第二十三話 たどり着いたそのとき、閉じる世界 1
第二十三話 たどり着いたそのとき、閉じる世界 1
それは忘れていた、夢だった。
あの、死した日のこと。そこに起きた悲劇と苦痛とが、あまりにも鮮明すぎて。
その濃密すぎる色に炭塗りをされて、いつしか覆い隠されてしまっていた、ほんの些細な思い出。
気を失い、幻の中に揺蕩うばかりの久遠は気付いていない。瀕死となり明晰な思考から解き放たれたがゆえに、そこに思い至ることのできた僥倖を──。
「調査団の、失踪?」
かつて、ヴォル先生とクオンがともに暮らした、丸木造りの家。
数日間、そこを留守にしていた師父は、外套を受け取るクオンへと頷き、ひどくくたびれた表情で揺り椅子にその身を沈めた。
「ああ、その消息を追っていたんだが。どうやら失踪ではなく、──残念ながら、全滅のようだったよ」
無念そうに目を伏せて、深々とため息を吐く師。
調査団──定期的に、未開の地、未踏の場所へと派遣される、騎士団員と研究魔導士たちによって構成された探検隊である。それはその土地の生物や、風土や。産出物。そして魔力の質など、調べるべき対象は多岐にわたる。当然その危険は大きなものだし、基本的にはそのことを承知の上での志願者を中心に編成をされるものではあるけれど。
王国が発展し、その民衆が生んで、育てて数を増やしていけばそれだけ食い扶持が要る。ゆえに『ディ=クス』においてそのための開拓調査は頻繁に行われていた。経過としてはあまり芳しいものではなかったそうだが。
「今回の面子には、俺の旧知がいてな」
「え」
「まあ、そこまで親しかったわけじゃない。元部下だった、という程度だよ」
だからそれは、志願者による勇気ある行為の結果ではあった。
それでも、同胞たちの中に未帰還者が生まれるというのは誰が聞いたって、気持ちのいいものではない。
「ひとりは同期の騎士。そしてもうひとりは、その連れ合いでな。優秀な魔導士であったと聞いているよ」
「──先生」
「ああ、いや。気にするな。そんな、気を遣わなくていい。残念なのは違いないし、悼む気持ちが強いのも事実だ。──だが、あいつらもその危険を承知で行ったんだからな」
あまり拘りすぎるのはかえって、彼らの誇りを傷つけることにもなろう。
力なく笑う師の言葉は、これより十数年後の久遠が聞いたならば、そんなことはないと言ってやることも出来たのであろう自制的すぎる価値観であったのだけれど。
この時点においては言った側であるヴォルにも、言われた側のクオンにもそういう騎士としての強くあらんとする部分を美徳に抱く、あまりに強固に成立した精神的風土のうえにあって醸成されているものだった。
しかしその騎士としての矜持を強く意識する、自身が聖騎士と呼ばれる存在の師父はそれでも、クオンに漏らさずにはいられなかった。
「黒の炎熱水。クオンも知っているだろう?」
「ああ、はい。私やヴォル先生が生まれるちょっと前に、えと、……ここ三十年くらいでしたっけ? 発見されたっていう。穀物油にも似て、火のつく水。どろりとして真っ黒で。発掘作業者は黒の油、なんて言う」
「そう。それ。──そいつは、水を扱う騎士の中でも特殊でね。液体を油や、あの燃える黒い水に変えるのが得意なやつだった」
──すまん、クオン。酒をくれないか。
深酒や、晩酌をするタイプではなかったヴォルがそうやって、食事に先立ってまず酒を求めるのは珍しいことだった。
そういう気分なのだろう。こんな日だ、そういうこともある……。
頷きながら、外套を暖炉のそばの洋服掛けにひっかけると、クオンは炊事場に向かい踵を返す。
「連れ合いのほうはな、話に聞いただけだが、使い魔に関する研究で魔導士たちの界隈では高い評価を得ていたらしい。……会えたら、お前もいろいろと教われたかもしれないのにな」
背中越しに、そんな呟きを聴いた。
そう、あれは遠い記憶。ずっと忘れていたこのやりとりを、なぜ私は今になって思い出したのだろう──……。
* * *
「ぐ……っ!」
なんてこった。手数が、違いすぎる。
一体、どれほどのスライムたちを撃ち抜き、凍てつかせ。その自重によって粉砕してきたろう。
椿が着地をした直後その膝を折ったのは、そうやって捌ききれぬ敵の波状攻撃により、──こちらのスライムへの撃破に乗じた、黒ローブの使い魔による背後からの斬撃に斬り裂かれた、右脚の裂傷によってであった。
倒しても倒しても、きりがない。そう思えるほど、果たして何体いるのか。何体を、倒したのか。もはや椿は数えるのをやめていた。
水によって生み出されるスライムたちは変幻自在かつ、空気中の水分を操ることによって神出鬼没に、その瞬間の見境なく不意打ちをしかけてくる。
かろうじて、同じ水を頼りとして魔力を駆使する椿だから、周囲の微細な水分の変化を感知し、対応することができた。しかし……とはいっても、紙一重である。
反撃に。打開に転じるタイミングを見いだせない。おまけに傷つき意識を失った、無防備な久遠の身を護りながらとあっては──……。
だが自身の魔力を用いて戦うなんてはじめての椿が、どうにかやりあえている。啖呵を切った手前癪だけれど、明らかにこちらが格下。なのに、だ。……ああそうとも、その理由もまた、わかっている。
相手は手練れのはずなのに。自分が戦える理由なんて、ひとつしかない。
「あんた、あたしを殺す気ないだろ……っ!」
そう。これまで放たれてきた敵の攻撃は、いずれもがこちらの急所を外している。いや、はずされている。
足を負傷し、苦悶する椿の姿があったように。
その四肢を。あるいは意識を刈り取らんとするような局所的な攻めが続くばかりだ。
狙いはこちらの殺害ではない。明確に──無力化することを、狙ってきている。
「雑魚のあたしははなっから眼中にないってか!」
「無用な犠牲は出さずに済ませたい、それだけです」
「じゃあくー嬢は必要な犠牲だってのかよッ!!」
相手に、不用意には近付けなかった。
液体を操る敵。形態変化を自在とするスライム。そしてあの、ニトログリセリンの匂い──間違いない。こいつは、「水を薬品に変えられる」。
くー嬢がやられるはずだ。爆薬やら、可燃性の油やら。水にみせかけることのできる引火物なんて、ニトログリセリンに限らずとも数え切れぬほどある。おまけにまっすぐなくー嬢のことだ、真っ向から挑んでいったに違いない。
搦め手で、起爆役を押し付けられて。相性が最悪すぎる。
「──に、したって! あんたどんだけ魔力あるんだ! 無尽蔵かよっ!」
そして敵の攻勢は、その切れ目を見せることがない。
いったいどれだけ使い魔を生み出した。
それに椿もまた、既に気付いている。ふとした瞬間を境に、周囲の空気が一変したこと。
不自然なまでに、街に人間の姿が消えてなくなってしまったこと。
おそらく今、この街にいるのは自分と、この少女と。久遠たち三人。合計、五人だけだ。たったそれだけの人数が、この街に──いや、この「街の風景へと偽装した空間に」、閉じ込められている。
──結界だ。しかも、とんでもなくバカでかい。
それを設置し、維持しながら。大量の使い魔を駆使し、手加減まで気を配りつつ、椿と渡り合っているのだ。
どうする。どうやれば、こいつを撃退できる。
倒せるなどとは、既に思ってはいなかった。どうにか律花たちと合流を果たして。この場を脱出さえできればいい。さもなくば久遠の治療すら、椿にはしてやれない。
これが、『抹消者』とかいうやつの実力ってわけか。牽制の弾丸を撃ち放ちながら。椿は糸口を見つけんと、必死の思考を巡らせていく。
* * *
「──ツィール?」
必死だった。死に物狂いでなければ、いつやられたっておかしくなかった。
だからこそ徐々に近づいてくることを認識しながら、年下の少女たちがすぐそこに姿を見せるその瞬間まで、椿はそれにかまけることができなかった。
結果的にそれが奇襲になれば、という淡い期待もあった。
「──ツィール、なのか。ツィール……ツィール=ラスト・ブラディアン」
男じみた口調で発せられる、少女の声。それは椿の意図に沿うように、不意の時、戦場に投げかけられる。
その声が呼んだ名に、黒衣の襲撃者がぴたりとその動きを止めて、振り返る。
うず高く積み上がった瓦礫の上。
唯一、この戦いにおいて椿が自分のしたいことを為し、そうしようとした方向に敵を誘導できたと胸を張れる成果として、大地に横たえた久遠から少しずつ、戦域を離していった──それゆえ力尽きた騎士の保護に成功した少女たちが、そこに並び立つ。
久遠の背中と、膝裏とを姫君や愛娘に対しそうするように抱きかかえた、長身の少女。
その表情が愕然と、動きを止めた襲撃者を見る。
細く流した目線で、三つ編みの少女は、……襲撃者はいつきの困惑し、茫然としたその表情を見遣る。
「──久しいな、ヴォル」
前髪をかきあげ、死神鎌を杖として天を仰ぎながら、彼女もまたやはり、いつきに対しそれまでと異なる口調を、当然のように返す。
もはやその変化は、豹変と言っていい。
「そう、その通りだ。初見で、よくわかったな」
そして、宣言をする。
殺害宣告、ではない。
それは過去の表明。
殺害をした、宣告──その、明示。
「世界に殺され、お前を殺した騎士。ツィール=ラスト・ブラディアン。それがわたしの前世だよ、ヴォル=アンク・リーベライト……!」
(つづく)
毎夜更新、再開です。よろしくお願いいたします。




