラリス様にもしものことがあったらどうすんの! 近づいてくる悪い虫を無視なんてできません!」

「しかし彼にもプライベートというものが……」

「でも、知りたいでしょ?」

「んぐ……!」


 リュシーの意地悪そうなセリフに詰まるクラリス。


(正直、知りたい……)


 心は正直だった。


「でしょー、そんなクラリス様へちょーさほーこーく」

「え!? まだ何も……!?」

「えー調査によるとですね、まず出身は遥か東の列島諸国らしいんですがぁ……、それは正直嘘っぽいんですよねー」

「そ、そう……」


 それはそうだろうとクラリスは思った。

 メリッサと再会した直後の半壊した廃墟の中で、アカホがこの世界とは異なる世界から来たという事を知ったクラリス。

 異世界から来たために加護が無く、魔法が使えず、その恩恵も授かれない。

 彼が頑なに治癒魔法を受けようとしなかったのは、これが発覚するのを恐れてのことだろう。 メリッサとの決闘だけでなく、スラム街での戦闘において彼は一度も魔法を使っていない。

 ミスリルを使用するのであれば、魔力切れによる無能化は必ず注意するべきことなのに、それを知らなかった。

 そう考えれば全てに納得がいく。


「半年くらい前からアルセムって街に居たらしいんですけど、それ以前の足取りは全く不明なんですよねー」

(多分その時にこっちの世界に来たのですね……)


 リュシーが調査報告をしながら髪を梳くのを続け、クラリスは静かに聞いた。


「家族構成も不明、いるらしいんですけどそれらしい人が見つからなかったんです」

(家族がいない……)


 クラリスはそのことに胸が締め付けられるような感覚を覚えた。 父を失った事は、思い返せば今も悲しみが溢れるほど、誘拐されたメリッサの事でも、準備が煩わしくてすぐにでも突撃したかったほどだ。


(あの人はいない人を思う気持ちは分かると……)


 クラリスはアカホの台詞を思い出す。

 それがそういう意味ならば、彼も妹が、もしかしたら彼以外の家族全員がいないのかもしれない。


(もしそうなら……どれほど辛い事でしょうか……)


 クラリスはふと思ってしまう、父もメリッサも、果ては母、フレデリク、リュシー、モーリス、この屋敷にいる皆がいなくなったのなら……。

 このあまりにも広い屋敷にただ一人で佇む自分を想像してしまう。


「……!」

「クラリス様?」


 体が震えるクラリス。

 それは寂しいよりももっと強く感じたものだった。


(怖い……多分、いいえ、私には、耐えられない……。 それなのにリューマさんは……)

「出自不明、家族不明で、今の人物像くらいしかな調べられるものはなかったんですけど、気になった事が一つあってですね」

「……え、あ、なんですか?」


 リュシーの台詞に再び沈んて行きそうだった心を引っ張り上げて平常を装い、リュシーに応えるクラリス。

 こういう時の心のバランスを取るのはクラリスにとっては朝飯前だ。 


「貴族の捨て子じゃないのは確かなんですが、なんと、あの騎士団長であるガラハッド・バリストンが保護者ということになってるんですよね。 さらにそのガラハッド氏の推薦があってクラリス様も通う騎士学校に来られたとか。 ガラハッド氏の孤児院で預かってた子でもないので、共通していることとか接点とかさっぱりで、もーほんとわかんない奴ですよあれ」

「ガラハッド団長が……」

「調べれば調べるほど奇妙ですよ、身元調査でここまで意味わかんないのに出くわしたのは初めてです。 クラリス様も気を付けてくださいね」

「え!?」


 いきなり釘を刺されたことに驚くクラリス。 自分が何かしたのだろうかと思い返すが、その記憶は見当たらなかった。


「だってそんなのがクラリス様の周りをうろちょろと……、公爵家の跡取りと言う身分なのですから甘い蜜を吸おうとたかってくるかも知れませんよ!?」

「りゅ、リューマさんはそのような方では……!?」


 クラリスがアカホの人柄からそんなことはないと反論しようとするが、リュシーは聞く耳持たずに捲し立てる。


「こんなきれいな髪にこの可愛さ、そしてこのビッグバァァン……!!」


 そしてリュシーはクラリスの後ろに抱き付くと、そのままクラリスの豊満な胸を鷲掴みにする。


「ひゃああっ!?」

「ウゴアッ!?」

「あイタ!?」


 突然の事に驚いたクラリスは頭を振り上げてしまい、その後頭部が抱き付いた状態のリュシーの小さな鼻に激突する。

 剥がれ落ちたリュシーは鼻を押さえながらベッドの上で悶絶した。


「な、何するんですか!?」

「うごおおお……は、鼻が……」


 自業自得とはこの事である。


「リュシーがいきなり掴んでくるからです!」

「うぐぅぅ……だが、しかしぃ……」


 奇跡的にも鼻血が出ずに済んだリュシーは、さっきまでその手の中にあった大きさを思い返す。


「うっそだろおい、まだ成長中かよ……くぅ……」


 自らの身体を見下ろしたリュシーは神の不平等さを嘆いた。


「りゅ、リュシー?」

「と、とにかく!」

「はい!?」


 瞬時に立ち直ったリュシーがビシッとクラリスに指をさす。


「メリッサ様を助け出すことに協力いただいたことは私も感謝してますが、それとこれとは別! クラリス様に言い寄る男なんて権力に惑わされたネズミか、そのビッグバン目当てが相場!!」

「リュシー!!」


 再びリュシーの指がビシッと向けられるが、それがクラリスの胸元に向いてる事に気付き、思わず手で覆い隠した。


「クラリス様も、ある程度気を許すのはかまいませんが、相手の事は注意してくださいよ!! メリッサ様の救出作戦に関わったのだって、ひょっとしたらクラリス様のためとか言いながら――――」

(あ……)


 リュシーのセリフにまた何かが頭の中を過ぎるクラリス。 

 真っ先に頭の中に浮かんできたのは、やはりアカホの事だった。


『クラリスがどういう思いで俺らに頼んできたのか分かんねえだろ!?』


『だから俺はクラリスを助ける、だからてめえを止める! くだらねえ企みも、そのチンケなプライドも全部ぶっ壊してやるっ!!』


 下心があったかどうかは、クラリスには分からない。 しかし、社交界でもそう言う視線が自分に向けられていることは理解していたために、男性はそういうものだと思っていた。


(でも、あの人は、そんな風には見えなかった……)


『クラリスのためだよ、お前の為になんかしてやりたかった』


(もしあったのだとしても、何だか悪い気はしない……)


 学校へ向かう事を、その身を案じて引きとめようとしたクラリスに、逆に子供をあやすかのように頭を撫でてきたアカホ。


(あの人は、私をまっすぐ見て……)


 帰らぬ妹のことを相談した時もそうだった。

 真剣に話を聞き、真っ直ぐにクラリスの目を見ながら自分も協力すると言ってくれたアカホ。 

 あの夜、頭を撫でたその手に重ねるように自分の手を頭に置くクラリス。

 あの時の手は血が滲み、痣だらけで、しかし不思議と不快だとはまったく思わなかった。

 自分の手のぬくもりと、あの時のぬくもりが重なった瞬間、クラリスは自分の顔が赤くなっていくの感じた。

 とっさに顔を抑えるクラリスにリュシーは目ざとく気付いた。


「裏ではぐっへっへなんて涎垂らしてるかも……クラリス様?」

「え? あ、いえ、これは……」

「……」


 リュシーはすぐにクラリスの顔が赤くなっていることが分かった。 なぜならすでに耳元まで真っ赤だったからだ。


「……」

「あ、その……これは……」


 リュシーの不気味な沈黙に、クラリスが懸命に言葉を絞り出そうとする。

 そんなリュシーの口元がにゅいっと歪む。


「ほ~~~ん……」

「な、なんですかその顔は……!?」


 ニヤニヤを堪えようとして無理だったリュシーの顔に思わず怯むクラリス。


「い~え~、べっつに~、そっか~、ほ~~んそっか~、クラリス様がね~……」

「りゅ、リュシー! 何が言いたいのです!?」

「いやいやいや、そういう事なのでしたら、このリュシーから言う事は何もありませんともー……」


 うふふふふ……と、遂に堪えきれず変な笑い声が漏れだすリュシーは、そそくさと後片付けをしていく。

 そんなときに部屋の扉がノックされ、男の人の声が聞こえてくる。


「クラリス、ケヴィンだ。 ちょっといいかな」

「は、はい! ……どうぞ!」


 ファイエット家の当主であり、クラリスの叔父にあたるケヴィンだ。

 彼の言葉にクラリスは、服を整えすぐに応えた。

 扉を開けたケヴィンはすぐに用件を伝えてくる。


「ああすまないな、次の休みの日だが、私と一緒にマルボルクの……って、リュシー?」

「あ、あはは、おはようございますケヴィン様」


 手に持っていた資料を見ながら入ってきたケヴィンが、何やらこそこそとしていたリュシーを見つける。

 それにクラリスは何やら顔が真っ赤だ。

 しかし、ケヴィンもこんなことはすでに慣れていたので、ああまたかとため息をつく。


「まーたクラリスにちょっかいかけたてなー?」

「いえいえいえ、そんなんじゃないですけど~……」


 リュシーは嬉しそうな顔を隠しもせずに、機を得たりとすぐさま部屋から脱出する。


「あ! ケヴィン様も朝食はまだですよね! すぐに用意しますんでそ~れでは~! にょほほほほ!!」

「え、あ~……」


 奇妙な笑い声を発しながら走り去っていくリュシーに、ケヴィンは呆然としながら見送った。

 クラリスの方は赤い顔のままリュシーが出て行ったところをむ~っとしながら見ていた。


(いったい、何をしでかしたのやら……)


 リュシーは昔からスキンシップが激しく、姪姉妹に絡んでは楽しんでいるのだ。

 2人の方もはっきりと嫌とは言わず、むしろ喜んでいる節があるの何も言わずじまいなのだ。

 しかし、今回のはちょっといつもと違う感じだと思うケヴィン。


「なんかリュシーのやつ、すごく上機嫌だけど、何かいいことあったのかい?」

「知りません!」


 つっけんどんに返すクラリスだが、それ以来頭の中には常にアカホの顔が浮かんでくるようになっていた。






 ~~~~~~






 そして現在、くるくるとスープを混ぜるクラリスへと戻ってくる。


(今日の授業は何をどこまで学んだのか、記憶にはあるけどはっきりとしない……。 身に入らないなんて、今朝のリュシーのせいで今日は大変です……)


 頭の中で午前中の事を反省するクラリス。

 メリッサを助け出した後の事後処理で、その翌日からあちこち動きまわり、そこにアカホの意識不明という凶報の心労と相まって、疲れがまだ取れていないのだ。  


(しかし、だからといって、授業に出ているのならしっかりしないと……)


 ずっと回し続けていた手を止めて、マグカップに入ったスープを口元に運ぶ。

 まだわずかに温かいスープがのど元を通り過ぎていく感触にほっと、一息つくクラリス。

 そこでふと、頭に浮かんできたことがあった。


(一時は決闘を行うというほどの間だったメリッサを、リューマさんは助けてくれた……。 それなら、もし、万が一、私が攫われたとしたら……)


 マグカップをテーブルに置くと、その手がぎゅっと強くなる。


(短い間しか知らない私でも、助けてくれるだろうか……)


 そう思いふけるクラリスの頭の中に、一つの場面が出来上がっていく。

 縄に縛られて身動きが取れず地に座り込むクラリスに、斧を振り上げて迫る盗賊風の屈強な偉丈夫。

 そして、その間に立ちはだかりクラリスを守らんとするアカホは、ボロボロになりながらも果敢に偉丈夫へと殴りかかろうとする。

 鎧が砕け、血を流しながらも果敢に挑むアカホの雄叫びが、クラリスの頭の中を埋め尽くしていく。


「う……」


 そんな妄想に息をのむクラリス。 ちょっといいと思ってしまったのだ。


 そしてその妄想はまだ続く。

 偉丈夫を倒したアカホは、クラリスの縄を解き、手を差し伸べる。


『助けに来たぞ、大丈夫かクラリス』


 さながら、囚われの姫と助けに来た勇敢な騎士のような場面。

 傷つきながらも変わらぬ笑顔で手を差し伸べる妄想の中のアカホにクラリスは……。


「……はい、リューマ…………様」


 つい、ぼーっとしながら妄想の中の自分と重なるようにそんなセリフを呟いてしまう。


 そして、カランと、食器が落ちる音がする。

 サラが、まるで時が止まったかのように固まり、手に持っていたスプーンを落としていた。

 妄想の世界に入り込んでいたクラリスは聞こえていなかったのか、いまだマグカップの中身を覗き込んでいる。


「サラー? スプーンが落ちたわよー……サラ?」


 固まったままのサラを不思議そうに見つめながら、その原因である呟きが聞こえなかったリゼットはスープを口元に運ぶ。


 そしてクラリスの方はと言うと……。


(は!? わ、私は何を考えているんですか!? いけません! いけません!!)


 頭をブンブンと振り、ようやく妄想の世界から帰って来ていた。


(ううぅ……しかし、こうまでリューマさんの事が頭から離れないなんて……)


 クラリスはファイエット家の次期当主としてその知識を学んではいるが、女性であるが故にいずれはどこかへと嫁ぐことになるか、もしくは婿養子をもらう事になるだろう。

 当主と言う立場からすれば後者の方が可能性は大きいが、相手を選ぶのは基本的に親だ。 どっちにしろクラリスは誰が来ても気にしないと、こんな年ごろからすでにそう思っていた。 

 必要なのでは相手ではなく、相手の立場なのだと。

 だから、自分からこれほどまでに思いを寄せるという事が無かったために、クラリスは初めての感情に戸惑っていた。

 しかし、今朝に見たリュシーのニヤケ面がその感情の正体を暴いてくる。


(もし、そうなのだとしたら……)


「これが……恋?」


「んぶ!? ごほっ!」

「うわっ!? り、リゼット!?」

「え!? な、なんですか!?」


 固まっていたサラに代わり、今度はリゼットがその呟きを聞いてしまう。

 そしてそのタイミングが悪かった。 そのあまりにも強烈なセリフにリゼットは噴き出して咽てしまった。

 そのリゼットの異常にようやくサラは我を取り戻し、クラリスも何事かと振り向く。


「え゛ふっ、いえ……げほ、だ、だいじょうぶで、……あ゛ふっ」

「だ、大丈夫には見えません! 誰か拭くものを!」

「そ、それより!!」


 リゼットは大丈夫だと言いながらタオルを受け取り口元を拭う。

 そして、そのままクラリスへと詰め寄っていく。


「り、リゼット!?」

「い、今! 何とおっしゃったのですか!?」

「えっ!?」


 何を言ったのか聞かれ、とっさには答えが出てこなかったクラリスだが、すぐに思い当たるものが出てくる。

 その答えが分かると、クラリスの顔はすぐに真っ赤になっていく。

 クラリスの何気なく呟いたことが二人に聞かれていたことに気付いたのだ。


「な!?」

「あら~! あらあらあら~!!」


 愕然とするサラに、目を輝かせるリゼット。

 クラリスはまだ何も言ってはいないのだが、さっきの発言とこの顔色の変化は、言葉よりも雄弁にその心の内を語っていた。


「ま、まさか……」

「え、えと、これは……」

「ア、ア……」


 サラが立ち上がり、拳を握りしめながら震えだした。 その顔はすでに鬼の形相である。


「アカホ・リューマあああああああああ!!!!」


 食堂にサラの怨嗟の叫びが轟き、またここに、アカホ・リューマに対する謂れのない噂が立ってしまうのだった。






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