第二十七話 なにもかもが眠りに落ちた朝に
第二十七話 なにもかもが眠りに落ちた朝に
朝。ふたりの間に、会話はなかった。
どちらかがどちらかに憤っている、というわけではない。ましてそれが双方向的であったわけでもない。
そういう気分にただ、なれる状況ではなかったのである。
たとえひと言も言葉を交わさなくたって、互いが互いのやりたいことを感覚的に理解できる、長い付き合いだからという面もある。
「……トワ姉たち、どうだった?」
やがて、この朝ようやく、律花がはじめての口を開いた。
おたまを片手に、みそ汁の鍋に冴えない視線を落としながら。
背中の向こう、流し台のまな板の上で、かまぼこを切っていた久遠へと。
暫し久遠は、やはり自身も己の手元に目線を沈めていて、数瞬遅れて、頭を左右に振る。力なく。覇気を発することなく。
「ダメ。──昨日と同じ。なんにも、変わってない」
情景を思い浮かべながら、無力感に満ちた声を発する。
脳裏にあるのは、暫くは極力、四人一緒に過ごそう、と言った不破さんの言葉。
そうして、皆と一緒に戻ってきた焔小路神社の光景。
姉のトワが──永遠が、境内へと倒れていた。
居間では、神主を務める父が、夫婦団欒中であったのだろう母が、食卓に突っ伏すように、ともに残されていて。
皆が、眠っていた。
死んでなどいない。外傷らしい外傷も、どこにもない。
ただ穏やかに、昏々と。一切目覚めることなく、眠り続けている。
「お姉や、父さん、母さんたちだけじゃないんだよね」
そしてそれは律花の父母も。
不破さんの、お祖母ちゃんだってそう。
街中の人たちが、一切の社会的活動を停止させ、眠りに就いている。
「たぶん、世界中ずっと。全部。携帯の、SNSだって自動投稿のbotなんか以外、昨日から誰も投稿してない。こんな状況なのに、誰からも反応がない」
目覚めているのは、久遠たち四人だけ。
あのとき、久遠も律花も意識はなく、椿さんだって重傷で。自分たちではなにも出来なかった。
「無事なのは、いつきちゃんの護ってくれた私たち、三人だけ」
白亜の騎士としての姿。聖騎士としての力を取り戻した、不破さんがいなかったら。今頃は私たちもどうなっていたか──先生がいてくれたから、どうにかなっただけだ。
久遠はその事実を、認識していた。全然まだ、あの背中には届かない。そのことが、わかってしまっている。
「いつきちゃんは?」
「……不破家の道場。朝の瞑想、したいんだって」
今度は自分が先生を護るんだ、って決めたのに。なんにもできてない。
それが悔しくて、歯痒くて。情けない。
「……椿さんは?」
「街の中、ぐるっと車で一周してくるって。変なところで眠っちゃった人がいたら、助けなくちゃいけないし」
そんな思いを抱えながら、ふたりは四人の、──この世界に今生きて、動いているすべての人数ぶんの、朝食を作る。
さしあたってふたりにできることは、そのくらいなのだから。
* * *
閉じた瞼の裏には、考えることも、思い描かねばならぬこともたくさんあった。
眠りという病に閉ざされた世界。
それをもたらしたもの。
かつて、ヴォルとクオンが暮らした世界、そのものであった存在。
それに害され、命を散らした少女。──かつての同輩。
護れた、四人。
護り切れなかった世界。
──護れなかった、わたし。
「……ああ。わかっている。わかっているよ、ツィール」
様々な情報と映像が思考の中に交差する。その只中にあって、ぽつりといつきは、──ヴォルはひとりごちる。
既に亡き、力を託していった者へと。
いや。
すべてを託していった者に、だ。
あのとき、白い光に包まれながら、いつきの中に力が宿っていったのは偏に、彼の──ううん、あおいと名乗った彼女のおかげだ。
彼女は死にゆくその身体で、渾身の魔力を練り上げ、いつきの中に眠るヴォルへとたたきつけ、そしてたたき起こし。
そして、散っていった。あとには彼女の骸すら、遺さずに。
世界のすべての人々が眠りに落ちた中で、彼女だけがただひとり、消失した。死した、という範囲すら、おそらくは超えて。
彼女は揺り起こしたヴォルへと、すべてを伝えていった。
かつて、ヴォルを殺したこと。クオンをも、殺していったこと。
そこに謝罪はなく。ただ事実のみを、その理由を。そんな必要性のみを重視したあたりが、たしかに前世の彼らしかった。……それほどまでに、彼女の生命の危機が差し迫ったものであったがゆえに省略されてしまったのかも、しれないけれど。
彼女はそんな死にゆく身で、生への未練を優先しようとはしなかった。
もしかしたら、また生まれ変われるという楽観があったのだろうか? ──いや、それはない。そんなものを当てにする性質の騎士では、彼はなかった。生まれ変わっても、彼女もまた本質としてそうであろう、と考えるのが自然だ。
彼が優先したこと。彼女が行ったこと。
いつきの力を取り戻し。その余波を以て、律花の魔力的資質を叩き起こして。当然にいつきの護るに決まっている四人を、戦力として確保した。
──そう、わたしたち四人は、戦力なのだ。
「今なら、わかるよ。ツィール。あなたがヴォルを、……以前のわたしを殺さなくちゃいけなかった理由を」
それが、『抹消者』の使命。
わたしを。偶然だったとはいえクオンを──あの世界に留めておくわけには、いかなかったんだろう。
あれが彼にできる最善だった。
今ここにある状況も、こときれていく彼女に、あのときできた最善だったのだ、と。すべてを知ったからこそわかる。
だけど。
「──だけど、ごめん。わたしは……ヴォルも、いつきも。みんなを巻き込んでほしくはなかったよ」
せっかくそろえてくれた四人なのに。
頼るに値する、信頼できる久遠たちなのに。
「戦うなら、わたしひとりでよかった。ひとりが、よかった」
無理だったということはわかっている。彼女のそうするに至った事情もすべて、把握をした今となっては。だがそれでも、思う。
「はじめから、わたしに接触してきてほしかった。わたしに賭けてほしかった」
真実を、久遠たちに伝えたくはない。
巻き込みたくなど、なかった。
この世界が、彼女たちが大切だからこそ。
久遠や律花を、自分の手で護りたかった。
手塩にかけ、愛したクオン──久遠には、この穏やかな世界で、騎士としての戦いとは無縁に、平和に一生を全うしてほしかった、と思う。
「──なんか、聞き捨てならないこと言ってるね」
そしていつから、そこにいたのだろう。
背中を向けていた、道場の扉のところに。椿さんがいつしか、佇んでいた。
言葉から察するに、いつきの呟きを耳にしてしまったのだろう──その眉を顰めて、こちらを見つめている。
「あたしたちじゃ、役者が不足してるってか。さすが、前世の聖騎士サマは言うことが違うね」
「それは──別に、そういう意味で言ったんじゃ」
彼女はサンダルを脱いで、板張りの道場に上がってくる。
わかった、わかった。落ち着け。掌を下に向け、両手を上下させるそんな身振りをして、目を伏せる。
「言ってみただけだよ。くー嬢とあんたの仲を知ればそりゃ、戦わせたくないって思うもんだよな」
自分が戦いたい、って思ってなきゃ、わざわざあたしに頭下げてまで、力を取り戻したいなんて思わないだろ。
年上の、大学生である女性は口調はがさつではあったけれど、やはり聡明な人物だった。
付き合いは律花以上に短い、まだよく知った仲にはほど遠い人だけれど──彼女だって、いつきは護りたいと思っている。
「そんで、……あたしがなにかできたわけでもなしに、力、戻ってきたんだろ」
ああ。そんな風に卑下、させたくなんてないのに。
道着の奥でちくりと痛む胸を、いつきは押さえる。けれど、その人はいつきが思うほどにはけっして、弱くなどなくって。
「けど。こうして今、あたしも起きてる。ここにいる。くー嬢や、りっちゃんのように」
あんたに護られて、の結果かもしれないけれど。それでも、眠りに就いた世界の例外でいられているのだ。
「だから、隠すのはナシだ。あたしにも、ふたりにも」
こうやって、関わって。
こうまで、状況が生まれてしまって。
「ひとりでどうこう、しようとはするな。抱え込もうとは、するな。少なくともこの世界で生まれて、育ってきた年月だけは勝っている年長者として言えるのは、それだけだ」
──そう言って、彼女は踵を返す。
久遠のこと、大切なら。偽るなよ。そう言い残しながら、立ち去っていく。
「もう朝ごはん、ふたりが作ってくれてる頃だ。四人一緒に過ごすって言いだしたのはお前なんだから、きちっとしろよな。いつきちゃん」
今のお前はもう、ヴォルじゃないんだろう。
言って、扉の向こうに曲がって、姿を消す。
「──椿、さん」
立ち上がりかけた、その姿勢で。片膝を立てて腰を浮かせたまま、彼女の姿が見えなくなるのを、いつきは見送った。
年長者からの、言葉。それをかみしめながら一度俯いた。やがて、顔をあげた。
「──……はいっ」
たしかに、年長者からの助言なら仕方ない。
それまでと打って変わって、いくぶん心が軽くなったように思えた。
これから自分たちがすべきことはきっと、とても、とても重いものになるのだろうけれど──それでも、だ。
「ありがとう」
これで決心がついた。
伝えよう。久遠に、みんなに。
この世界の今と。
これから、起こることを。
(つづく)
第二部突入です。
四人以外すべてが眠った世界で、四人が騎士としてどうしていくのか、お楽しみに。




