第五十五話 煉獄に待つ死地に 1
第五十五話 煉獄に待つ死地に 1
少女騎士が刃をその鞘に納めたとき、既に周囲に、雑兵たちの姿はかけらひとつさえもが存在し得なかった。
夥しいほどの数を誇っていたそれらは、その悉くを白亜の騎士により斬り捨てられ、貫かれ。魔力の光に穿たれ、消滅せしめられて──この世界から、肉体を構成していた魔力ごと、霧散しきっていた。
「──こんな三下たちだけで、わたしを討ち取れるとは思わないことね」
仄かに、呼吸は荒くなっている。
しかしそれだけだ。かすり傷ひとつなく、ダメージらしいダメージを受けることもなく、いつきはその戦いにおける勝利を、やり遂げた。
無論。
それだけで終わる状況でないということを肌で感じ、理解をしながら。
その実力に違わず、己が身体的コンディションを寸分、戦闘の只中に損なうことなく、敵を殲滅しきったのである。
「わざわざ、現れたということは。わかっているのでしょう? 『ディ=クス』の眷属たちよ」
そして彼女は警戒をけっして緩めも、解きもしない。
吹き抜ける風の向こう。街道の先からゆっくりと歩を進める三つの影を、既に彼女は感知し、気付いているから。
ハート。
フィルシィ。
オルダ。
それらの名により呼び称される、三人の──三体の、世界喰らいの眷属たち。
「さすがー。気付いてたか、やっぱしー」
「──気配を、隠す気もなかったくせに」
そのひとり、最も幼い雰囲気の、それゆえの得体の知れなさを秘めた少女の姿をした眷属が言い、対するいつきもまた吐き捨てる。
三体。強敵が目の前に三体、揃っている。
そう、「三体」だ。「三体」も。しかしそれは、「三体」しかいない。
眷属の、本来の数を知るがゆえに、いつきの心身に満ちる警戒はその度合いを、彼女らの一歩がこちらへと近づくごとによりその密度を色濃く増していく。
「三体だけで討ち取れるほど、聖騎士は甘くないわよ」
「言っていろ」
陳腐は承知。先ほどの呟きと似た言い回しで、いつきは探るように挑発の声を向ける。
敵はしかし、いつきの発したそれには乗らない。自身らの優位を。いつきの意図を察しているがゆえ、そこに動揺や苛立ちを向ける必要性を、彼女たちは持ち合わせていない。
単純な、数の優位のみの話ではない。
その実力は個々においても、聖騎士のそれに、彼女の信ずるその仲間たち以上に肉薄をしている。
そして彼女たちには更に、もうひとつ、いつきが全容を知り得ぬ切り札を未だふたつ、有している。
聖騎士との直接戦闘を未だ行わず、傍観をするばかりであったハートのこと。
彼女同様に、否、彼女以上にいつきにその実体を掴ませぬままの──四人目の、こと。
対するいつきが切ることのできるカードは、自身の実力の外にあるものとしては、あまりに少ない。
それどころか、彼女には制限がある。
稼がねばならぬ、時間。
悟られてはならぬ、仲間たちの無防備。
それゆえに自身が置かれている、孤立無援のこの状況。
はっきり、今のいつきが不利でない部分のほうが、圧倒的に僅かなのだ。
これまでのどんな戦いより、──それこそ、前世における聖騎士としての大一番や、騎士としての初陣などよりその重圧は大きいものかもしれない──深く重い緊張が、いつきの背筋を硬くする。
「じゃあさー、はじめようかー。弱いものじゃない、強いものいじめを、さー」
眷属たちは明白に、優位だった。
しかしハートの言葉の直後動き出した彼女たちは、余裕を見せながらも、そこに残念なことに、侮りや油断を差し挟むことはなかった。
ひとりずつ、狩りを楽しむなどと言うことはしない。
三者が、三様に動き。三つの軌跡を描いて──たった一点、すなわちいつきへと迫る。
──来る。深く腰を落とし、いつきは己が剣に手をかける。
久遠の。
律花の、椿さんの、ホリィの顔を思い浮かべながら、迫る三つの影を彼女は睨みつける。
そう、簡単にやられるものか。打ち破ってみせる。
わたしは、聖騎士。ヴォルの魂を宿し、この世界に生まれ変わった者。
皆が戻るまで。四人で、打ち破るまで。やられるもんか──……!
* * *
なんとなく、そこに現れるものには想像がついていた。
「──とはいえ、こういうことか」
ホリィから、この鍛錬の内容を聴かされたとき。説明というにはちょっとかいつまみすぎてはいやしないかと思うような雑な説明ではあったけれど、それでも久遠の中にはすんなりと、その予想が浮かんでいた。
きっと乗り越えるべき相手として現れるのは。自分自身の理想像でないのなら、おそらくは「彼」か、「彼女」のどちらかしかないだろう、と。
久遠は久遠として、そしてクオンとして、あまりに容易に想像できたのである。
そしてその想定は、久遠自身の考えた以上に正しかった。
自身の想像の正しさを、久遠自身が想定しきれなかったほどに。
「そりゃあ、まあ。試練だもんね。特訓だもんね」
きつい相手で、当たり前。きつくなきゃ、特訓なんて言えない。やすやすと乗り越えられるようなもので、あるはずがない。だけど。
「とはいえ、こりゃきっついなぁ……」
まさか、想像の「両方」が同時に相手とは──、ね。
「どっちか片方にだって、勝ったためしがないってのに」
真っ暗だった世界が晴れて、せせらぎを望む、吹き抜けた草原に光景が変わったとき、眼前に立っていたのは、知りすぎるほどに知ったふたつの影かたち。ひと目で認識のできるその姿だった。
ひとりの、男。
ひとりの、女。
すなわち、
かつての、師父。
今の、師父。──であった、少女。
「しかもこれはリアルじゃない。私の中で美化された、絶対的なものに昇華されてしまった、ふたりだ」
つまり、ただでさえ強い本物より、更に何割増しかで強い可能性だってある。理想像って、そういうこと。
そう。目の前のふたりの騎士はきっと、それほどの存在。
白亜の鎧に身を包んだ、現在と過去の同一人物──並び立つこと自体本来はあり得ない、その組み合わせ。
「ヴォル先生」
ふたりの、聖騎士。
「いつきちゃん」
あり得ざる光景の中、ふたりは同時、やはり同時には存在するはずのないそれぞれの愛剣・永遠竜を抜き構える。
そこに、久遠へ──クオンへと向けられた瞳の光はない。あくまでこれは虚像。
久遠の中の理想をもとに、ハートの能力がそれをかたちとして、仮想敵としてつくりあげたにすぎないものだ。
理想に対し、忠実すぎるほどに忠実に。
「……オッケー。乗り越えて、やろうじゃない」
久遠もまた、両腕の『紅蓮』『赤霊』を構え、ふたりの聖騎士に相対する。
「自分の想像くらい乗り越えなきゃ、現実の先生と同格に戦うなんてこれから先、無理に決まってる」
* * *
「いやはや、すごいな、まったく」
石造りの街は、おそらくはヨーロッパの、どこかの古い町並みだろうか?
自分自身の想像が生み出したものだと理解しながら、しかし椿は明確な答えをそこに出し得なかった。
少なくとも、実体験としてやってきた憶えも、見た記憶もない場所だ。
深層意識を映し出したものだとするなら、深層がすぎる。おそらくは遥か先祖の代から刻まれた、──マンガっぽい言い方をするなら「血の記憶」とでもいうべき代物から導き出されたものなのだろう、と思う。
その街並みが、破壊されていく。
硬い石壁を盾として背中を預けながら、その破壊の雨から椿は身を隠し、敵の様子を窺っていく。
旧い、欧州の街並み。そこに展開される敵の数は、膨大だった。
「なるほどね、乗り越えるべきもの、か──自分ではあんまし、気にしてるつもりはなかったんだけどな?」
それは、いかにもな、ローブ姿の女たち。すなわち、椿の家系のルーツもまたそこに含まれる。
魔女、と呼ばれ、恐れられ、迫害されていった存在たちだった。
「悪い魔女、っつーならそれこそ、マンガすぎでしょ」
果たして何体いるんだ、まったく。
心中、ぼやきながら椿は壁としていた瓦礫から飛び出し、ひび割れた石畳を駆け抜ける。
乗り越えるべきもの。
それは、己が因縁との戦いに、ほかならなかった。
(つづく)
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