第四十三話 ハート
第四十三話 ハート
光が駆け抜けたそこには、巨大な、円筒形に刳り抜かれたかのような街の残骸たちが無言に佇む。
それは本来、いつきの放ったたった今の力が、このような市街地で用いるべき類の威力をしたものではないということ。
神の怒りを、夜明けを呼ぶ──その名与えられし聖騎士の奥義、そのひとつ。『神罰黎明』。久遠とてその存在を知っていたとはいえ、実際に戦場でそれが放たれたのを見るのははじめてだった。
「これが、聖騎士の。先生の、奥義」
なんて、威力。こんなの、世界そのものが生み出した眷属だからってひとたまりもない。
この世界全てが眠りに落ちていて、同じ時間を繰り返す状況にあって、逆にそれが功を奏した。
時が経てばまた、街の状態は光の柱が薙ぎ払う、その以前に戻っていく。さもなければ先生だってこれほどの威力を発揮するこの技を、こんな街のど真ん中で使いはしなかった、できなかっただろう。
「久遠! 警戒を解かないで!」
まだ。やっつけて、いない。
必殺の一撃を放ったその態勢のまま構えを解くことなく、いつきは頭上を見上げ声を放つ。
ばかな、あり得ない。あんな一撃を浴びて、無事な敵なんているわけが。
疑心を抱きつつ、それでも久遠もまた、彼女の睨む方向を見上げる。
「──な」
そう。師の認識は。言葉は、正しかった。
そいつはまだ、死んではいない。
ただし、完全に無事だというわけでも、けっしてない。
「ふーん。やっぱり聖騎士はすごいんだねー」
それは、幼げな印象の、銀髪の少女。その姿を得た、世界が眷属のひとり。ハートと名乗ったその個体だった。
彼女は、おそらくは利き腕なのだろう、左腕を火傷にずたずたに焼き焦がしながら、そこにひとつのグロテスクななにかを握っている。
時折蠢くそれは肉色をしていて、また時折ぱちぱちと、銀色めいた火花を周囲に散らしている。
「フィルシィをここまで、……「球根」の状態まで追い込むなんてさー」
コレ、消されてたらやばかったよー。さすがにウチらでもどうしようもなかったもんー。
間延びした口調だ。しかしそれと似合わぬ威圧感を、眠たげな眼光から重く冷然と放ちながら、彼女は宙に浮き、同胞の根源たる部位を握っている。
「やっぱり……不自然に手ごたえが浅かった……!」
久遠に撃墜され、炎と風に巻かれ落下をしてくる白銀の生首を、いつきはこれ以上ないというタイミングで光の柱に呑み込んだはずだった。それは久遠の眼から見ていても逃れようも、他者からも助けようもないくらい絶妙でかつ、その一撃は濃密で、極太に広がっていた。
だというのに、奴は。ハートは身体の一部をたしかに焼き焦がしながらも、他の部位に関しては殆ど無傷に、ぴんぴんとしている。それほどノーダメージを以て、仲間の救助に成功をしているのだ。
いったい、どんな手を使った。
速さによるものなのか。硬さなのか。あるいはフィルシィが行使したような、彼女の持つ特有の能力によるものなのか。
「──ハートちゃんっ!」
手当てを受け、眩暈を振り払うようにこめかみを叩く椿さんに肩を貸して立ち上がらせながら、頭上の眷属に向かい律花が叫ぶ。
「ハートちゃん。……ほんとにあなたは、敵なんだね」
「みたいだねー。おもしろいね、リッカちゃん」
聖騎士もすごいし、リッカちゃんもすごい。言って、やはり無邪気に、ハートは笑う。
「また、あそぼーねー。今度はちゃんと相手したげるからー。きちんと消してあげたく、なっちゃったからー」
「あ……待って! ハートちゃんっ!」
まるで子ども同士がどちらかの家で遊ぶ、その約束でもするような口調で言葉を残し、ハートは消えていく。
片手を伸ばす律花。無論それが届くことなどなく。
「ちょ……待ちなさいよッ!」
四人の騎士の頭上には、なにもない空だけが広がり、残される。
律花とは理由は違えど、そのあとを追おうとした久遠もまた間に合うことなく、跳躍のための動作はそこまでに終わる。
「先生……!」
そうしてようやく剣を下ろしたいつきを、久遠は見遣る。
肩を落とし、深々と息を吐いた彼女は静かに首を左右へ振って。
「追いきれるものではないわ。それに追えたところで、このうえ連戦する余力はわたしたちにはない」
こちらも退きましょう。今日は撃退できただけでも上出来としなければ。
疲れた表情で、いつきは三人を向いた。
* * *
そうして四人、戻ってきた焔小路家の、浴室である。
ねえ、いつきちゃん。──ひと足先に湯船に浸かり、自身の胸元へと視線を落とし俯いていた律花が、ふと口を開いた。
「ハートちゃんと話すことって、できないのかな」
「……律花?」
なんとなく、戦場をあとにしてからの彼女がなにか考え込んでいることはわかっていた。そしてその内容も、……たった今吐き出されたようなことだろうと、予測もしていた。
だから問い返した言葉ほどには実のところ、いつきの側に驚きはない。
「戦うだけじゃ、なくってさ。今日、はじめて会って、話した感じ。幼いだけの、ただの女の子だったんだ」
「……あのね、律花。それは」
「うん、わかってるよ。わかってる。あの子がそうつくられただけだってこと。その中身は今日戦ったあいつみたいに化け物じみた強さのやつだってことも」
頭では、わかってるんだ。もちろん私だって彼女とは、そんなに長い時間を話せたわけじゃないけど。
それでも、わかる。
顔を洗い、前髪をおでこの上に跳ね上げて、オールバックにして水を切りながら、律花は続ける。
「それでも、幼くつくられたのなら。違うよって言って、変えてあげることもできるんじゃないかなって」
そういう希望を、持ちたいじゃない。目と目が合うと、そう紡いだ律花は肩を竦めていつきの返事を待つ。
「律花」
予測できたロジックだったから、答えも既にある程度は決まっている。
いつきの率直な意見としては。
「無理だと、思うわ。わたしたちの中でハートと真っ先に接触したのはあなただし、気持ちは理解できるけれど。あのフィルシィからもわかるように、やっぱりわたしたちとは根本的に違う」
そう、それはゆるぎない。そこだけは絶対に、間違いなく。
これは律花自身わかっていたことだろうと思う。そのうえで敢えて、いつきにぶつけずにはおれなかった問いだ。
「あなたの気持ちはそのうち、あなた自身の心を傷つけるし、あなた自身の肉体を危機に陥れる類のものだと、わたしは思う」
この世界を護ると決めた騎士である以上、そう表明せざるを得ない。
再び俯く律花。
「そう、わたしは思う。──でも。でもね、律花」
「?」
否定は絶対条件。でもそこから先も、今はある。
それはけっして友の希望を、願望を。それらを否定することに疚しさやしのびなさを憶えたからというだけではなくて。
「今日の戦い、あなたがいなければわたしたちはみんな負けていた。殺されていた。これも間違いのないことだから。──だから絶対にするなと、そんなあなたの願いに反対する資格はわたしたちにはないわ」
「いつきちゃん……」
「それに。敵の強大さは嫌というほど今日、痛感した。真正面からただぶつかって倒すことを考えるだけではもしかしたら、足りないのかもしれない。……わたし、あざとくて、せこいから。もしかしたら律花のそういう手法が万一のとき、希望にもなりえると捨て置きたくない気持ちも、たしかにあるの」
ハートを、翻意させられたら。それは直接的に敵戦力を削ぎ、こちらの戦力を増やすことになるから。
偽悪的な言い方だといつきは自覚する。
否定しなければならない思想だと、聖騎士としての自分の冷静な部分が言っていた。だから否定をした。
でも、そうやって言い訳をすることで可能性を残したい、自分もいた。
だから自分を押し切るのに、それは必要な行為だったのである。
「律花。今日は、ありがとう」
そしてそこから先は、打算もなにもない、純粋ないつきとしての気持ちのみの込められた言葉。
「律花がいてくれて、よかった。あなたがほんとうの力を見つけて、目覚めてくれて。助けられた」
紛うことなく彼女は、世界の。
そしていつきたちの、命の恩人に違いなかったから。
(つづく)
(八月十一日追記)
次回更新は八月十二日夕方になります。




