第二十一話 少女たちの「手遅れ」 3
第二十一話 少女たちの「手遅れ」 3
不吉な感覚を、抱かなかったわけではない。
なのにそれから目を逸らしたのは、──自分自身、己の内なる警鐘に気付き得なかったのはその爆発が、空に舞う煙という光景が、現実の災害として起こり得るものとして生々しく、今を生きる少女としてのいつきの目には焼き付いたからである。
立ち昇る黒き煙は遠く、にもかかわらずあまりにくっきりと空に色濃く、また太く。絶えることなくその色を広げ続けていて。
それが不安を人の心理に、煽らぬはずがない。
かつてならいざしらず、未熟な少女としてのいつきはきっと、それに呑まれていたのだと思う。
体力的に劣る、遅れがちないつきを気にするように、時折こちらを振り返りながら前方を走る律花がやはり、緊張と不安に満ちた表情をしているように。
かつての生で成熟した騎士であったいつきだって、今の身分は変わらない。そのメンタリティは少女のものでしかないのだから。
あの爆発の下に、久遠がいる。その心配は戦いによるもの以上に、いつきにも律花にも、友が爆発によりいかなる損害をこうむったのか、その安否によるところが大きかったはずである。
「──久遠……!」
いったい、なにが起こっているのだろう。
あんな爆発。あんなにも濛々と、果てることなく立ち昇り続ける黒煙。前世でだって見たことがない。
久遠。どうしているだろう。どうか、無事で。
戦いにおいて、騎士としての実力はもはや、久遠のそれはいつきにどうこう口出しできるようなものではない、信頼できるものだと理解している。
冷静に、確実を期して戦えばよほどの相手にだって負けはしない。戦えない今の自分とは大違いだ。そう思っている。
だけれどもしも、あの爆発に巻き込まれていたら。
人間の限界に対する災害の残酷さを、この情報流通の発達した現代社会に生まれ落ちたからこそ、いつきはかつての騎士の身では理解し得なかったレベルに認知している。
ゆえに膨れ上がっていく不安を、叫び出したいほどの心配をもてあます。
「お願い……久遠……!」
ああ。お願い。無事でいて。
そんな現代世界の人間であるが故の不安を脳裏に増幅していくのは、久遠をいとし子と想うかつての師父としての、養女に対する感情だった。
あの子を護らなくては。護れない。護る力は今の自分にはない。
どうか、無事で。できるのはそう祈ることだけ。
椿さんは既に騎士への変身を遂げ、先行した。どうか、助けて。間に合って。
今、この世界で久遠を助けられるのは、あなただけなのだから──……。
* * *
爆発の余波は、けっして収まることなく。
そこかしこに、自らが生み出した魔力の産物たりえぬそれら残り火が揺らめく、瓦礫の大地の中、少女は倒れ伏す。
「今ので死んでしまわなかったとは、意外にしぶといわね。再び生まれてきてしまった者よ」
敵の。
回りくどい口調が、かすれ切った意識の中に響く。
「しかも。腕の一本くらいは消し炭にできるかと思ったけれど。五体満足とはね」
凄まじいまでの爆発は、久遠を中心にしてアスファルトを抉り取っていた。
それは刳り抜かれたような、まさに隕石痕の如きクレーターを大地に抉り穿ち、刻む。
電柱はへし折れ、塀は砕け、吹き飛び。瓦礫と化した周囲の建物たちが、その惨状を晒す。
その爆心地と言える場所に、既に久遠は立ってはいない。
立ち上がっていられようはずも、なかった。
「被害を最小限に食い止めながら、よくやる」
身体の中の魔力が、ほぼもはや、空っぽに等しかった。
一般人を、他人を巻き込んではならない。犠牲者をだすわけにはいかない。騎士として染みついたその思考が無意識に、爆発の規模を抑え込ませた。
ゆえの、これほどまでにきれいな球形の破壊痕。刳り抜かれ、穿たれたようにぱっくりと刻まれた、爆発の残滓。
咄嗟に久遠は、魔力のかぎりに周囲を庇った。
爆炎に灼かれながら、爆発の直撃を浴びながら。結界の中に爆発を押し込めた。散弾のように飛び交い自身をずたずたに切り裂いていく夥しいまでの破片たちを受けながら、ありったけをつぎこんだ。それでも建造物への被害をゼロにすることはできなかった。人的被害だけはおそらく出してはいないと思うけれど──。
「……っ、……あ……、……ぁ」
しかし代償はあまりに、あまりに大きかった。
既にどこの誰が彼女の惨状を見たとしても、そこに欠片ほども戦闘力と呼べるものが残っているなどとは、思いもしないだろう。
「だが愚かで、無様ね。炎を使うお前が、爆炎によってそれほどにずたぼろになるなんて」
お前はもっと自分を護るべきだった。私に討たれることを拒みたいのならば。死神鎌の少女は冷然と告げる。
その声が、──ひどく、遠い。
身体が、動かない。指一本、動かせない。受けたダメージによって起こる痙攣と、辛うじて繋いだ呼吸とに、身が震えるだけ。
なにが五体満足なものか。
そこにあるだけ。力が入らない、動かせない──……。
「う……、っ、く……」
呻きを漏らすのが、やっと。打ち捨てられたように地面に倒れたまま。傷だらけの身体を微動だに、できない。
焼け焦げ、ずたずたに破れ引きちぎれた紅の騎士装束も。
火傷と、飛び散る破片に着衣同様切り刻まれた血まみれの身体も。
等しく襤褸雑巾のように──ただそこに横たわる。
構造材の巨大な破片が切り裂いていった脇腹から、未だ塞がることのない傷口がぱっくりと開いて、出血をアスファルトの残骸の大地へと滲み染み込ませていく。
動かなきゃ。戦わ、なきゃ。朦朧と、消え入りそうな意識の中、起き上がるべく、激痛にさいなまれる傷だらけの身体を叱咤する。
「どうやら、もうほんとうに力は残っていないみたいね。この間の自爆技も、使えないでしょう」
「うあ……っ……」
だが身体は、久遠の思い通りにはならない。不意、発せられた声。その持ち主たる、襲撃者のなすがままに、されるばかり。
少女は指を鳴らした。生き残りの黒ローブが乱暴に、自力ではけっして持ち上がることのなかった久遠の両腕を掴み上げ、無理矢理にその身を引き起こす。
「──、っ。うあぁ……、あ! ぁ、ぁ……」
塞がらぬ腹部の傷口を。その筋方向を不自然に、強引に引っ張られ、広げられて。一層激しく鮮血が溢れ出る。滴り流れ落ちたその紅によって、ずたずたの白スカートが、赤黒く染まっていく。
苛み続ける激痛は、ボロボロの紅騎士をより深く抉り、苦悶させ。なすすべのない彼女の両腕は無防備に、そのほどけたポニーの赤毛の裏側で、頭の後ろで無理矢理に捻じり上げられて、組み拘束される。
ダメ、だ。このまま、じゃあ。
魔力が──ない。止血、すら。できない。
脳裏に思うその絶望すら、もはや呂律が回らなくなりつつあった。朦朧から消失に、意識が霧散していこうとしている。
砕け壊れ、辛うじて最後の留め金にひっかかって生き残っていたずたずたのケープの残骸が、力尽きたようにひらり舞い落ちた。
露出した彼女の腕も。胸元も──傷だらけで、無事と呼べるところを探すほうが難しかった。
「──おわりね、紅の騎士よ」
更に少女は、なにかの呪文を詠唱し、呟く。
呼応するように、ひしゃげ折れ、ちろちろと汚水を垂れ流すばかりだった排水管の瓦礫から、新たなスライムが二匹、三匹と這い出してくる。
──そうしてされる行為に、もはや久遠は声すら発せなかった。
少女の指令を受け、スライムたちはその形態を変化させていく。
細く、長く。それはさながら水の荒縄──否、触手。
根元を大地に残したまま、それらは久遠の四肢に絡みつき、巻きついて。
久遠を、空中に吊り上げていく。
ぽたり、ぽたりと、いくつもの血の雨を滴らせながら。半死半生の騎士は磔にされてゆく。
「これよりお前を、処刑する」
二体の黒ローブ──その執行人たちを従えて。少女は宣告する。
なにかを言おうとした久遠の唇が微かに動いて、しかし果たすことなく、僅かな息吹を漏らすに終わり。
そしてほんの微細に開かれていた久遠の瞼が、やがて落ちる。
ことりと、首を傾け。乱れた髪を揺らして。久遠はそこに意識を失った。
触手に拘束された四肢のどこにも、もはやひとかけらほどにも力はなく。振り払おうとする動作すら、ない。できようはずもない。
彼女が自身によってこの処刑の有様を脱する可能性は、尽きた。
その身を斬り裂き、灼き焦がしていった満身創痍のままに。もはやなすすべもなく。
焔小路 久遠は、力尽きたのである。
(つづく)
機材トラブルのため本日の更新です。次話も同時更新になります。




