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第二十五話 たどり着いたそのとき、閉じる世界 3

 

 

 第二十五話 たどり着いたそのとき、閉じる世界 3

 

 

 かつての世界においてツィール「であった」少女の鎌が、ゆっくりといつきの首筋にあてがわれていく。

 ダメ、だ。どうしようも、ない。果たして前世のヴォルであったなら、今このとき、そのように諦めてしまっただろうか?

 わからない。ただ言えることは、いつきの中には既に、ここからの逆転劇などもはや見出し得ない、という感覚があったということである。

 敗北を。これからやってくる死を悟ってしまった、自分がいた。

 もしかしたら自分は魔力だけでなく、心までもをこの十七年間の少女として生まれ育まれた人生の中で、脆弱なものとしてしまったのかもしれない──。

 そんな思考はこれまでの人生をともに歩んできたすべての者に対する背信である。無論それもわかっている。だが今必要なのは力であり、今のいつきが持ち得ぬものもまた力であった。

 わたしに久遠を護る力さえあれば、久遠ひとりをこれほど痛めつけられるまで、孤独に戦わせることもなかった。

 律花を、椿さんを巻き込んだ。ふたりにも重傷を負わせてしまった──律花はこのままでは死んでしまうかもしれない。

 力を貸すと、協力したいと願ってくれたふたりをこんなにも傷つけられてなお、自分はなにもできない。

 無様で。──あまりにも、無力で。

 

「心身より先に、もはや目が死んでいるな、ヴォル。……いえ、敢えて今の名前を呼びましょうか。せめてもの餞よ。名前、たしか──……」

 

 握った掌に、久遠も、律花も応えてはくれない。離れた位置に倒れ、万が一にも妙な動きを許さぬよう黒ローブたちに取り囲まれた椿さんは、時折微かに、呻くようにいつきの名を呼ぶのがやっと。

 救援は、ない。どうみたって、詰んでいる。

 

「たしか、そう。いつき。さようなら」

 

 またね。少女はそう囁いた。

 これで、終わり。──終わりなんだ。

 

「──? なんだ?」

 

 そう。だからそれは救援ではない。

 いつきたちを救うためにどこかの誰かが為した、業ではない。

 

「莫迦な、結界が──砕ける?」

 

 あまりに変化なく、雲も動かず。そこに不自然にただあるだけだった夕焼けの空が、その一面に無数の亀裂を刻んでいく。

 硝子のように、その表皮を粉々に、砕かれていくように。

 

「まさか、そんな。これは──早すぎる」

 

 それまで動揺も一切見せず、どれほど使い魔たちを撃破されようと、ただいつきたちを追い詰めていくばかりであった黒衣の少女の表情が狼狽をありありと示す。

 

「まだ、ヴォルをぶつけるには──やつには、足りなすぎる……!」

 

 ヴォ、ル。──わたしの名前だ。

 放心しきっていたいつきは、涙の跡を頬に刻んだまま、不意に聴こえたその名に顔を上げる。

 その、瞬間である。

 すべての空に刻まれた無数の亀裂が、同時に崩壊したのは。

 その向こうには、同じ空が広がる。

 まったく等しいように見えて、しかし異なる同じ空。本来の、空が。

 同じ色の、夕日のオレンジを映した空は同時に、それまでと同じく静かだった。

 静かすぎるほどに──静まり返っていた。

 

                 *   *   *

 

「なん……だ、よ。これ、は……っ」

 

 そう。結界を突如として砕かれて。返ってきたはずの世界はやはりそこもまた、なにかがおかしかった。

 降り立ったのは同じ場所。使い魔たちに取り囲まれ、激痛に苦悶し倒れ伏しながら、どうにか持ち上げた視界に、椿はそれを見る。

 どうする。どうしたらこの場を切り抜けられる。それらの焦りに満ちていた心が一瞬、そのことを忘れてしまうほどに。そこにあった光景は、ひと目見て、おかしかったのだ。

 

「どうなってる……みんな、どうしたんだよ、これは……!」

 

 ひっそりとした静けさは、先ほどまでの結界に覆われた世界とまるきりなにも変わらない。

 そう、変わらないはずがないのに、だ。

 夕方。駅前のこの場所は人の活気に満ちていて、自動車も無数に走っていて。

 突如としてその場所に、こんな傷つききった女たちが現れたならば大騒ぎになるに決まっている。──決まっているはず、なのに。

 そこに広がるのは、静寂。そして椿は、見る。

 街路樹の、根本。

 まだ点灯をする前の、街灯の下。

 道端のそこここや、路上駐車をされた自家用車の中。

 そんなあちこちに転がる、まさにたった今そうなったばかりとさえ思しき、──倒れ眠りこける、人々の姿を。

 

「これも──これもあいつの仕業なのかよっ!」

 

 皆、傷ひとつない。しかし皆、微動だにすることなく、その場に倒れ、あるいは座り込み、寝入っている。穏やかに、あるいは無表情に。

 眠ってしまっているのだ。この街並みの中、少なくとも椿の目に映る範囲の人間たちは、皆。すべて。

 だから思わず、叫んでいた。黒の使い魔たちに阻まれ、見えぬ向こう。

 こちらからは見えずとも、襲撃者と相対しているはずの、いつきに届くように。彼女に異変が伝わるように──。

 

「いつきちゃんたちを殺して、街を眠らせて! 皆動けなくして、なにをしようとしてる! 犠牲は出さないんじゃ、なかったのかよッ!!」

 

 瞬間、椿を取り囲んでいた黒ローブの一体が弾け、霧散した。

 

「!?」

 

 そう、それはまるで、針を穿たれた風船が一瞬にしてはじけ飛ぶように、瞬時にである。

 その異変はそして、一体のみに留まることなく。

 次々、黒ローブの死神たちが弾けていく。奴らの作っていた人型の障壁が、椿の前から消えていく。

 最後の一体がそうなる瞬間、辛うじて見えた。

 黒ローブに打ち込まれる、ごく小さな魔力の弾丸を。

 極めて小さく、細いながらもそれは桁違いと言えるまでの魔力を秘めて、使い魔たちを内側から破裂させて。

 どこだ。どこから撃ってきた。必死に首を動かし、椿は探す。

 そして、気付く。

 椿たち以外動くもののない世界で、悠然とアスファルトを踏みしめてやってくる、ひとつの小柄な身体を。地面に映り伸びる、その長い長い影を。

 

「ああ、ダメダメ。こんな使い魔どもで、ボクの邪魔するために動き回るなんて。生臭くって、匂いがこの世界に移る。品質が落ちる」

 

 その影法師の持ち主が発する、──幼い声を。

 

                 *   *   *

 

「お、前……は……っ」

 

 ツィールであった少女の声が、微かに震えていた。

 それまでの余裕などどこにもない。怯えと焦りが、その悲壮な声音の中に滲み出ている。

 彼女は強かった。久遠よりも。椿さんよりも。ふたりが個々に立ち向かっても勝てなかったほどに。

 そんな彼女が怯えている。立ち向かうことを躊躇している──その相手は、幼い子ども。少年にも、少女にも見える。ゴシック・ロリータ調にまとめられたブラウスと、膝丈のズボンと。革靴と。それらを飾る豪奢なレースや、フリルや。無数の装飾に彩られた情報量の多いその着衣に身を包んだ、小学生にもなっていないようにさえ見える、幼い子ども。

 

「もう──ここに来ていたのか」

「とーぜん。キミやあの調査隊を食らって、何年になると思ってるの?」

 

 なに。いったい、なんなの。いつきは放心をしたままそれでも、茫然と両者を交互に見つめる。

 魔力のない今の自分ではわからない。あの幼い子は何者なのだ……。

 

「ああ、そっちの。ボクのこと、わかんない? ──ま、そりゃそーか。ふつうはボクのこと見られる人間なんて、その世界にいるはずないものね。いつだって見てるのに。見ないまま、一生を終えて死んでいく」

「いつだって……見ている……?」

 

 刹那。ほんの僅か、少女が指先の魔力に命じ、幼子の背後へと使い魔たちを呼びよせる。

 黒ローブに、スライム。いずれもが複数体で、四方を囲みながら。幼いその姿をした相手に襲い掛かっていく。

 そうやって迫った瞬間に、すべては撃ち貫かれ、消滅させられる。

 生きて再び地面に降り立った使い魔は、存在しなかった。

 すべてあっけなく、屠られた。

 

「な……っ」

 

 声を発したのは、いつきだった。

 驚愕をしたのはツィーネも同じだったはず。だが彼女はおそらく、ある程度その事態を予期していたのだろう。息を呑み、蒼白に戦慄をしながらも、幼きその敵を睨みつける。

 

「ま、キミにはこれ以上言葉はいらないとして。そっちのへたれちゃった子には自己紹介が必要だね。──はじめまして」

 

 睨まれながらも、意に介する素振りもなく、幼子はいつきに向かい笑う。微笑んで、告げる。

 

「ボクはキミの母なる世界。『ディ=クス』。それそのものだよ」

 

 直後、空が光った。

 オレンジ色の広大なキャンバスに輝くそれは、一番星には早すぎたし、数も多すぎた。

 空のその色を、それらの輝きが埋め尽くし、目も眩むほどの白亜の閃光に満たすほどに、膨大すぎる数の、星々の如き煌きが大地を見下ろしている。

 それは、魔力の光。──いつきも、気付く。

 しかも敵を滅するための、害為すための輝きだ──そう理解したとき、結果は既に訪れていた。

 百でもなく。千でもなく。万でもない。

 天文単位やら、無量大数などという数値や単位がかわいく見えるほどのそれら輝きは、たったひとつに向かい殺到する。

 ヴォルを殺した、少女へと。

 いつきを殺そうとした少女へと。

 その全身を寸分の狂いなく、ただの一撃たりとても外すことなく。

 彼女の身体と呼べるものすべてを、細胞ひとつひとつにいたるまでを、撃ち貫いていく。

 世界そのものに殺された。

 先刻の、黒騎士の言葉をいつきはこのとき、現実のものとして理解した。

 

 

           (つづく)

もう少しピンチが続きm(ry

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