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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編

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20/34

二十、療養

 父がいて、母がいて、兄がいて。その輪の中には私もいる――

 特別なことなんて何もない、ただそれだけの夢だった。けれど皆が幸せそうに笑っていて、そこに居る桜子も幸せに満たされていた。夢の中でしか叶わない願い。それが目の前に広がっているのに……。


 緩やかに覚醒した桜子は、夢の内容を思い起こす。

(父がいて、母がいて、兄がいて……その輪の中には私もいた。幸せな夢を見ていたはずなのに、物足りないような気がしていた……) 

 もう、それだけでは足りないのかもしれない。では何が足りない?

「あの人にも、いてほしかった……?」

 発した声は驚くほどかすれていた。まさかという驚きを噛みしめる間もなく喉の痛みに咳こむと、顔をしかめながら瞼を開ける。

 煙にまかれると、あんなにも苦しいことを知った。むしろ知らなかったからこそ、無謀な行動をとれたとも言える。

 炎は想像よりも苛烈で、煙は容赦なく襲う。熱くて苦しかった。けれど助けに入ったことを後悔してはいない。それで負った傷があるなら名誉の負傷と覚悟を決めていたが、酷い痛みはないようだ。

 コンコン――

 扉が二度、叩かれる。

「桜子、入るぞ」

 あの夜――初めてこの家に来た日以来、無月は律義にも入室の許可を求めてくれるようになった。

「目覚めた気配を感じてな」

「よくお分かりで」

「俺を誰だと? 漠は睡眠、夢の気配には敏いんだよ」

「納得したわ。だから私が起きていると、いつでも分かってしまうのね」

「すぐ傍にいるお前の気配を悟るのは造作もない」

 無月は小さなお盆を手にしていて、そこには小さめの土鍋が乗せられている。軍服にお盆、とても不釣り合いな組み合わせだ。

「ずっと眠っていたからな。空腹だろうと、粥を用意しておいた」

「随分、気が効いているわね。いただいても?」

「もちろんだ。お前意外にやるつもりはないよ」

 枕元の台に乗せると、机の椅子を引き寄せベッドの傍らに寄り添った。

 蓋を開けると、温かな湯気と米の香りが食欲をそそる。

「お父様は何故、あの場に?」

 危険を犯して火の中に飛び込み、自分と父を救ってくれた。もし桜子一人だったなら、本当に助けることが出来ただろうか。けれど自分は勢い勇んで学校を飛び出したはずで、どうして彼まであの場にいたのか不思議である。

「聡子といったか、彼女が連絡を入れてくれたんだ」

 疑問はすぐに解決した。何もかも投げ出して走り去った友人を心配して自宅に連絡を取ってくれたらしい。

「聡子、そうだったの……。お父様、彼女が初めてできた友人よ。明るくて、可愛らしくて、とても良い人なの」

 無月は表情を和らげ、その評価に同意するように頷く。

「あの時は急ぐあまり時間もなかったが、それほどお前が世話になっているのなら、菓子でも持参して挨拶に窺う必要があるな」

 普段なら大げさだと止めたかもしれない。けれど深い感謝を抱く桜子もまた、改めて礼をしたいと考えていたので反対はしなかった。

「はい。きちんとお礼をしないと」

「そのためにはまず体調を戻すことだな。人間は脆いのだから」

 有無を言わさぬ勢いで、粥の乗ったれんげを差し出される。食器を手に取る隙さえ与えない。つまり、このまま食べろということだ。

 もう、慣れた……。そんな心境で悟れるくらいに馴染んでしまったなんて。

 とはいえ至近距離に整った顔たちは緊張を伴う。無心になって食べようとしたのだが、粥の味を悠長に噛みしめる余裕はなかった。

 無月の赤い瞳が、すぐそばで嬉しそうに細められている。あまりにも気になった目を閉じてみるが、熱い視線の前には無駄だった。

 諦めのように、何がそんなに嬉しいのかと問うてみる。

「来たばかりの頃、こうして食べさせてやっただろう」

 懐かしく、思い出すと笑みが零れるのだと言う。

 それを『昔』と語るには、やや短すぎる過去。ましてや妖であればなおのことだろう。それをこんな、全てが大切な思い出のように話されては胸が熱くなる。

「そんなことも、あったわね。……あの日のわたくしは、酷く屈辱的に感じていたのを忘れはしません」

 深く考えてはいけないと、桜子は無理やり嫌な場面を思い浮かべて強がった。

「言ってくれるな」

 無月は柔らかく笑い、つんけんした態度を取る自分が子どもじみていて情けなくなる。だから、少しくらいは本心を口にしてみようと思った。

「でも今は……違うの。嫌悪も、していない。今は――」

 伝えようとして並べたものは拙く、中途半端に言いかけて口を噤んだ。

(今は――?)

 自分でも図りかねている部分があった。答えきれないもどかしさには蓋をして、桜子は喉を通る粥に意識を向ける。

「お粥、美味しいわ」

「そうか」

 たったそれだけの言葉でさえ弾んでいる。

 桜子はそっと胸を押さえた。何かあるわけでもないのに、そこが温かいように感じていた。


 一口、二口――

 無月によって運ばれる粥だが、胃はあまり受け付けてくれなかった。

「せっかく用意してくれたのに、申し訳ありません……」

「病み上がりだろう、無理するな。その方が、よほど申し訳ないと思ってくれ」

 気づかうように白湯を差し出された。

 項垂れる桜子に「それにしても」と無月は言う。

「お前は大人しそうに見えて、意外と大胆な奴だな」

「……そうでしょうか?」 

「そうだ。お前がこんなにも無茶な人間だとは思っていなかった」

 確かに、冷静になって考えてみれば無謀でしかない。

 幸いにも怪我は軽いものだと聞かされた。てっきり血が大量に流れたと覚悟していた足は擦り傷で、包帯を巻くだけで済んでいる。大やけどを負ったはずの背も、着物が燃えて皮膚が変色してしまう程度で済んだのは奇跡だ。

 せっかっくの着物は台無しになってしまったが、それはまるで無月が護ってくれたようだった。

「……ご心配を、お掛けしました」

 本当に申し訳なく思っているので、いくら責められようと反論する気はない。素直に受けとめようと覚悟している。

「ああ、本当にな。以後気を付けてくれ。頼むよ。俺は、お前を失いたくはない」

 けれどそれ以上、無月は責めようとしなかった。慈しみを込めた眼差しで見つめられているだけだ。

「……娘、だから?」

「ああ、大切な娘だよ」

 ただの人間の自分を、宝物に触れるように無月は扱う。

 初めて家族と聞かされた時は心底嫌悪した。これも同じ言葉のはずなのにくすぐったい。人間と妖、たとえ相いれない存在だとしても、少しでも心は近づくことが出来たのだろうか。家族、その言葉に、いよいよ桜子も覚悟を決めていた。

「お父様!」

 ――が、決意を込めた発言を台無しにしてくれたのは、その父本人だった。

「お前は初めて会った時も、電柱から飛び降りていただろう。多少、お転婆だということは理解していたつもりだったが、認識が甘かったようだ」

 桜子は危うく湯呑を落としそうになった。水面は心情と同じく、ぐらぐら揺れている。

「み、見ていたの!?」

「しかとな」

 さらりと告げられた衝撃の事実に、布団の中に潜ってしまいたい! 出来れば埋まってしまいたい。

 警戒を重ね、闇夜に紛れ活動してきたのに、あれを誰かに見られたのは初めてだった。こんなにも羞恥心が煽られるものだとは、想像以上だ。

「え、ええと、その! 疲れたので、眠ってもよろしいでしょうか!?」

 朱色に染まる頬を見られたくない。からかうような瞳から、いっそ逃れてしまいたい。

「それが良い。もう少し休め」

 無月は追求することなく、残った粥と共に部屋を後にする。でもきっとお見通しに違いない。声は明らかに笑いを押さえたものなのだから。

  

 悪い妖に騙されている。そうだったら良かったのに……。そうすれば、躊躇うことなく日ノ宮家へ縋っていただろう。けれどそうしようとしなかった。逃げて助けを請うほど、切迫していない証拠だ。

 馬鹿げている。家族ごっこのはずが、それに助けられる自分もどうかしている。


 けれど何より愚かしいのは、彼と在ることを自然に感じていることだ――

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