第五十二話 悪夢の先に
第五十二話 悪夢の先に
手にした剣に、既に五体満足の刃はない。
永遠竜が牙、それは既に半ばほどよりへし折れ、砕かれて──無惨に、とうに十全たり得ないその有様を晒している。
「──っ、……」
擦り切れた黒手袋の掌に、いつきは己が愛剣を握る。
その視界も、肢体も。指先までも──その手にした剣同様に彼女は満身創痍であり、ずたずたの騎士装束ごと、己が血に塗れ、染まっていた。
「所詮は、生き物とはこの程度のものか。聖騎士よ」
敵は。──その『影』は、あまりに強力で。いつきの刃は微塵ほども、その身に届かない。
それは戦いではない。
いつきは行動するより疾く、その爪に斬り裂かれ、傷を刻まれて。
いつきの攻撃は、当たらない。気まぐれのように動きを止めたその敵に当たるたび、いつきの魔力はなにもかも、霧散し無為を生み出した。
魔力を帯びた一撃は、いつきの防御をなきも同然に貫き、戦装束を薄紙のように散らし、焼き払い。
半死半生の彼女は既に、立っていることすらままならなくなりつつあった。
擦り切れたニーハイに包まれた膝が、がくがくと笑っている。
殺そうと思えば、とっくに息の根を止められたはずだ。
しかし敵はいつきにとどめをさすことなく。
玩んだ。痛めつけ、嘲笑い、ひとつ、またひとつと致命たりえぬ傷を彼女の身に刻んでいった。
打ち倒しては、いつきが起き上がるのを敢えて、待っていた。
「あ……ああああぁぁっ!!」
いつきにできることといえば、ひとつしかなかった。
退くという選択肢がない以上。
屈することを、自身に許せるはずがないからには、立ち向かうよりない。
たとえ既に勝ち目ありえぬことがわかっていようとも。全霊でぶつからずに、おれるものか。
折れた剣に、いつきは自身の魔力を収束させていく。
「──『神罰』……『黎明』……ッ……!!」
己が最大を放つべく。詠唱とともに力を極限まで、練り上げる。
「い……けええええぇぇぇっ!!」
天高く昇る、太き猛き光の柱。凄まじいまでの魔力の噴流をその手に、いつきは振り下ろす。
これが今のわたしにできる、最大の一撃。
これ以上はない。この一撃が通用しなかったら──……、
「!?」
そう。通じ、なかった。
白亜の閃光。ありったけの魔力を集めたその一撃は、すべてがその目標へと届くことなく、「弾かれて」いる。
黒き影。その敵に直撃をしたはずの、その部分から。
いともこともなげに、霧散し、分解され。その輝きを失い消失していく。
「そん、な……っ」
そうやって散っていった力は、「奪われて」いく。
敵の掲げた、左右の掌へと。
それはいつきの成し得たものより遥かに高密度に、遥かに禍々しく。遥かに暴力的に──その破壊の威力を、見せつけながら。
「あ……あぁ……」
ダメ、だ。
違い、すぎる。
絶望は、声にならなかった。絶句の中、完全消失する光の刃。対し湧き上がっていく、漆黒の殺戮の力。
聖騎士、なんかじゃない。わたしはあまりに、無力だ。あまりにも、こんなにも力の差があって。
勝てない。
勝てる、わけがない。
その瞬間、いつきはひとりの少女として、その心に恐怖を満たしていた。
放たれる、二条の黒き光。
それは彼女の放った輝きをそれぞれが遥かに超えて、交差し螺旋を描きながら、いつきへと迫る。
逃れられる、わけもない。
そうしていつきは欠片もこの世界にその身を遺すことなく、噴流に呑み込まれていった──……。
* * *
「──……っ」
その日の悪夢は、そのような自身の最期を描いたものだった。
汗だくの身をがばりと起こして、荒く息を吐く。
五体は、……ある。自身の身体を触って確かめる、自分がいる。
「なんて、こと」
汗ばんだ額に張り付いた前髪を、振り払うようにして手櫛にかき上げる。
喉が、からからだった。時計はまだ、深夜の時間にさしかかったばかり。まだ碌に、睡眠をとったとは言い難い時間しか経過をしていない。
「──情けない」
あの日。ハートの介入を受けながらも、三人目の眷属を撤退に追い込んで、早や一週間ほどが経とうとしている。
あれから幾たびか、小競り合いを重ねた。
とはいっても、現れたのは『ディ=クス』の眷属たちそのものではない。
その生み出す、雑兵たち。
いつきたちの発する魔力ほどには一点において濃密ではなくとも、大地よりの魔力を糧に生み出されたそれらが街に現れ、そのたびにいつきたち四人はその迎撃に向かわざるを得なかった。
傷つけられる人々はいない。破壊をされても、時間を置けば世界はもとに戻る。ならば放置してもいいではないか、とも思う。
だが、戦いに手段の優劣を考えぬ眷属たちである。その軍勢を放置しておけば、どのような奸計の土壌を残すやもしれない。また、こちらは戦力の最大値がたった四人なのだ──際限なく敵の数が増えるより先、僅かであるうちに叩いておかなくては、手に負えなくなってからでは遅い。
ゆえに、出現のたびに虫潰しをする必要があったのだ。
その繰り返しで、一週間が過ぎた。
いつまでこれが続くのか──あるいは、持久戦となりつつあるのかもしれない。このままでは、今まさにいつきがうなされていたように、こちらが一方的に心身共に、消耗していくばかりだ。
「──? ……ホリィ?」
こんこん、と。外から窓ガラスを叩く、音があった。
カーテンの向こう。月明かりに照らされて、擦りガラスに映る影はぼんやりと、小柄なその身体を、金髪のツーテールを浮かびあがらせている。
沈黙するその影が待っているようで、ベッド上から手を伸ばして、いつきは窓を開けてやる。
ゆっくりと、彼女はいつきの部屋へと、窓から入ってきた。
「随分、うなされていたようだな」
「──っ」
挨拶もそこそこに、開口一番、責めるでも、蔑むでもなく淡々と彼女は言った。
「……見ていたの?」
「盗み見というな。これでも地球の眷属だ。この世界の住人のことくらい、ちょっと集中すればわかる」
飲むか。見れば、たった今自販機かどこかから拝借してきたばかりなのだろう、ミネラルウォーターの、きんきんに冷えたボトルを彼女は差し出してくる。
一瞬躊躇したけれど、喉の渇きには抗えなかった。受け取り、喉を鳴らして中身を呷る。冷たい、心地よい感触が喉の奥を通り抜けて、悪夢に火照った身体を冷やしていく。
「別に恥ずべきことじゃあない。あくまで転生前の聖騎士は、転生前の話。今のお前は、今のお前なのだから」
ひとしきり飲み下して息を吐いたいつきに、ホリィは言葉を投げる。
「それに、参っているのはお前だけじゃない。みんなそうだ」
「──!」
久遠も。律花も。椿も。
皆、多かれ少なかれ、精神的な疲労を隠せなくなってきている。
少なくとも、この地球の眷属たる身にはわかる。淡々と、彼女はそういって言葉を続けていく。
「なあ、聖騎士。──そろそろ、こちらからも打って出る頃合いなのではないか?」
そして彼女は、いつきも心のどこかで考えていたその提案を、実際の言葉として発した。
「このままでは、ジリ貧だろう。違うか」
打開するには、こちらからも攻めるしかない。そう、告げて。
「ただ、同時に。打って出ればおそらく、終わる。そのこともわかっていよう」
正反対のことを、声にする。
たった今、自身の発した提案を水泡に帰すように──否定の言葉を、いつきへと伝える。
「今のままでは。打って出たところでお前たちも、この世界も終わる」
そのことは、お前もわかっているのだろう。聖騎士。
「わかっているから、実行に移せない。だから思い悩み、うなされる。違うか」
それらの言葉すべてが、いつきの図星を突いていた。
そうだ。
このままなら。
長期戦になっても。
あるいは打開すべく打って出たとしても。
自分たちにきっと、勝ち目はない。現状の戦力では、四人目の眷属とさえどこまでやれるか。
「──どうすれば」
「手はある」
それはすごく、すごく。簡単なこと。
「強くなればいい」
いつきの肩に手を載せて、ホリィは告げる。
「そのために、我がいる。お前たちを、勝たせるために」
(つづく)
(ご連絡)
当初は毎日、というように極力短いスパンでの更新を行ってきた本作品ですが、現在作者、体調を崩しておりお仕事と通院と並行しての更新となっており、一日おきくらいの更新が不可能な状況です(今回間が開いたのもこのため)。
ですので拙作「天涯孤独の、ふたりだから」(https://ncode.syosetu.com/n1860fs/)同様、次話より週一回の更新とさせていただきたいと思います。
ご了承いただけると幸いです。




