第三十二話 レベルアップに残された時間 1
第三十二話 レベルアップに残された時間 1
──悔しい。
焔小路家の、浴場。
旧家であり、古くから土地に根差した大きな神社であるその屋敷にて檜造りで浴槽をつくられた──もちろん配管やら給湯やら、タイルやら、シャワーやら。現代化はされているが──そこは、下手な温泉旅館の大浴場ほどの広さがある。
坊主丸儲けとはよく言ったものだろう? 幼い頃からよくこの家に、神社に遊びに来ていた律花は、神主をつとめる久遠の父が、冗談のようにそう言ってからからと笑っていたのをよく覚えている。
坊主って。それ、お寺だよね。子どもの頃には気付かなかったそんなつっこみどころを、今になって思う。
「悔しい、よ」
その湯船に浸かるのは、そうやってともに育ってきた親友同士。
ぽつりと呟いた久遠の、俯いた表情は沈みきっている。
いつきとの模擬戦に三人がかりでなにもできぬまま敗れ去り。彼女からの治療を受けて。久遠が目覚めすべてを認識してからもう、二時間は経っている。
だというのに久遠も律花も、そこに纏った陰鬱な気持ちを、雰囲気を拭い去ることができずにいる。
律花は、はじめて見せられたいつきの強大さに。
久遠は、少しでも近づくことができたと思っていた、師との実力の差の、あまりの遠さにである。
なにも知らない、ド素人に毛が生えた程度にすぎない自分ですら、圧倒的にすぎたいつきの力にただただ茫然としたのだ。
かつての師であった頃の彼女を知る久遠は、その目標として鍛錬を続けてきたはずの幼なじみは果たしてその衝撃と愕然は、いかほどのものだったのだろうか。
どう予測しても、慮っても。自分程度の認識や想像力では到底足りないように思えた。
尽くせる言葉は、あるのだろうか。曖昧に頷いて、相槌のかわりとする以上が律花にはできなかった。
久遠でさえ、まったく歯が立たなかった。
律花は椿さんとふたりがかりでも、それ以下だった.
敵は、そんないつきの実力を以てしても、自身以外の戦力の助けがいる、久遠たちにより強くなって手助けをしてほしいと願うほどの化け物だという。
(──私は)
私は、どうすればいいんだろう。
どの選択肢が、正しい。ベストは見つからなくても、なにがベターなのか。
こうして力を与えられているのに、傍観者であることを選ぶなんて許されるのだろうか。
たとえ力があったとしても。それが話にならないほど儚く、弱く。どれほど鍛え上げられるかもわからないなかで、絶対に負けられない戦いに足手まといを承知で参加することもまた、果たして正しいと言えるのか。
「先生と、肩を並べて戦いたい。力になりたいのに──私はこんなに、ちっぽけで。弱くて」
律花自身、思い悩むその只中であったから。久遠の言葉に対してはやはりまた、応答はない。
できない。
ただシャワーの穂先からぽつり、ぽつりと滴る湯滴の水音だけが、ふたりの沈黙の間に入り込んでは、か細い鼓動音のように微弱なリズムを刻む。
* * *
「それで? 詳しい話を聞こうか」
誰もそこに生活を──あるいは労働を営むことのなくなった大型スーパーのフロアは、違和感に満ちた静けさに包み込まれていた。
完全に音が、ないわけではない。
場所など知らない音響操作室だか、操作盤だか。あるいはパソコンだかによって、止める者がいないかぎりは永遠に繰り返し流され続ける、控えめな音色の店内BGM。
魚売り場や、精肉売り場。強く買い物客に訴求せねばならない区画にだけ元気よく、後付けのスピーカーから溢れてくる、魚だ、肉だとアピールをするための単純な歌詞の宣伝歌。
空調の音。
所せましと並んだ陳列用冷蔵庫、冷凍庫が響かせる、その稼働音の唸りもまた途切れることはない。
そこに、椿さんの声が通った。
からからとキャスターの音を鳴らしていつきが押す、買い物カートの音を追って。ふたりぶんの足音とともに、無人のスーパーマーケットの中、たったふたりだけの買い物客のやりとりが、響く。
「──話?」
店内に倒れていた人たちは、既に眠ったその姿のまま非難させてある。店舗奥に続くバックヤードの仮眠室やら、来場客用の休憩室やら。館内に隣接した病院のベッドや待合室やら雑多にだが──いつきの魔術によって。
術式を教えてよ、と椿さんからは言われたが、説明が若干ややこしい部類の代物であったから、また今度、と断った。
そうすることによってふたりきりでの買い物へと、いつきは椿さんと一緒に洒落込んでいるわけである。……おおよそ、そのような字面に合致した華やかさなど、あったものではなかったが。
「とぼけるなよ。言ったろ、隠すなって。──まあ単純に、切り出すタイミングを測ってる、まだ時期尚早と思ってる、そんなとこだろうけどさ」
まだ、あるだろ。いろいろ。
あたしらに言ってないこと。まだ言うべきじゃないって思ってること。
「わりと、山ほどあるはずだ。そうだろ? ──なにしろあたしら三人とも、あの体たらくだったもんなぁ」
「そんな。……椿さんも律花も、騎士同士の戦いに素人同然なんです。はじめてと思えばあのくらい」
「初心者にしては、ってか。ずいぶんと戦闘中とは違うじゃん」
「あ、あれは。わたしも必死だったっていうか。見極めなきゃって、集中してて。あとになってしてるんですよ、わりと」
言いすぎたかな。言い方、まずかったかなって。自己嫌悪。
恥ずかしさに俯きながら、乳製品の売り場を歩いていく。
賞味期限のラベルは、昨日張り付けられたもので止まっている。精肉も、魚売り場の魚たちも、丸一日以上放置されていたとは思えないほど、瑞々しく、変色もしていなかった。
どうやらツィールの与えてくれた知識は、情報は誤っていなかったらしい。
「『ディ=クス』に寄生された世界は初期段階で、すべての生物が眠りに就きます。そして全ての物体はその瞬間から、同じ時間を繰り返すようになります。世界がそれ以上、成長も腐敗もしないようになってしまう」
寄生し捕食する側の『ディ=クス』が、気に入ったその状態のままにその世界を吸収していけるよう。だから肉も、魚も。時計がぐるりと一周巻き戻るように、静止した時点の状態に引き戻される。
──豚ひき肉のパックを手に疑問を呈した椿さんへと、いつきはそのように説明をした。
これ自体は隠すようなことでもなかったし、たった四人取り残されたこの状況において食料面の不安というのは解消しておくべきだと考えたからだ。
そっか。じゃあ、サバイバルな缶詰生活なんてことにはならないか。納得し、椿さんは頷いた。
「とりあえず、タイムリミットを。予測でもいいから教えてよ」
「タイムリミット?」
「ああ、そうだ」
──あたしたちに、残された時間。どれくらいの間に、あたしたちはどれほど強くなればいい。
「いつきちゃんがものすごく強くて、あたしたちがお話にならないレベルっていう現状はわかった。このままじゃ足手まといにしかならない、むしろ来るなってくらいの差だってことも」
だからこそこれは、必要な情報であり。自分のとるべき行動を決めるうえでの重要な判断材料なんだ。
「やつにこの世界を食い尽くされ、消されてしまうまでにどれくらいあと、猶予があるのか。果たしてそのタイムリミットまでにどれほど、あたしたちが強くなれるのか。その可能性がどれほどのものなのか、知るためにも」
「椿さん……」
「ま、これはりっちゃんも同じかな。くー嬢はたぶんそんなこと、思考の片隅にもないだろうけど」
悔しくて。情けなくって。
どうしたら追いつけるかってだけで、頭がいっぱいだろうね。
なまじ、あたしらよりも実力的にはいつきちゃんに近い位置に、いるからこそ。
「だから、教えて。そしていつきちゃんの意見を聞かせて」
願いでなく。希望でなく。どうすべきか、客観的な視点から。
「あたしらだって、この世界を護るために最善を尽くしたいと思うんだ。そのために、最も適した選択をしたい」
(つづく)




